日本芸術大賞
1979年06月第11回日本芸術大賞は「人間マンダラの鮮かな思想的展開に対して」という理由で前田常作が受賞した。
第11回日本芸術大賞は「人間マンダラの鮮かな思想的展開に対して」という理由で前田常作が受賞した。
28日から9月18日まで西武美術館で開催され、ボストン美術館所蔵のフランス絵画のなかから印象派を中心とした作品69点が出品された。引き続き名古屋市博物館、京都国立近代美術館でも開催された。
淡島雅吉(保谷ガラスクリスタル事業部デザイン室)ほかに決定した。同賞はすぐれたデザインに関する業績をあげた個人、団体におくられる。
三尾公三「空白の時」(53年栃木県立美術館「空白の美―美は生きている」展出品作)ほかの作品に決定した。
19日、都内初の区立美術館である板橋区立美術館(同区赤塚5―34―27)の開館式が行われた。
東京大丸で開催され、ワルシャワ、クラコウ、ポズナムにある美術館から選ばれた30点が出品された。
6日から5月27日まで、東京国立近代美術館で開催(6月5日―7月15日京都国立近代美術館)された。岸田劉生没後50年を記念して企画されたもので、代表作230余点が出品された。
29日から5月27日まで奈良国立博物館において開催、平家納経をはじめ、法華経に関する絵画・彫刻などを一堂に展観した。
第4回吉田五十八賞(吉田五十八記念芸術振興財団設定)が決定した。受賞は建築の部で雑草の森学園の設計者六角鬼丈、建築関連美術の部で同学園の風見、風車の制作者である彫刻家新宮晋の2名。
文化財保護審議会(坂本太郎会長)は3日、新たな重要無形文化財保持者(人間国宝)として3人を認定するよう内藤文相に答申した。美術部門から彫金の鹿島一谷(本名栄一)が選ばれた。
今回新たに指定した国宝は、宝生寺の板絵著色伝帝釈天曼荼羅図1面で、重要文化財は絵画14件、彫刻12件、工芸品23件、書跡・古文書類22件、考古資料10件、歴史資料2件、合計83件、これで美術工芸品の国宝は819件、重要文化財は8211件となった。また、重要文化財に指定された建造物は10件12棟、追加指定4棟で、1924件3057棟となった。
東京国立博物館では20日から5月13日まで、陝西・甘粛・新疆の各省から出土した前漢から唐代末期までの古代文物156点を展示した。
第22回安井賞には笹岡信彦「朝に翔んでいる」が選ばれ、石川忠一「THE RELATIONS1」が佳作賞となった。
文化庁は12日、ドル減らしの緊急輸入策の一環である美術品購入の最後の4点(4億9千万余)の作品を発表した。内訳はロヒール・ファン・デル・ウェイデン作「ある男の肖像」(国立西洋美術館)、マルク・シャガール作「コンサート」「ふたり」(東京国立近代美術館)、ロバート・ラウシェンバーグ作「至点」(国立国際美術館)の4点である。
北鎌倉東慶寺に前田青邨遺族、門下生らによって筆塚が建立され、17日供養会が行われた。
第5回明治村賞は、明治建築の保存に貢献した故谷口吉郎に決まり、19日発表された。
日本芸術院(高橋誠一郎院長)は5日、53年度(第35回)の恩賜賞、芸術院賞受賞者を発表した。第一部(美術)では、日本画家の松尾敏男(53年度出品)「サルナート想」に対して)、洋画の宮永岳彦(53年度二紀展出品「鵬“ほう”」に対して)、彫塑の三坂耿一郎(53年日展出品「壺中天」に対して)の三名がそれぞれ芸術院賞に決定した。
53年度(第29回)の芸術選奨文部大臣賞と同新人賞の受賞者が10日決定した。美術部門では、文部大臣賞に日本画家の守屋多々志が「平家厳島納経」で、建築家高橋?一が「大阪芸術大学建築群」で受賞、また、同新人賞に洋画家相笠昌義が選ばれた。
1日から19日まで新宿伊勢丹で開催、ブタペスト美術館とハンガリー・ナショナル・ギャラリーから選ばれた69点が展観された。
第8回平櫛田中賞に澄川喜一(新制作協会会員)「そりのあるかたち―1」が選ばれた。受賞記念展は5月31日から6月5日まで高島屋で開催された。