前田常作
曼荼羅を参考に、密教図像や抽象的形態を組み合わせた絵画を描いた前田常作は10月13日、小磯記念大賞展の審査のため大阪市内のホテルに滞在中、心臓発作のため死去した。享年81。1926(大正15)年7月14日、富山県新川郡椚山村に生まれ、病弱な幼年期を過ごす。1933(昭和8)年、椚山村立尋常小学校尋常科に入学し、39年に同校を卒業して、同小学校高等科に入学。41年、同科を卒業し、富山師範学校予科に入り、44年同科を修了して本科に入学する。同科では丸山豊一に美術を学ぶ。45年に応召して富山69歩兵連隊に入隊。同年8月の富山大空襲で市中の惨状を目の当たりにし、人間の生死について深く感ずるところがあった。47年、富山師範学校本科を卒業し、同年4月から富山県下新川郡の上青中学校で図工科を教える。48年、東京都台東区忍岡中学校に移り、この頃から鶴田吾郎洋画研究所と中央美術研究所に通う。同年8月、美術出版社主催の夏期洋画講習会に参加し、安井曽太郎の指導を受けて感銘を受ける。49年、本格的に画家を志して武蔵野美術学校西洋画科に入学し、デッサンを清水多嘉示、洋画を三雲祥之助に学ぶ。同年8月、鶴岡政男を知り、アトリエを訪れるようになった。同年9月、忍岡中学校を退職して画業に専念し、同年10月第13回自由美術家協会展に「水蓮」など2点が初入選する。52年、黒色会展に出品。53年、武蔵野美術学校西洋画科を卒業し、東京都北区滝野川第一中学校の図工専科教員となる。同年秋、美術、映画、写真等の実作者による「制作者懇談会」に入会し、同会で池田龍雄、河原温などと交遊。55年第8回日本アンデパンダン展に「狂った人」「偶像」「アリバイ」など6点を出品。同年6月、瀧口修造の推薦により最初の「前田常作個展」をタケミヤ画廊で開催する。同年10月第19回自由美術家協会展に「目撃者」など2点を出品し、会員に推挙される。57年、「今日の新人」展に「城」「夜」「前兆」を出品し、佳作賞を受賞。また、同年第一回アジア青年美術展に「殖」を出品して大賞および国際美術賞を受賞し、副賞としてパリ留学費用を得る。58年春にパリに渡り、ベルギー、オランダ、ドイツ、イタリア、スイス等を巡遊。59年に批評家ジェレンスキーにより≪夜のシリーズ≫などの作品を「マンダラ」と評され、自らを現代美術家と考えていたため虚を突かれるが、以後、曼荼羅を意識した制作を行うようになり、パリで注目される。62年長女の誕生をきっかけに≪人間誕生≫≪人間空間≫シリーズの制作を始める。63年、一時帰国し、東寺の両界曼荼羅に感銘を受ける。同年、自由美術家協会を退会し、山口勝弘らによる団体アート・クラブに参加。65年1月に再渡仏し、翌年3月に帰国するが、この間、仏教的思想の現代的意義について考えるところがあり、アジアの仏教国への関心が高まる。また、伝統的な曼荼羅の様式から離れ、今日的な展開を試みるようになる。70年、インド、ネパールを旅行し、人間の生死や輪廻について考えを深めた。この頃から≪青のシリーズ≫≪インド旅行シリーズ≫を始め、72年、東京セントラル美術館で「前田常作展」を開催して、初期から近作までを展示する。73年≪須弥山界道シリーズ≫、74年≪須弥山マンダラ図シリーズ≫の制作を開始。77年、日本美術家連盟の派遣により1月にネパール、インド、スリランカを、9月に中国を訪れ、帰国後、≪観想マンダラ図シリーズ≫の制作を始める。79年、77年の訪中の成果の発表と長年のマンダラ研究が評価され第11回日本芸術大賞を受賞。また、同年より西国巡礼を始め、リトグラフによる≪西国巡礼シリーズ≫を開始する。1989(平成元)年富山県立近代美術館で「前田常作展」が開催され、初期から近作までを展示。93年、「天曜≪瞑想マンダラ図シリーズ≫」により第16回安田火災東郷青児美術館大賞を受賞する。初期の抽象表現を志向する時代から、特定の幾何学的パターンの繰り返しを行い、東洋の曼荼羅を意識して以後はかたちに思想的背景が盛り込まれるようになった。曼荼羅研究が進む中で、伝統的曼荼羅の様式から離れ、宇宙や悠久のイメージが絵画化されるようになっている。美術教育にも尽力し、1970年に東京造形大学美術科助教授、72年から73年まで同教授として教鞭をとったほか、79年7月より83年3月まで京都市立芸術大学美術学部教授、83年4月からは武蔵野美術大学教授となり94年からは同学長を務めた。著書に『曼荼羅への旅立ち』(河出書房新社、1978年)、『マンダラの旅―前田常作対話集』(法蔵選書、1982年)、『私とマンダラ』(精神開発叢書、1983年)、『世紀末の黙示録』(酒井忠康と共著、毎日新聞社、1987年)、『心のデッサン』(佼成出版社、1989年)、『前田常作のアクリル画』(河出書房新社、1995年)、『前田常作版画作品集』(佼成出版社、1989年)、『前田常作 観音マンダラ―南養寺大悲殿天井画』(里文出版、2005年)などがある。
出 典:『日本美術年鑑』平成20年版(389頁)登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「前田常作」『日本美術年鑑』平成20年版(389頁)
例)「前田常作 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28402.html(閲覧日 2024-10-05)
以下のデータベースにも「前田常作」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1966年11月 長岡現代美術館賞展の公開審査
- 1979年06月 日本芸術大賞
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