宮永岳彦

没年月日:1987/04/19
分野:, (洋)

鹿鳴館シリーズなどの華麗な女性像で知られる洋画家宮永岳彦は、4月19日午前8時50分、消化管出血のため東京都港区の東京専売病院で死去した。享年68。大正8(1919)年2月20日、静岡県磐田郡に生まれる。昭和11(1936)年名古屋市立工芸学校を卒業し、松坂屋に勤務しながら制作を続け、16年より正宗得三郎に師事。17年第29回二科展に「いもん」で初入選。18年第6回新文展に「いもん」で初入選する。戦後は二紀会に参加し22年第1回展に「鏡」を出品して褒賞受賞。同年二紀会同人となる。25年日本宣伝美術協会の創立に参加。29年第8回二紀展に「裸婦A」「裸婦B」を出品して同人努力賞受賞、32年同会委員、47年理事に就任する。豪華、華麗な西欧の王朝風の美人画で知られ、49年日伯文化協会の要請により「皇太子殿下、同妃殿下肖像」を描き、同年ブラジル国公認サンフランシスコ最高勲章グラン・クハース章受章。また同年第28回二紀展に「ROKUMEIKAN 煌」を出品して菊華賞受賞。52年第31回同展出品作「碧」で53年東郷青児美術館大賞を受賞し、53年第32回同展出品作「鵬」で53年度日本芸術院賞を受ける。61年には二紀会理事長に就任した。30年代にはポスターや新聞・雑誌の挿絵でも活躍。広く大衆的人気を博した。『宮永岳彦・現代の美人画』(52年講談社)、『宮永岳彦画集』(54年実業之日本社)が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(329頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「宮永岳彦」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(329頁)
例)「宮永岳彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10068.html(閲覧日 2024-04-25)

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