第7回日本国際美術展開催

1963年05月

隔年に開かれる日本国際美術展は第7回展を迎へ10日から30日迄東京都美術館で開かれた。展示作品は外国部11ケ国の現代絵画と日本部は代表作家の新作、それに今回はイギリス現代彫刻が特別陳列された。

千葉県永興寺の仏像調査

1963年04月

東京国立文化財研究所の久野技官らの調査で、千葉県茂原市三ヶ谷、永興寺の仏像三体が鎌倉時代の作であることがわかつた。そのうちの本尊釈迦如来立像は清涼寺式の作である。

美濃市で円空像五十五体発見

1963年04月

岐阜県美濃市教育委員会は、さる三月から二カ月にわたつて、円空の作品を中心に市内の文化財調査を行なつたが、この結果、55体の円空像と旅日記四冊を発見した。

ビュッフェ展

1963年04月

ビュッフェ展は「その芸術の全貌」の副題が示すように1944年(16才)から1962の近作迄、代表作84点を系統的に選び展示したもので、国立近代美術館(4月11日―5月12日)及び同京都分館(5月30日―6月30日)で開かれた。

高野山光台院の火災

1963年04月

11日和歌山県高野山町高野山の光台院客殿から出火し、同客殿は全焼した。この火災により狩野探幽筆の壁画竜虎図が焼失し、山雪筆の山水襖絵四面中二面が破損したが、重文指定物件の快慶作仏像三体及び毘沙門天像は難をまぬかれた。

ドイツ表現派展開く

1963年04月

朝日新聞社主催、外務省、文部省、ドイツ大使館後援のもとに13日から5月14日迄、池袋・西武百貨店でひらかれた。ドイツ表現派は、大正期の我国の洋画界にも少なからぬ影響を与えたもので、同派の代表的作家24人の作品168点に及ぶブーハイムコレクションの展観は注目をあつめた。

日本芸術院賞決定

1963年04月

昭和37年度第19回日本芸術院恩賜賞と同院賞の受賞者が10日決定、5月15日授賞式が行われた。美術関係者は次の通りである。 恩賜賞 河村蜻山(工芸・陶磁) (帝・文・日展に出品し、工芸界に尽した功績に対し。) 芸術院賞(第一部・美術) 奥田元宋(日本画) (第5回日展出品「磐梯」に対し) 山田申呉(日本画) (第5回日展出品「嶺」に対し) 田村一男(洋画) (第5回日展出品「梅雨高原」と近年の日展作品に対し) 中村琢二(洋画) (第5回日展出品「画室の女」と第24回一水会展「男の像」に対し) 大内青圃(彫刻) (昭和37年個展「多羅菩薩」と一連の仏教彫刻に対し) 中川清(彫刻) (第5回日展出品「あるく」と近作に対し) 番浦省吾(工芸・漆) (第5回日展出品「象潮」に対し) 森野嘉光(工芸・陶芸) (第5回日展出品「塩釉三足花瓶」に対し) 山崎節堂(書) (第5回日展出品「古諺」及び近作に対し)

徳川美術展

1963年04月

尾張の徳川家の収蔵品のうちから百余点の逸品を選んで、「徳川美術展」が4月2日より11日まで上野松坂屋で開催された。国宝「源氏物語絵巻」のほか、「豊国祭図屏風」「西行物語絵巻」等の優品が注目された。

文化財の新指定

1963年03月

文化財保護委員会では29日、新たに国宝、重要文化財の指定を発表した。国宝に指定されたのは、滋賀県聖衆来迎寺蔵の六道絵15幅、伊勢国朝熊山経ケ峰経塚出土品、竜吟庵方丈など9件(美術工芸品7件、建造物2件)。重要文化財に指定されたのは、田能村竹田、与謝蕪村の作品、宝生家に伝わる能面など77件(美術工芸品66件、建造物11件)である。なお、無形文化財として、茶の湯釜(長野松蔵)、日本刀(宮入堅一)、肥後透・肥後象嵌(米光太平)の3件が指定された。

高村光太郎賞決定

1963年04月

第6回高村光太郎賞は先月8日、造型部門2名、詩部門3名が選考委員会で決定、4月2日授賞式を行なつた。 〔造型部門〕 「海の風」(彫刻、二科会展出品) 堀内正和 「青銅壷」(鋳金、日展作品) 西田大由 〔詩部門〕 略

芸術選奨決定

1963年03月

文部省は、昭和37年度(第13回)芸術選奨の受賞者に8名、1団体を選出、26日発表した。なお授賞式は4月20日行つた。美術部門では、麻生三郎(油絵)、山田喆(てつ)(陶磁)が受賞、又、評論その他の部門で円城寺次郎(日本経済新聞社常務取締)が「“日本名陶百選展”をはじめ多くの美術展の企画、展示と美術図書刊行にすぐれた業績を残した」ことに対し新聞界から初めて受賞した。

国立劇場設計の入選作決定

1963年03月

文化財保護委員会では、東京三宅坂パレス・ハイツ跡に建設予定の国立劇場設計案を広く一般から募集していたが、応募作品307点(海外から10点)のうちから国立劇場審議会(会長内田祥三)によつて入選者は次の如く決定27日発表された。 1等 大阪市 竹中工務店大阪本店設計部 岩本博行他14名 2等 横浜市 松本陽一 3等 2名(略) 佳作5点(略) 1等入選作をもとに38年度中に着工準備に入ることになつた。

米国より重要文化財刀剣返還さる

1963年03月

終戦直後、連合軍総司令部の指令で提出された刀剣類のうちには、占領軍に持ち去られた旧国宝、重要美術品等認定物件42口が含まれていたが、そのうちの旧国宝太刀銘国宗1口が、米国内でこれを手に入れたウォルター・A・コレプトン氏の好意により、3月28日、日本に返還された。

浅草神社の復元工事完成

1963年03月

江戸時代から三社権現として有名な浅草神社の社殿(重要文化財)の復元工事(昭和36年着手)が完了し、14日から6日間、記念の奉祝祭が行われた。

滋賀県三大寺山遺跡の発掘

1963年03月

滋賀県教育委員会は8日から栗太郡瀬田町神領、三大寺山遺跡の発掘調査をつづけ、14日にいたり石敷跡を発見、ここに奈良時代、近江国府の正庁のあつたことを裏付けた。

エジプト展開催

1963年03月

東京国立博物館、朝日新聞社共催で、3月3日から5月5日迄東京上野の国立博物館で開催された。カイロのコプト美術館、エジプト美術館、イスラム美術館、又、アレキサンドリア、グレコ・ローマン美術館などから、メンカウラ像、書記の像、セヌセルト三世頭部など彫刻、工芸、染色、装具など258点が送られたもので、我国でこれだけまとまつてエジプト美術が紹介されるのは初めてである。 なお朝日新聞社は大阪本社創立85周年、東京本社創刊75周年記念事業の一つとして行つたわけで、展覧会の純益金を、アスワンダム建設で水没しようとするヌビア地方の遺跡、アブ・シンベル神殿救済費の一部に当てようとするのが目的とされている。

世界の巨匠名作版画展

1963年03月

“レンブラントからピカソまで”の副題がついているが、49作家198点によつてヨーロッパ版画の伝統を系譜的に紹介しようとした展覧会である。内容はアメリカのアッチェンバッハ・コレクションから選出した「オランダの黄金時代」50点、メトロポリタン美術館よりカロとドーミエ約50点、ワシントン国立美術館より、後期印象派から現代作家迄約100点、更にピカソのリノリウム版画50点で、8日から20日迄日本橋白木屋で、また23日から4月7日迄、京都市美術館で開かれた。

法隆寺綱封蔵の解体修理

1963年02月

法隆寺境内にある綱封蔵の解体修理が2月下旬よりはじめられた。綱封蔵は法隆寺にのこるただ一つの宝物庫で現在のものは室町時代にたてられたといわれ、歴代寄進される宝物などを保存していたが昭和初年以来空になつており、傷みがひどくなつたため今度の解体修理となつもの。

国立近代美術館京都分館設立

1963年03月

国立近代美術館京都分館が京都市岡崎に設立された。元京都勧業館別館を改装したもので、敷地約930坪、地階302坪、1階318坪、2階325坪。4月から開館されるが、工芸を中心とした特色ある近代美術館として発足する。開館に先立ち国立近代美術館次長今泉篤男は3月1日付で京都分館の初代館長に転任、後任次長には河北倫明が就任した。

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