本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。 (記事総数 3,120 件)





長野垤志

没年月日:1977/07/14

鋳金家長野垤志は、7月14日乳頭腺がんのため東京北区上十条五丁目の原外科病院で死去した。享年76。本名松蔵。明治33年10月28日名古屋市東区に生れ、はじめ洋画家を志し上京した。早稲田大学附属早稲田工手学校、本郷洋画研究所に学んだ。関東大震災により同所焼失のため、これを転機に鋳金家に転じた。はじめ山本安曇に師事し、のち香取秀眞に就き作品指導のほか古美術研究の指導を受けた。帝展には美術工芸科創設の昭和2年第8回展より出品し、これには「収穫」(銀製小箱)が入選した。ついで翌3年第9回には「飛躍」(鋳銅花瓶)が、第11回「青銅水盤」、第12回「蔓付花瓶」、第13回「青銅菱形花器」が入選し、第14回「青銅方盤」では特選となった。第二次大戦終了前後5ヶ年程出品を休止したが第4回日展で審査員となり、その後もあわせ、3回に及ぶ。また日本工芸会に参加し理事、審査員などを務めた。茶の湯釜制作の第一人者で、日本古来の製造技術を生かして独特の作品を生んだ。昭和38年重要無形文化財保持者、同42年紫綬褒章を受章した。茶の湯釜のほか善光寺(愛知)、輪王寺(仙台)、極示寺(大阪)、内光寺(新潟)、薬師寺(奈良)、建長寺、(半鐘、鎌倉)ほか梵鐘の制作も多い。著書-「あしやの釜」(昭和27)、「天命の釜」(昭和29)、「あしや系の釜」(昭和32)、「茶之湯釜の見方」(昭和31年秦東書房)、「茶の湯釜」。

前大峰

没年月日:1977/06/08

輪島塗沈金技術保持者(人間国宝)の前大峰は、6月8日心筋コウソクのため、石川県輪島市河井町の自宅で死去した。享年86。本名得二。明治23年11月10日石川県鳳至郡に生れ、明治38年粟蔵尋常高等小学校高等科を卒業した。同40年当時輪島で、沈金佐助といわれた名工、三代目橋本佐助に師事し、昭和4年第10回帝展に「蟹と雑草文沈金丸盆」が初入選した。その後、第11回帝展「遊鯰沈金彫手筥」(特選)(宮内省買上)第13回帝展「漆器雉子沈金衣裳筥」(無鑑査)(宮内省買上)、第15回帝展「猫飾筥」(政府買上)、昭和11年新文展第1回展「秋乃野文庫」(無鑑査)(李王職御買上)、第5回新文展「粟鶉飾筥」(無鑑査)(京都市美術館買上)等の作品で沈金家として世に出、また昭和16年には石川県立工業学校教授嘱託となって、後進の指導にあたった。戦後は専ら日展で活躍し、おもな作品に昭和21年第2回日展「ひな鶏飾筥」(特選)、第5回「漆器蘭と猫の図小屏風」(文部大臣賞)、昭和37年「猫文飾筥」(文化財保護委員会買上)がある。また第4回、第10回には日展審査員、第8回では参事に推薦され、昭和30年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。昭和33年には日本工芸会理事となり、また皇居仮宮殿棚飾用飾筥の御用をつとめている。翌34年石川県伝統工芸展で好評を博した「沈金けはい(気配)飾筥」(通称猫文飾筥)は文化財保護委員会買上げとなった。同氏は輪島塗の素朴な沈金技法を新しく開拓し、平面的で品位に乏しいといわれていたその表現技術を、豊かな芸術性高いものにしてその功績を高く評価された。石川県文化功労者(昭和37年)。輪島市名誉市民(昭和38年)。紫綬褒章受賞(昭和39年)

木村雨山

没年月日:1977/05/09

加賀友禅染色家で、人間国宝の木村雨山は、5月9日老衰のため金沢市南新保町の石川県立中央病院で死去した。亮年86。本名文二。金沢市出身で、明治38年高等小学校を卒業後、当時名人といわれた加賀友禅染色家の上村雲嶂に師事し、日本画を大西金陽に学んだ。大正12年独立し、以来加賀友禅の制作ひとすじに打込んだ。昭和3年第9回帝展に「リス文様壁掛」が初入選し、以後帝展、日展、日本伝統工芸展などで活躍した。昭和30年には友禅の部で重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定され、染色界での第1人者と評価された。昭和40年10月紫綬褒章を受賞。同51年4月勲三等瑞宝賞を受賞。その作品は日本画の技法を生かし、描線を自由に表現し、彩色では片刷毛を使ったボカシに工夫をみせるなど、京友禅と異なった加賀友禅独自の作風を展開した。代表作「花訪問着」(昭和40年)、「山吹訪問着」(昭和43年)など多数。

永沢永信

没年月日:1977/05/08

陶芸家、日展会員永沢永信は、5月8日肺がんのため兵庫県豊岡市の公立豊岡病院で死去した。享年67。明治43年兵庫県に生まれ、大正15年京都市立陶磁器講習所高等科卒業後、赤松雲嶺に師事して二百年の伝統をもつ新羅白磁風の出石焼(「永信窯」三代目)を伝承する技術者になった。戦後は昭和23年第4回日展に「みのりの図花瓶」で初入選以来同展に出品を続け、同35年第3回日展に壺「馬」を出品し特選、北斗賞を受け、翌年無鑑査、翌々年から出品依嘱となった。同41年第9回日展で審査員をつとめ方壺「浮粒」を出品、翌年日展会員となった。また、同47年には文化使節として陶芸技術指導のためモスクワに招待され、同年黄綬褒章を受けた。作品は他に「幽韻」(改組日展第1回)、花器「瑞雲」(同第3回)「白瓷瓶」(遺作、同第9回)などがある。

諏訪虎子

没年月日:1977/02/05

陶芸家、二代諏訪蘇山は2月5日老衰のため京都市の富田病院で死去した。享年86。本名虎子、石川県に生まれ、明治25年青磁で知られる初代諏訪蘇山の養女となり、大正11年二代蘇山を襲名し、昭和45年養子修に三代目を襲名させた。戦前では清水焼では珍しい女流陶芸家として話題を呼び、花鳥を配した青磁の花瓶や香炉を得意とした

鈴木盛久

没年月日:1976/11/15

南部釜師の記録選択重要無形文化財南部茶の湯釜の技術者、鈴木盛久は、11月15日午前0時25分、肝臓ガンのため岩手県盛岡市の盛岡赤十字病院で死去した。享年80。鈴木盛久は本名を繁吉(はんきち)といい、明治29(1896)年2月14日盛岡市に生まれ、15才のときから父の先代盛久に鋳造技術を学んだ。以後、盛岡にあって伝統的な南部鉄器製法の技術を研究し、大正13(1924)年、釜師として第13代盛久を継ぎ、その活躍は海外にも知られた。昭和49(1974)年には南部鉄器の伝統的技術保持者として国の重要無形文化財の技術者の指定をうけている。略年譜明治29年(1896) 2月14日、盛岡市に生まれる。大正12年 盛岡市長より模範技術士の称をうける。昭和4年 ベルギーのリエージュ万国博に出品、金賞をうける。昭和21年 日展に入選、以後毎回入選昭和27年 日展出品作「八卦文独楽釜」特選となる。第5回岩手日報文化賞をうける。昭和31年 秩父宮妃献上の茶の湯の湯釜を制作昭和32年 日ソ国交回復記念日本工芸美術展に出品、その技術をソ連から高く評価され、その作品はソ連の美術館へ収蔵される。昭和33年 岩手県紫波郡高金寺の梵鐘を制作。昭和34年 ベルギー・ブリュッセル万国博に出品、グラン・プリをうける。盛岡市制70周年記念文化芸術功労者に選ばれる。黄綬褒章をうける。昭和35年 日展委嘱となる。アメリカ・ウォーカー美術館現代デザイン展に出品。昭和36年 東京日本橋三越において第1回茶の湯釜展。昭和37年 大阪・好友クラブにおいて茶の湯釜展。昭和38年 東京日本橋三越において第2回茶の湯釜展。昭和39年 北九州市小倉区の浄土寺の梵鐘を制作。昭和40年 東京日本橋三越において第3回茶の湯釜展。昭和41年 岩手日報90周年記念行事として同社主催の茶の湯釜展を開催。この年、勲六等単光旭日章をうける。昭和44年 東京日本橋三越において第4回茶の湯釜展。昭和47年 東京日本橋三越において第5回茶の湯釜展。昭和48年 盛岡市にて喜寿記念茶の湯釜展。昭和49年 文化庁より記録選択重要無形文化財の技術者の指定をうける。昭和50年 岩手日報社主催の重要無形文化財指定記念展を開催。盛岡市本誓寺の梵鐘を制作する。昭和51年 11月15日、盛岡赤十字病院にて没。勲五等雙光旭日章をうける。

楠田撫泉

没年月日:1976/11/14

皮革工芸(革染)作家の楠田撫泉は、肺炎のため、11月14日、京都市の平松外科病院で死去した。享年82。本名は信太郎で、明治27(1894)年2月14日、京都市に生まれた。始め日本画家の三宅呉暁に師事し、後、革染の製作を専門とするようになった。昭和2年帝展以降、帝展、文展、日展等に出品して独得の技法を生かした革染作品を発表した。日展依嘱作家。戦前のパリ万国博で金賞を受賞(外務省買上げ)した。

南部芳松

没年月日:1976/11/05

重要無形文化財・伊勢型紙突彫技術保持者の南部芳松は、脳血栓のため、11月5日、三重県鈴鹿市の自宅で死去した。享年82。三重県鈴鹿市出身で、明治27(1894)年9月20日生まれ、明治39年4月、小学校を卒業してすぐから実兄の南部藤吉に師事して地元の伝統産業、伊勢型紙の彫刻師として厳しい修業を積み突彫の技術を受け継ぎ、その第一人者であった。昭和30年2月にその技術の重要無形文化財保持者に指定された。自身の技術研究を行う傍ら後継者の育成にも努め、昭和14年から昭和18年までと昭和21年から昭和29年まで伊勢染型紙彫刻組合長を務めた。昭和35年11月紫綬褒章受章、昭和40年11月勲五等雙光旭日章受章、昭和46年11月三重県民功労賞受賞。

岩野市兵衛

没年月日:1976/10/07

越前奉書紙づくりで重要無形文化財和紙づくり保持者(人間国宝)である岩野市兵衛は、10月7日脳血せんのため福井県今立郡の自宅で死去した。享年75。明治34(1901)年9月14日福井県今立郡に生れ、大正5年高等小学校卒業後、15才で家業の越前奉書の製紙に従事し、60年近く奈良時代と同じ伝統的な製法を守った。越前奉書は、木材パルプなどを混入せず、原料はコウゾだけによる手すき和紙で、武家の公用紙に使われた格調高いものである。今でも記録用紙や版画用紙として使われる。昭和43年手すき和紙の越前奉書をすくことで人間国宝に指定された。現在この伝統的な越前奉書をすくのは岩野のところだけで、伝統的製法を深く研究し、その長所を守り、優れた越前奉書をすくことに専念していた。昭和35年(1960)には桂離宮松琴亭の襖壁紙をつくっている。昭和46年11月勲四等瑞宝章。同51年11月従五位叙位。

難波仁斉

没年月日:1976/05/08

漆芸家、岡山県重要無形文化財工芸技術保持者、日本工芸会理事難波仁斎は、5月8日午前3時胆石症、イレウスのため岡山市の川崎病院で死去した。享年73。本名仁次郎。明治36(1903)年2月27日岡山市に生まれ、大正13年岡山工芸学校塗工科を卒業、昭和2年から同33年まで母校で教えた。大正13年以来商工展に入選受賞したほか、帝展、文展、日展にも出品、日本伝統工芸展には昭和31年第3回展以来連続入選、第9回展では総裁賞を受賞した。同34年岡山大学教育学部特設美術科講師となり、同39年第22回山陽新聞文化賞、第21回中国文化賞、足守町文化功労賞、第16回岡山県文化賞を受賞、岡山県重要無形文化財工芸技術保持者に認定され、同49年には勲五等双光旭日章を受章した。図柄を直接描いてとぎ出す描蒟醤の手法を創案して新しい漆芸分野を開拓、同50年には「漆歴五十五難波仁斎回顧展」(天満屋岡山店)を開催した。代表作に「波文鉢」(昭和25年)「描きんま竹林文卓」(昭和37年)など。

高野松山

没年月日:1976/03/05

漆芸家、重要無形文化財保持者高野松山は、脳軟化症のため3月5日午前8時15分東京文京区の自宅で死去した。享年86。本名重人。明治22(1889)年5月2日熊本市に生まれ、京都市立美術学校描金科卒業後、大正5年東京美術学校漆工科卒業、同研究科を修了し、さらに白山松哉に師事して蒔絵を学んだ。大正8年から昭和7年まで東京美術学校漆工科講師をつとめた。昭和7年「柏・木兔之図蒔絵衝立」、翌8年「乾漆おはぐろ蜻蛉筐」で各々帝展特選、同11年「蝦模様蒔絵手箱」で新帝展推奨となり、以後文展、日展を通じて蒔絵ひとすじに活躍した。同30(1955)年重要無形文化財(人間国宝)の指定制度ができるとその第1回の指定者に選ばれ、同35年日展評議員、同37年日展参与となり、翌38年日本漆芸会会長に就任、同40年には紫綬褒章を受章するとともに、美術工芸の伝統技術を守っている工芸家に与える第1回キワニス賞を受賞、同42年勲四等瑞宝章、同49年勲三等瑞宝章を受けた。白木に蒔絵する樹地蒔絵の手法の開拓者でもあった。代表作に「獅子蒔絵色絵箱」「蛤型千鳥香盒」「乾漆竹菓子器」など。

佐久間藤太郎

没年月日:1976/01/20

益子焼の陶芸家佐久間藤太郎は、1月20日午後1時15分胃ガンのため宇都宮市荒井胃腸科病院で死去した。享年75。明治33(1900)年8月10日栃木県芳賀郡に益子焼の窯元の子として生まれた。大正7年益子町立陶磁器伝習所を卒業、同13年浜田庄司が益子へ移って以来浜田に師事し、浜田に次ぐ益子焼の代表的作家として活躍、民芸陶器としての益子焼の隆盛に貢献した。この間、昭和2年国画会工芸部に入選、戦後は、同24年国画会会員となったほか、東京高島屋をはじめ各地で個展をしばしば開催、主なものに同31年作陶三十年記念展(栃木会館)、浜田・島岡・佐久間三人展(京都大丸)、同41年浜田庄司・佐久間藤太郎二人展(土岐市)などがある。同28年栃木県民芸協会理事に就任、同34年栃木県文化功労賞を受賞、同48年には勲五等瑞宝章を受けた。

高橋楽斎

没年月日:1976/01/17

陶芸家、滋賀県指定無形文化財信楽焼技術保存者高橋楽斎は1月17日午前8時40分老衰のため甲賀郡の自宅で死去した。享年77。本名光之助。明治31(1898)年10月31日甲賀郡に信楽焼の窯元の家に生まれ、大正4年京都陶磁器研究所に学び、翌5年から信楽町で製陶業に従事、同6年楽斎を襲名し古信楽焼の再現につとめた。昭和15年近畿工芸展、日本工芸会展で夫々特賞、大臣賞を受賞、翌16年商工省から信楽焼技術保存者の認定をうけた。同34年現代日本陶芸展に入賞、翌35年日展入選、同年ブルュッセル万国博陶磁器部門でグランプリを受賞した。同39(1964)年8月滋賀県指定無形文化財信楽焼技術保持者に認定された。上田直方とともに信楽焼の代表的作家で、ろくろ、焼成技術にすぐれた。

月岡勝三郎

没年月日:1976/01/06

日本の伝統工芸である切金砂子(きりかねすなご)の数少ない技術保持者である二代月岡勝三郎は、前年末自宅仕事場で、脳いっ血のため倒れたが、1月6日入院先の神田和泉町の三井記念病院で逝去した。享年70。本名仙太郎。明治38(1905)年12月11日初代月岡勝三郎の長男として東京神田に生れ、幼時から父に「切金砂子」の技術指導を受けた。昭和3(1928)年に初代没してのちは、二代目を継承し、現在に至る。この間昭和31(1956)年10月には、日本伝統工芸展に初入選し、正会員となり、また東京芸術大学、愛知県立芸術大学、武蔵野美術大学、女子美術大学日本画科講師をつとめ、工芸技術指導所専属作家并に指導員でもあった。主要作品に明治宮殿東車寄の戸襖、壁張りの金雲形砂子、霞砂子蒔、鎌倉円覚寺白竜誕生(前田青邨監修、守屋多々志画)の砂子蒔などがある。「切金砂子」は、「金銀砂子」ともいわれ、襖や屏風、色紙、短冊、扇子などに金箔や銀箔、金銀泥を膠で定着させる技術で、古くは「平家納経」や、近代では「熱国之巻」(今村紫紅筆、重文指定)などにその秀れた技術が示される。しかし、作品に格調高い装飾的効果をもたらすものの、美術史の上では、その技術者を明示することもなく、職人芸として永く扱われてきた。近来その技術を高く評価する人たちから、無形文化財(人間国宝)に推薦されたが、氏はそれの実現を見ずして死去した。

野口眞造

没年月日:1975/12/29

染色家で大彦染繍研究所長の野口眞造は、12月29日心筋梗ソクのため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年83歳。明治25年2月11日東京日本橋の呉服商野口彦兵衛の次男として生れた。父彦兵衛は柴田是眞の薫陶を受け染織考案に一見識をもち、染色工場を経営し、ブロックプリントを創始し、英国へ手巾を輸出するなどし、交遊も学者、芸術家、芸能人等多方面に渉った。彼は、中学卒業後父の教をうけ、専ら染色の考案並に製作の仕事にたずさわった。一方大彦染色工場長として更沙、友仙染等技術的経験を重ね、父の没後昭和2年、大彦染繍美術研究所を設け、古代衣裳染色の研究及びその復原をし、昭和3年これを初めて華族会館に発表した。以後染色工芸の創作の仕事に従事し、昭和26年から10年間無形文化財審議会委員をつとめ、同42年勲四等瑞宝章を受章した。戸板女子短大名誉 教授、日本染色美術協会々長、社団法人日本きもの文化協会々長、日本風俗史学会顧問、日本工芸会監事などを歴任した。

小野塚キイ

没年月日:1975/12/06

重要無形文化財・小千谷縮越後上布苧績み技術保持者の小野塚キイは、老衰のため、12月6日、新潟県東頸城郡の自宅で死去した。享年88歳。新潟県東頸城郡の出身で、明治20年1月15日生まれ。新潟県松之山地方に伝わる三百年来の高級麻織物の糸を作る苧績み技術の伝承者。幼少の頃から技術を習得し、現在約600人といわれる苧績み技術者の中でも鷲津ヨシ(昭和49年5月14日92歳で没)と共にその高度な技術が買われ、重要無形文化財小千谷縮越後上布(昭和30年5月12日指定)の苧績み技術保持者(代表者)として昭和32年6月24日に認定された。

河辺篤寿

没年月日:1975/11/26

新匠会会員、染色作家の河辺篤寿(本名篤)は、心不全のため、11月26日、京都市の自宅で死去した。享年77歳。明治31年4月6日、滋賀県蒲生郡に生まれた。大正14年同志社大学経済学部を卒業、同年明治生命保険相互会社に入社し、昭和25年に明治生命京都支社長で定年退職した後、稲垣稔次郎に師事して型絵染を学んだ。昭和26年に新匠会初出品「ルナール博物誌より」が新匠賞受賞となり、昭和27年に新匠会会友、昭和28年に新匠会会員となった。主要作品には上記「ルナール博物誌より」、「島迎春」、「三井寺梵鐘縁起」、「祷る」、「万葉集より」などがあり、詩情あふれた型絵染を得意とした。

川島甚兵衛〔4代目〕

没年月日:1975/11/24

京都川島織物の四代目川島甚兵衛は、11月24日赤白血病のため東京世田谷の自宅で死去した。享年64歳。明治44年京都市に生れ、昭和10年同志社大学法学部卒業後、昭和9年川島織物所々主となった。同所は昭和32年株式会社川島織物となり、同44年、同社取締役会長に就任した。京都工芸界のため指導的役割を果し、ガラス繊維の研究及びその染色法の開発により昭和46年には紫授褒賞を授与された。

小山冨士夫

没年月日:1975/10/07

陶磁研究家で、陶芸家としても知られていた日本陶磁協会理事、東洋陶磁学会常任委員長の小山冨士夫は、10月7日午後1時、心筋障害のため、岐阜県土岐市 の作陶の仕事場でもあった自宅で死去した。享年75歳。小山冨士夫は、明治33年(1900)3月24日、岡山県玉島市に生まれ、東京府立第一中学(現・ 日比谷高校)から東京商科大学(現・一橋大学)に入学したが、大正12年(1923)中途退学、その後さまざまの数奇な体験をへて作陶生活、ついで古陶磁 研究へすすみ、昭和5,6年ころ留学中の郭沫若と親交を結び、昭和10年代に中国諸地方の古窯址を踏査、そのなかでも昭和16年(1941)定窯古窯址を 発見の意義は大きかった。昭和18年12月には、いまなお名著として高い評価をうけている『支那青磁史稿』を発表した。戦後は、東京国立博物館調査員、文 化財保護委員会調査官として陶磁工芸の調査と文化財指定、各種陶磁全集の編集、評論に活躍し、昭和35年(1960)3月には第10回文部大臣賞芸術選奨 をうけた。とくに昭和29年(1954)の『東洋古陶磁』全6巻(美術出版社)は、数ヶ国語に訳出され、世界的に知られている著作である。同年秋、「永仁 の壷」重要文化財指定解除問題おこり、翌36年7月文化財保護委員会事務局を辞任した。また、昭和27年以降、毎年神奈川県立近代美術館における陶磁器展 の企画をはじめ、多くの陶磁器展に参画し、根津美術館嘱託、神奈川県文化財専門委員、出光美術館顧問、日本工芸会副理事長などを歴任した。官職辞任後も、 海外諸国の遺跡調査、学術講演に活躍し、一方昭和48年(1973)に土岐市に築窯して作陶生活を楽しみ、昭和49年11月、日本橋壷中居において「作陶 10年」展を開催した。略年譜明治33年(1900) 3月24日、岡山県浅口郡に、父善太郎、母幾無の長男として生まれる。父善太郎は花蓆を輸出する貿易商であった。明治37年 東京・麻布に転居、姉たちと近所のフレンド教会の日曜学校に通い、ボール博士の教えをうける。大正8年 3月、東京府立第一中学校(現・日比谷高校)を卒業。大正9年 4月、東京商科大学予科(現・一橋大学)に入学。大正12年 6月、東京商科大学を中退し、社会主義運動に共鳴し一労働者たることを決意してカムチャッカへ赴く。関東大震災の報をうけて帰国。フレンド教会の救済事業に従事する。12月、近衛歩兵第三聯隊に一年志願兵として入隊する。岡部長世を知り、陶器に興味をいだく。大正13年 11月、除隊。上野図書館に通い、館蔵の陶器関係図書を読破する。大正14年 2月、友人坂部甲次郎の紹介により瀬戸の矢野陶々に弟子入りする。兄弟子余郷潔につれられて小長曾古窯を訪れる。これが、古陶磁研究への発端となる。9月、近衛歩兵第三聯隊に見習士官として再入隊、11月予備歩兵少尉として除隊。12月、京都山科の真清水蔵六に弟子入りする。清閑寺、山科街道沿いに須恵器窯址を探る。大正15年 朝鮮半島、中国に旅行。旅行から帰り、京都市に借家し、独立して作陶する。昭和2年 3月、住いのすぐ前に石黒宗麿が越してきたため親交を結び、唐三彩などを試作する。昭和5年 京都・大丸で石黒宗麿と二人展。川喜田半泥子(久太夫)小山の作陶を買いあげる。4月、古陶磁研究を志して上京、東洋文庫へ通い、郭末若、江上波夫、三上次男などをしる。東洋陶磁研究所設立され、所員となる。昭和6年 毎日新聞社の本山彦一の古窯調査団に参加し、美濃、瀬戸、常滑の古窯を調査する。東洋文庫奥田誠一の仲介により横河民輔の中国陶磁コレクションの整理にあたる。昭和7年 奥田誠一の要請により東洋陶磁研究所(日本橋通3丁目松慶ビル)で雑誌『陶磁』の編集にあたり、論文を発表しはじめる。昭和8年 5月、奥田誠一の推薦で文部省宗教保存課国宝調査室嘱託となる。この年、京都時代の友人の社会主義者を泊めたという理由で碑文谷署に留置される。昭和9年 1月、文部省国宝調査室嘱託を辞職。6月~7月、国宝調査室の田沢金吾と薩摩古窯を調査。昭和15年 10月、中国東北区に旅行、遼陽缸官屯古窯、撫順大官屯古窯を調査。昭和16年 2月、田沢金吾との共著『薩摩焼の研究』刊。3月~5月、中国古窯址踏査旅行、河北・河南・山東・内蒙古を調査、4月10日に定窯古窯址を発見する。昭和17年 10月、文部省帝国美術院附属美術研究所嘱託、根津美術館嘱託となる。昭和18年 7月、『宋磁』刊(聚楽社)。12月、『支那青磁史稿』刊(文中堂)。昭和19年 5月~6月、中国東北区、モンゴル区を調査旅行し、林東の遼上京窯址、赤峰乾瓦窯址などを発掘調査する。『満蒙の古陶磁』刊(満蒙古蹟古物保存協会)。昭和20年 応召、少尉として朝鮮へ行き敗戦をむかえる。東洋陶磁研究所被災、焼失し、解散。昭和21年 日本陶磁協会設立に関与し、三上次男らと瀬戸古窯を発掘調査する。日本陶磁振興会理事昭和22年 7月、東京国立博物館嘱託となる。昭和23年 4月、東京国立博物館調査課勤務となる。昭和24年 文部技官となる。昭和25年 9月、文化財保護委員会の発足、美術工芸課勤務となる。昭和26年 4月、東京大学文学部講師(28年3月まで)。6月、神奈川県立近代美術館運営委員(50年10月まで)。昭和27年 8月、文化財保護委員会無形文化課勤務となる。昭和29年 美術出版社より図録『東洋古陶磁』全6巻の刊行はじめる。河出書房『世界陶磁全集』全16巻の編集に参加。昭和30年 2月、日本陶磁協会理事に就任。平凡社『陶器全集』全32巻の監修にあたる。昭和32年 5月~7月、アメリカ国務省からの招きで渡米、各地美術館を歴訪し講演する。昭和33年 中津川古窯址の発掘調査に参加。昭和34年 1月、文化財保護委員会無形文化課調査官となる。昭和35年 3月、第10回文部大臣賞芸術選奨(評論その他部門)をうける。昭和36年 7月、文化財保護委員会事務局を辞職する。昭和37年 3月~4月、イギリス国際文化振興会の招きによりイギリス各地を旅行、講演する。秋、正倉院の陶器の調査に参加。10月、神奈川県文化財専門委員となる。昭和38年 4月、出光美術館顧問となる。昭和39年 1月、エジプト、フスタート遺跡出土の中国陶磁を調査。3月、欧米諸国を旅行し、8月開催の「現代国際陶芸展」(朝日新聞社主催)に尽力する。この年から鎌倉の自宅で再び作陶をはじめる。昭和40年 3月、文化財専門審議会専門委員。4月~5月、中国政府より招かれ、新中国の各地を訪問、戦後発見の新資料を調査。昭和41年 2月、佐野美術館理事に就任。4月、和光大学教授会会員。5月、日本工芸会副理事長となる。同月、中国美術史研究日本学術代表団の一員として中国各地を旅行する。鎌倉の自宅に永福窯を築窯。昭和42年 4月、和光大学教授。6月、日本工芸会副理事長となる。昭和43年 3月~4月、フィリッピン美術史学会の招きによりマニラで開かれた陶磁交易ゼミナールに参加。タイ、シンガポール、ジャカルタ、バリ、サラワクのクチン、台湾などの窯址を調査。昭和44年 7月、国際芸術見本市協会理事となる。9月台北の故宮博物院を訪問、汝官窯を研究、「日本にある中国陶磁」について講演する。昭和45年 3月、台北・故宮博物院で「西方各国出土の中国陶器」と題して講演、蒋介石と会見する。昭和46年 4月、勲三等瑞宝章をうける。昭和47年 8月~9月、ヨーロッパ旅行。11月、神奈川文化章受賞。土岐市に花の木窯築窯。昭和48年 3月、和光大学教授を退職。5月、花の木窯初釜。同月、古田紹欽と柊画廊で二人展。6月、「現代日本の伝統工芸」展開催のため中国を訪問。7月、東洋陶磁学会発足し常任委員長となる。秋、韓国を訪問。昭和49年 11月、日本橋壷中居において「作陶10年」展を開く。昭和50年 4月、「小山冨士夫・岑一、書と陶芸」展を銀座松屋で開催。「花ノ木窯作陶展」(グリーンギャラリー)。7月~8月、社会保険中央病院に入院。10月7日、心筋障害で急逝。著作目録発行年月 著書・論文名 掲載誌 発行所昭和7年 殷墟出土 陶磁昭和8年 磁州古窯について 陶磁昭和9年 エドワード・モールス先生 陶磁昭和9年 薩摩探陶日記 陶磁昭和10年 定窯雑考 陶磁昭和10年 陶器講座2.3支那青磁考 雄山閣、昭和10年 天目茶碗の窯址について 陶磁昭和10年 陶器講座5 欧文支那古陶磁書目 雄山閣昭和11年 永田安吉氏将来の安南古陶 陶磁昭和11年 越州窯長慶3年銘墓誌磁版考 陶磁昭和11年 陶器講座12 邦文支那古陶磁書目 雄山閣昭和11年 陶器講座12 満蒙の遺蹟出土の陶片 雄山閣昭和11年 陶器講座13 朝鮮陶磁文献目録 雄山閣昭和11年 陶器講座14 邦文日本古陶磁雑誌論文要目 雄山閣昭和12年 支那の赤絵陶器に就いて 画説昭和12年 八思巴文字ある支那古陶磁 画説昭和12年 立杭 陶磁昭和12年 瀬戸に関する2・3の考察 陶磁昭和12年 年款ある支那の古陶磁 陶磁昭和12年 陶磁図録 支那篇上 雄山閣昭和12年 茶道全集15 器物篇(4) 雄山閣昭和12年 陶器講座20 日本古陶磁文献要目 雄山閣昭和12年 陶器講座21 安南の陶磁 雄山閣昭和12年 陶器講座22 高麗の古陶磁 雄山閣昭和12年 美術史一夕話(少壮学徒座談会) 画説昭和12年 最近に於ける支那古窯址の発見 考古学雑誌昭和12年 支那人の支那古陶磁器研究 茶わん昭和12年 セレベス島出土の古陶磁器に就いて 茶わん昭和12年 元上都趾出土の陶片其他 陶磁昭和13年 1937年度東洋陶磁研究会々報を読む 画説昭和13年 富士の絵を語る 画説昭和13年 デヴィット卿の支那説を駁す 陶磁昭和13年 八木奨三郎先生の業績 陶磁昭和13年 仁和寺出土の越州窯盒子と影青盒子 陶磁昭和13年 陶器講座24 陶窯分布地図 陶磁 雄山閣昭和13年 朝鮮陶器 高麗の古陶磁(講器講座分冊 奥平武彦、田中明共著) 雄山閣昭和14年 埃及フォスタット出土の支那陶磁片に就いて 考古学雑誌昭和14年 彙報 扶安出土の磁片に就いて 考古学雑誌昭和14年 朝鮮の旅 陶磁昭和14年 東京帝国大学人類学教室にあるモールスコレクション 陶磁昭和14年 旅襍記 陶磁昭和14年 学術調査班将来の陶磁片 画説昭和14年 備前虫明焼に就いて 画説昭和14年 旅の断片 茶わん昭和15年 吉州窯に就いて 画説昭和15年 ねりあげ手 茶わん昭和15年 続旅襍記 陶磁昭和16年 影青襍記 陶磁昭和16年 沙鍋窯見物記 陶磁昭和16年 北支だより 陶磁昭和16年 定窯々址の発見に就いて 陶磁昭和16年 金花の定碗 美術研究昭和16年 宋官窯に就いて 美術研究昭和16年 北支紀行抄 画説昭和16年 薩摩焼の研究(田澤金吾共著) 東洋陶磁研究所昭和16年 On the Discovery of the Ruins of Tingyao Bulletin of Easten Art昭和17年 南方襍記 陶磁昭和17年 鉅鹿の旧址 画説昭和17年 蘭印将来の古陶磁の回顧1・2 茶わん昭和17年 我国に於ける陶器の起源 日本諸学協会委員会研究報告昭和18年 支那青磁史稿 文中堂昭和18年 宋磁 聚楽社昭和18年 古萩の歴史と特質 古美術C昭和18年 鎌倉海岸の青磁片 古美術C昭和18年 菅原道真遺愛の白磁硯 清閑昭和19年 満蒙の古陶磁 満蒙古蹟古物保存協会昭和19年 宋磁序説 聚楽社昭和19年 磁州窯に就いて 美術研究昭和20年昭和21年 陶片雑記 知と行昭和21年 北鮮の古陶 古美術C昭和21年 瀬戸発掘の思い出 古美術C昭和21年 正倉院三彩 座右宝昭和21年 鶏冠壷 座右宝昭和22年 正倉院三彩(座右宝叢書) 座右宝刊行会昭和22年 林東の追想 四季昭和22年 近聞録 古美術C昭和22年 古瀬戸の瓶子 国華昭和22年 陶磁器に現れた支那の南北 美術研究昭和23年 越前古窯特別展について 国博ニュース昭和23年 越前古窯の発掘 国博ニュース昭和23年 赤絵出土の遺蹟 やきもの昭和23年 陶磁学者としての中尾万三博士 化学の領域昭和23年 我国の遺蹟出土の支那の陶磁器 古美術C昭和23年 元の染付 座右宝昭和24年 古雲鶴―高麗茶碗の窯址(一)(伊藤槇雄共著) 茶わん昭和24年 六朝越州窯と唐吉州窯 三彩昭和24年 宋のやきもの 三彩昭和24年 プエブロ・インディアンの古代工芸作家と作品 富本憲吉 国博ニュース昭和24年 The Story of old chinese Ceramics座右宝刊行会昭和24年 古信楽茶碗 茶わん昭和24年 東窯青磁水注 茶わん昭和24年 明赤地黄彩竜濤文壷 茶わん昭和24年 天目の話 日本美術工芸昭和25年 ―高麗茶碗の窯址(二) 茶わん昭和25年 ―高麗茶碗の窯址(三)(伊東槇雄共著) 茶わん昭和25年 ―高麗茶碗の窯址(四) 茶わん昭和25年 美濃の元屋敷窯 古美術昭和25年 戦後欧米刊行の東洋陶磁文献 美術史昭和25年 唐宋の青磁 日本美術工芸昭和25年 青磁馬蝗絆 日本之茶道昭和25年 世界美術全集 中国2 隋唐の陶磁 平凡社昭和26年 越前の古窯 文協昭和26年 平出遺蹟出土の緑釉水瓶 信濃昭和26年 欧米における東洋古陶研究の近況(上) Museum昭和26年 欧米における東洋古陶磁器研究の近況(下) Museum昭和26年 宣徳紅魚馬上盃 大和文華昭和26年 燿変天目茶碗―新国宝より- Museum昭和26年 新潟県三島郡出土の高麗白磁 仏教芸術昭和26年 北宋の修武窯 美術研究昭和26年 東洋陶磁の伝説―高田博厚君への返事― みづゑ昭和26年 宋白磁水注 麻生太賀吉氏蔵 国華昭和26年 伯林にあった東洋美術品 国博ニュース昭和26年 世界美術全集 中国3 高麗の陶磁 平凡社昭和26年 世界美術全集 中国3 宋元の陶磁 平凡社昭和27年 新潟県三島郡出土の高麗白磁 越佐研究昭和27年 中国古陶磁概説 三彩昭和27年 神奈川県立近代美術館の中国古陶磁展について 三彩昭和27年 古染付 アトリヱ昭和27年 日本の古陶磁―サンフランシスコ出陳の陶磁について- 淡交昭和27年 遼緑釉牡丹文鳳首瓶 大和文庫昭和27年 唐藍緑彩壷 大和文庫昭和27年 神奈川県立近代美術館 国博ニュース昭和27年 宋白地黒掻落牡丹唐草文瓶 国博ニュース昭和27年 欧米美術界の実情(座談会、矢代幸雄、石沢正男、嘉門安雄) 国博ニュース昭和27年 やきもの 朝日新聞昭和27年 世界美術全集 中国1 漢六朝の陶磁 平凡社昭和27年 美濃の古窯址 日本の茶道昭和27年 横河コレクション Museum昭和27年 国宝青磁下蕪花生 大和文華昭和28年 日本陶磁史既説 三彩昭和28年 古常滑の平水指 淡交昭和28年 三島の銘 墨美昭和28年 常滑 陶説昭和28年 我国の遺跡出土の高麗陶磁 陶説昭和28年 曜変天目の研究(山崎一雄共著) 古文化財之科学昭和28年 世界美術全集 中国4 清代の陶磁 平凡社昭和28年 世界美術全集 中国4 明代の陶磁 平凡社昭和28年 世界美術全集 中国4 李朝の陶磁 平凡社昭和28年 世界美術全集 中国4 安南の陶磁 平凡社昭和28年 鴻臚館出土の越州青磁片 朝日西部版昭和28年 柿の蔕 知音昭和28年 日本陶磁名品集 文部省昭和29年 白鶴美術館 芸術新潮昭和29年 日本の陶磁(奥田誠一、小山富士夫、林屋晴三編) 東都文化出版KK昭和29年 東洋古陶磁[二]中国・宋 美術出版社昭和29年 掘り出した話 国博ニュース昭和29年 高麗青磁葡萄唐草唐子遊文水注 大和文華昭和29年 宋磁雑記 艸美昭和29年 日本のやきもの 写真文庫 岩波書店昭和29年 世界美術全集 日本2 わが国中世の陶磁器 平凡社昭和29年 世界美術全集 イスラム イスラームの陶器 平凡社昭和29年 須恵器の窯跡 考古学雑誌昭和29年 日本人の陶磁観 陶美昭和30年 古陶磁1~3 日本文化財昭和30年 東洋古陶磁(1)中国 漢・唐 美術出版社昭和30年 東洋古陶磁(4)日本 奈良・桃山 美術出版社昭和30年 東洋古陶磁(5)日本 江戸 美術出版社昭和30年 美しき中国―美の風土と背景 淡交昭和30年 やきもの随想 国博ニュース昭和30年 思い出の記 奥田誠一先生追悼録 日本美術工芸昭和30年 人間文化財 芸術新潮昭和30年 重要無形文化財(工芸)について(座談会) 芸術新潮昭和30年 日本文化史 10 工芸技術 文化財協会昭和30年 世界陶磁全集 6 志戸呂焼 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 7 高麗茶碗 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 8 古越磁について 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 10 宋代の青磁 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 10 宋代の白磁と青白磁 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 10 宋代の絵高麗と宋赤絵 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 11 元明の青磁 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 11 満蒙に於ける元代遺蹟出土の陶片 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 13 高麗陶磁序説 河出書房新社昭和30年 世界陶磁全集 13 高麗白磁・黒高麗・其他 河出書房新社昭和31年 中国上代の土偶 世界昭和31年 神奈川県立近代美術館の朝鮮古陶磁 三彩昭和31年 東洋古陶磁(3)中国 元・明・清 美術出版社昭和31年 天鶏壷 大和文華昭和31年 贋せものと本もの 芸術新潮昭和31年 中山平次郎博士の死 国博ニュース昭和31年 古美術の鑑賞をめぐって(1)(座談会) 日本文化財昭和31年 古美術の鑑賞をめぐって(2)(座談会) 日本文化財昭和31年 元明の陶磁 陶説昭和31年 元明の青磁 陶説昭和31年 鎌倉近代美術館の朝鮮古陶磁について 陶説昭和31年 陶器について 外務省研究所昭和31年 世界陶磁全集 3 美濃の古窯址 河出書房新社昭和31年 世界陶磁全集 9 隋唐の青磁 河出書房新社昭和31年 世界陶磁全集 12 安南の陶磁 河出書房新社昭和31年 世界陶磁全集 12 タイの陶器 河出書房新社昭和31年 世界陶磁全集 14 李朝陶磁概説 河出書房新社昭和31年 世界陶磁全集 14 礼賓三島 河出書房新社昭和31年 菊花天目茶碗 藤田美術館蔵 国華昭和31年 李朝染付秋草文面取徳利 井上恒一氏蔵 国華昭和31年 白天目茶碗 日野原昌広氏蔵 国華昭和31年 Japanese Pottery;a historical review of important native handicraft(Asia Scene,Oct. 1956)昭和32年 アメリカの美術館にある東洋古陶磁1 陶説昭和32年 アメリカの美術館にある東洋古陶磁2 陶説昭和32年 正倉院三彩 芸術新潮昭和32年 金襴手瓢形寿之字大瓶 陶説昭和32年 緑褐釉胡瓶 大和文華昭和32年 琉球の南蛮 三彩昭和32年 アメリカ雑感(1) 国博ニュース昭和32年 アメリカ雑感(2) 国博ニュース昭和32年 丹波の古窯 序文(杉村捷雄著) 神戸新聞昭和32年 世界陶磁全集 2 正倉院三彩 河出書房新社昭和32年 世界陶磁全集 2 中津川・志戸呂・其他 河出書房新社昭和32年 デヴィット卿夫妻を迎えて 陶説昭和32年 陶器全集 10 唐宋の青磁 平凡社昭和33年 アメリカの美術館にある東洋古陶磁(3) 陶説昭和33年 中津川の古窯址群 陶説昭和33年 東洋古陶磁(6)朝鮮 美術出版社昭和33年 東洋古陶磁(7) 中近東・東南アジア 美術出版社昭和33年 絵つけ陶器(現代の眼) 淡交昭和33年 日本陶磁史概説 陶説昭和33年 伝古九谷色絵花鳥文皿 陶説昭和33年 奈良三彩共蓋壷 陶説昭和33年 李朝染付秋草文水指 岡石峯吉氏蔵 国華昭和33年 青白磁蓮座鴛鴦型香炉 国華昭和34年 陶磁(大仏次郎共著) 原色版美術ライブラリー みすず書房昭和34年 中国古代彫刻展 日経昭和34年 美の美展 日経昭和34年 板谷波山米寿記念展 産経夕刊昭和34年 修内司官窯青磁鳳凰耳花生 大和文華昭和34年 砧青磁 陶説昭和34年 仁清作色絵罌粟文茶壷 国華昭和34年 Ceramigue Ancienne de L’Asie Fribourg昭和35年 宋磁の美しさ 世界昭和35年 田中丸善八氏蒐集の古陶磁 陶説昭和35年 文献による古瀬戸「松留窯」考 日本美術工芸昭和35年 日本美術大系(6) 陶芸 講談社昭和35年 中国名陶百選 日本経済新聞社昭和35年 中国名陶百選展 日経昭和35年 備前焼七人展 日経昭和35年 古九谷色絵亀甲文大皿について 三彩昭和35年 やきもの談義 序文(永竹威著) 東西五月社昭和36年 天目山人の追憶(ジェームス・マーシャル・プラマー教授) 陶説昭和36年 中国の染付 Museum昭和36年 東洋古陶磁 美術出版社昭和36年 宋均窯紅紫釉樹盆(中国名陶百選展) 日経昭和36年 備前焼七人展 日経昭和36年 「桃山陶磁名宝展」を見て 日経昭和36年 北宋の森厳 宋元美術展をみて 国博ニュース昭和36年 三島厨子 陶説昭和36年 中国金石陶瓷図鑑(序文) 中国金石陶瓷刊行会昭和36年 著者に贈る(図説日本の赤絵)(永竹威著) 東京新聞人倶楽部昭和36年 Two Thousand Years Of Oriental Ceramics N.Y.,H.N.Abrams昭和36年 Japanese Ceramics From Ancient to Modern Times(フィゲス共著) The Oakland Art Museum昭和37年 戦後発見された唐宋の古窯址 陶説昭和37年 金襴手―やきもの教室―19 陶説昭和37年 戦後発見された唐宋の古窯址 陶説昭和37年 イスタンブールの古陶博物館―トプカピサライ博物館― 芸術新潮昭和37年 日本の陶磁 中央公論美術出版昭和37年 陶器全集 26 天目 平凡社昭和37年 日本名陶百選 日本経済新聞社昭和37年 エジプトのフォスタット出土の陶片 世界美術全集月報昭和37年 二階堂鼎談―朝鮮のやきものの話― 陶説昭和38年 欧米にある金襴手 陶説昭和38年 石黒宗麿 陶説昭和38年 日本の名陶ベスト10 芸術新潮昭和38年 定窯白磁型押文鉢 三彩昭和38年 明清のやきもの-その日本と欧米のコレクション- Museum昭和38年 唐三彩 古美術昭和38年 日本のやきもの 8 美濃(荒川豊蔵共著) 淡交新社昭和38年 備前焼七人展 日本経済新聞社昭和38年 富本憲吉氏のこと 朝日新聞社昭和38年 ギメー美術館にある元瑠璃白竜文梅瓶について 大和文華昭和38年 古九谷色絵菊花文壷 名品鑑賞 古美術B昭和38年 志野水指 三彩昭和38年 月見の宴 芸術新潮昭和38年 魯山人の人と芸術 現代の眼昭和38年 推せんの言葉(図説九州古陶磁)(永竹威著) 刀江書院昭和38年 盃と徳利―酒はうまし芸術は楽し- 徳間書店昭和39年 漁陶紀行 -1- 陶説昭和39年 フランスのやきもの(国立近代美術館ニュース19649月号) 現代の眼昭和39年 永楽染付花弁扁壷 古美術B昭和39年 明法花牡丹文壷 古美術B昭和40年 姫谷焼について 陶説昭和40年 新中国旅行記 陶説昭和40年 中国古陶磁展について 古美術昭和40年 批評家の作陶 芸術新潮昭和40年 世界美術全集(16)中国 5 宋・元 角川書店昭和40年 陶器全集 10 唐・宋の青磁 平凡社昭和40年 陶磁の世界 1~4 朝日夕刊昭和40年 特集現代の陶器 芸術新潮昭和40年 万暦赤絵樹下人物文輪花水指 古美術B昭和40年 信楽大壷(土門拳写真) 東京中日新聞昭和40年 壷 淡交社昭和40年 茶碗 第2巻 朝鮮1 平凡社昭和40年 新中国からの古陶磁 陶説昭和40年 中国陶磁の研究 日中文化交流昭和40年 中国の古陶磁について(「中国二千年の美」展) 日中文化交流昭和41年 新中国旅行記 陶説昭和41年 出口直日作陶展によせる アート昭和41年 茶碗 第3巻 朝鮮 2 平凡社昭和41年 茶碗 第4巻 日本 1 平凡社昭和42年 藤原雄君について 昭和41年度 日本陶磁協会賞受賞作家紹介―2 陶説昭和42年 日本の色絵のやきもの-出光美術館開館一周年記念展講演会から- 陶説昭和42年 砧青磁浮牡丹香炉新資料紹介―12 古美術昭和42年 遼三彩壷 古美術昭和42年 世界美術全集(17)中国 6 明・清 角川書店昭和42年 金襴手名品集 1 芸艸堂昭和42年 金襴手名品集 2 芸艸堂昭和42年 オリエント七千年展の名品―多彩刻線花文鉢― 東京新聞夕刊昭和42年 茶碗 第5巻 日本2 平凡社昭和42年 日本の工芸 9 陶磁 淡交新社昭和42年 東洋美術 第4巻 陶磁 わが国にある中国の陶磁 朝日新聞社昭和42年 遼上京官窯址―旅の思い出― 出光美術館々報昭和43年 名品鑑賞―明法花蓮池水禽文壷 古美術昭和43年 石黒宗麿 ―人と作品 陶説昭和43年 古瀬戸黒飴釉菊花魚文瓶子 国華昭和43年 世界美術全集(18)朝鮮(三上次男共同編集) 角川書店昭和43年 日本陶磁の伝統 淡交新社昭和43年 茶碗 第1巻 中国・安南 平凡社昭和43年 窯場あらし 芸術新潮昭和43年 茶わん雑記(茶碗附録1号) 平凡社昭和44年 骨董百話―1 良寛の書 芸術新潮昭和44年 骨董百話―2 李朝・彫三島・扁壷 芸術新潮昭和44年 骨董百話―3 汝官窯・青磁・輪花碗 芸術新潮昭和44年 骨董百話―4 宋・黒漆輪花盤 芸術新潮昭和44年 骨董百話―5 宋・赤絵牡丹文陶片 芸術新潮昭和44年 骨董百話―6 梅ヶ枝の手水鉢 芸術新潮昭和44年 骨董百話―7 伝徽宗・晴竹図 芸術新潮昭和44年 骨董百話―8 呉須染付山水図茶碗 芸術新潮昭和44年 骨董百話―9 能面「痩男」氷見宗忠 芸術新潮昭和44年 骨董百話―10 唐・吉州窯・鳳首瓶 芸術新潮昭和44年 骨董百話―11 白隠・達麿図 芸術新潮昭和44年 骨董百話―12 乾山・こぼし 芸術新潮昭和44年 台湾紀行 陶説昭和44年 日本陶磁総覧 淡交社昭和44年 沖ノ島出土の唐三彩 毎日夕刊昭和45年 骨董百話―13 古井戸茶碗 芸術新潮昭和45年 骨董百話―14 豆腐 高橋由一 芸術新潮昭和45年 骨董百話―15 高麗青磁辰砂蓮弁文瓢形水注 芸術新潮昭和45年 骨董百話―16 墨絵 魯山人の顔 サム・フランシス 芸術新潮昭和45年 骨董百話―17 隋・唐の定窯 芸術新潮昭和45年 骨董百話―18 梁階仙人図 芸術新潮昭和45年 骨董百話―19 司馬江漢染付・気球図皿 芸術新潮昭和45年 骨董百話―20 寂厳書・万戸擣衣声 芸術新潮昭和45年 骨董百話―21 粉引茶碗 芸術新潮昭和45年 骨董百話―22 根来大鉢 芸術新潮昭和45年 骨董百話―23 古信楽自然釉壷 芸術新潮昭和45年 骨董百話―24 円通・慈曇書 芸術新潮昭和45年 四国のやきもの(伝統の陶芸―8) 月刊文化財昭和45年 韓国の旅 陶説昭和45年 安宅コレクションの高麗白磁陰刻文瓶 安宅コレクション特集 陶説昭和45年 出光美術館選書 五中国陶磁(上) 平凡社昭和45年 東洋陶磁展 毎日夕刊昭和45年 砧青磁算木手花入 古美術B昭和45年 東洋陶磁展(座談会) 陶説昭和45年 備前焼 岡山文庫 日本文教出版昭和45年 唐三彩 出光美術館々報昭和46年 骨董百話―25 高山寺漢柿形茶壷 芸術新潮昭和46年 骨董百話―26 木米・山水図 芸術新潮昭和46年 骨董百話―27 彩陶 芸術新潮昭和46年 骨董百話―28 兀菴の書 芸術新潮昭和46年 骨董百話―29 釣窯班文盃 芸術新潮昭和46年 骨董百話―30 楽浪出土の漆絵箱残片 芸術新潮昭和46年 骨董百話―31 李朝白磁面取徳利 芸術新潮昭和46年 骨董百話―32 竹田 三虫図 芸術新潮昭和46年 骨董百話―33 元の染付片 芸術新潮昭和46年 骨董百話―34 米山書 無為 芸術新潮昭和46年 骨董百話―35 古九谷色絵大皿 芸術新潮昭和46年 骨董百話―36 平櫛田中 のんき坊 芸術新潮昭和46年 須恵器 大壷(名品鑑賞) 古美術昭和46年 陶器講座6 中国2 宋 雄山閣昭和46年 中国・台湾やきものの旅 芸艸堂昭和46年 五島美術館(監修) 毎日新聞社昭和46年 文化勲章の荒川豊蔵 志野一すじに 芸術新潮昭和46年 中川伊作新作南蛮展 アート昭和46年 越州窯について アトリエ昭和46年 唐三彩の窯址とその出土地 陶説昭和46年 種子島焼 ご挨拶(山本秀雄編) 八重岳書房昭和46年 古九谷(監修) 集英社昭和46年 南新町白水庵(安田信太郎著) 白水庵昭和46年 中国古陶磁 上(序文) 毎日新聞社昭和46年 中国古陶磁 下(序文) 毎日新聞社昭和46年 台北故宮博物院の宋元古陶磁展 出光美術館々報昭和47年 骨董百話―37 天啓赤絵蓮池水禽文筒茶碗 芸術新潮昭和47年 骨董百話―38 光悦の茶碗 芸術新潮昭和47年 骨董百話―39 三島刷毛目茶碗 芸術新潮昭和47年 骨董百話―40 北宋・漆器皿 芸術新潮昭和47年 骨董百話―41 李朝・彫三島四耳壷 芸術新潮昭和47年 骨董百話―42 玉堂 淡彩山水 芸術新潮昭和47年 骨董百話―43 青織部角平鉢 芸術新潮昭和47年 骨董百話―44 ある禅僧の遺偈 芸術新潮昭和47年 骨董百話―45 絵唐津陶片 芸術新潮昭和47年 骨董百話―46 徽宗皇帝の書 芸術新潮昭和47年 骨董百話―47 元染付釉裏紅窓絵透し彫壷 芸術新潮昭和47年 骨董百話―48 織部の陶片 芸術新潮昭和47年 木葉天目平茶碗 古美術昭和47年 石黒宗麿作陶50選 朝日新聞社昭和47年 現代ヨーロッパの陶芸(三上次男共著) 吹田貿易出版部昭和47年 陶器講座2 日本2 桃山 雄山閣昭和47年 中国陶磁研究の展望(上) 出光美術館々報昭和48年 骨董百話―49 宗達鶴下絵光悦和歌巻 芸術新潮昭和48年 骨董百話―50 高麗青磁瓦 芸術新潮昭和48年 骨董百話―51 李朝白磁面削壷 芸術新潮昭和48年 骨董百話―52 乾山色絵紅葉文壷 芸術新潮昭和48年 骨董百話―53 鍍金銀象嵌竜雲文洗 芸術新潮昭和48年 骨董百話―54 割高台茶碗 芸術新潮昭和48年 骨董百話―55 モザイク色絵ガラス皿 芸術新潮昭和48年 骨董百話―56 鎮海仁寿府銘三島皿 芸術新潮昭和48年 骨董百話―57 倪雲林 漁荘秋霽図 芸術新潮昭和48年 骨董百話―58 ソコタイの壷 芸術新潮昭和48年 骨董百話―59 西域の土俑 芸術新潮昭和48年 骨董百話―60 沖縄の茶碗 芸術新潮昭和48年 唐三彩馬(新資料紹介) 古美術昭和48年 三彩―日本の美術76 至文堂昭和48年 The Heritage of Japanese Ceramics (Translated and Adapted by J.Figgess with an introduction by John A. Pope) Weather hill & Tamkosha昭和48年 La C‘eramique Japonaise. Tradition et Continnite Office de Livre昭和48年 中国陶磁研究の展望(中) 出光美術館々報昭和49年 骨董百話―61 茘枝の絵 芸術新潮昭和49年 骨董百話―62 唐三彩女人俑 芸術新潮昭和49年 骨董百話―63 古信楽の壷 芸術新潮昭和49年 骨董百話―64 明・黄地紅彩皿 芸術新潮昭和49年 骨董百話―65 太宰府出土の漆の残片 芸術新潮昭和49年 骨董百話―66 李朝面取四方飴釉瓶 芸術新潮昭和49年 骨董百話―67 出雲・八重垣神社壁画 芸術新潮昭和49年 骨董百話―68 高麗象嵌青磁金彩文扁壷 芸術新潮昭和49年 骨董百話―69 楽浪出土漆蓋物と残片 芸術新潮昭和49年 骨董百話―70 古越州神亭 芸術新潮昭和49年 骨董百話―71 騎馬人物を貼りつけたイランの土器 芸術新潮昭和49年 骨董百話―72 殷の古銅器の饕餐文 芸術新潮昭和49年 加藤土師萌陶業展に因んで-土師萌さんのスケッチ- 陶説昭和49年 朝鮮のやきもの(序文)高麗李朝の陶磁 朝日新聞社昭和49年 東北のやきもの(序文)ダヴィット・ヘイル著―ダヴィット・ヘイル氏について 雄山閣昭和49年 陶磁選書5 阿波の陶磁(序)(豊田進著) 雄山閣昭和49年 慶州出土の唐三彩鍑 東洋陶磁昭和49年 日本陶磁のあゆみ 歴史手帖(別冊)昭和49年 日本六古窯の思い出 歴史手帖(別冊)昭和50年 骨董百話―73 漢の武人俑 芸術新潮昭和50年 骨董百話―74 金冬心・梅の絵 芸術新潮昭和50年 骨董百話―75 弥生土器の壷 芸術新潮昭和50年 骨董百話―76 殷の青銅水牛 芸術新潮昭和50年 骨董百話―77 元白磁貼花文瓶 芸術新潮昭和50年 骨董百話―78 楽浪出土の玉勝 芸術新潮昭和50年 骨董百話―79 瓦硯 芸術新潮昭和50年 骨董百話―80 絵志野茶碗 芸術新潮昭和50年 骨董百話―81 根来硯箱 芸術新潮昭和50年 骨董百話―82 北魏胡人俑 芸術新潮昭和50年 骨董百話―83 エジプト・コプト織女人図 芸術新潮昭和50年 故宮博物院 講談社昭和50年 金襴手名品集 芸艸堂昭和50年 陶磁大系38 天目 平凡社昭和50年 東洋陶磁大観 第5巻 大英博物館(監修) 講談社昭和50年 世界陶磁全集 全22巻(監修) 小学館昭和50年 韓国陶磁図録―高麗青磁について-(李秉昌刊・未完)昭和50年 現代の陶芸13 塚本快示 人と作品 講談社昭和50年 現代の陶芸13 高鶴元 人と作品 講談社昭和50年 中国陶磁研究の展望(下) 出光美術館々報年度不詳 陶硯襍記1~3 翰林工芸年度不詳 日本の陶磁器1 国際文化年度不詳 日本の陶磁器2 国際文化年度不詳 須恵器の歴史 国民の歴史年度不詳 萌黄金襴手耳盃と赤地金襴手盃台 古美術B年度不詳 宋磁概説 別冊三彩年度不詳 陶磁鑑賞1~3 三彩年度不詳 日本陶磁概説―日本陶磁史における唐津焼 新郷土年度不詳 礼賓三島 須貴年度不詳 支那の赤絵 造形芸術年度不詳 高麗茶碗 淡交年度不詳 日本陶磁の故郷 淡交増刊年度不詳 古瀬戸 茶わん年度不詳 支那の青磁 中央公論年度不詳 越前の古窯 陶磁味年度不詳 鎌倉海岸の青磁片 ドルメン年度不詳 最近刊行の欧文東洋陶磁器文献について 陶磁年度不詳 青磁の展望 日本美術工芸年度不詳 日本陶磁史の展望 日本美術工芸年度不詳 陶磁に現われた中国の文化 日本美術工芸年度不詳 元屋敷窯の業績 日本の茶道年度不詳 青磁馬蝗絆2 日本の茶道年度不詳 馬蝗絆天目合せ鏡1 日本の茶道年度不詳 宋赤絵に就いて 美術工芸年度不詳 明赤絵について 美術工芸年度不詳 窯郷磁州 汎究美術年度不詳 満州の古窯址 民芸(A)年度不詳 金稜の越器 やきもの趣味年度不詳 北京歴史博物館の2・3の陶瓷 やきもの趣味年度不詳 窯址とその探索者 歴史公論年度不詳 美濃古窯 焼物のこころ(座談会) わび年度不詳 茶陶の鑑賞 安南の染付 わび年度不詳 陶器講座9 雄山閣年度不詳 Liao Pottery Wares(Translated from the Japanese by John Figgess) Transaction of the Oriental Ceramic Society年度不詳 扶安の高麗古陶磁について 好古(この著作目録は、出光美術館編「小山冨士夫先生著作目録(稿)」から転載させていただきました)

今泉今右衛門

没年月日:1975/05/02

陶芸家、重要無形文化財、色鍋島技術保存会長の今泉今右衛門は、5月2日午前8時40分、入院先の佐世保市の同仁会病院で急性じん不全のため死去した。享年77歳。明治30年9月25日佐賀県の十一代今右衛門の長男として生まれた。県立有田工業学校卒業。江戸時代からの伝統を誇る有田焼「色鍋島」の上絵付け技法を伝承し、昭和23年、約300年続く今泉今右衛門の十二代目を襲名した。同27年にはその伝承技法に対し文化財保護委員会より重要無形文化財の指定を受けた。同29年、第1回日本伝統工芸展に招待出品し、翌年の第2回同展では、それを主催する日本工芸会の正会員に推せんされた。同32年の第3回同展出品作「更紗文八角皿」が政府より印度ネール首相に贈呈された。翌33年には「更紗文八角大皿」が宮内庁買上げとなった。また同年に一水会陶芸部が新設され審査委員に推挙された。この年はブラッセル万国博覧会でも金賞を受賞した。同42年に紫綬褒章、46年に彼が会長の色鍋島技術保存会に対し重要無形文化財の総合指定を受けた。翌47年勲四等旭日章をうける。48年には技術を記録するため、文化庁より映画「色鍋島」が制作された。50年5月2日死去、内閣より従五位をうけ、有田町名誉町民の称号を受けた。

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