鈴木盛久
南部釜師の記録選択無形文化財南部茶の湯釜の技術者、鈴木盛久は、11月15日午前0時25分、肝臓ガンのため岩手県盛岡市の盛岡赤十字病院で死去した。享年80。鈴木盛久は本名を繁吉(はんきち)といい、明治29(1896)年2月14日盛岡市に生まれ、15才のときから父の先代盛久に鋳造技術を学んだ。以後、盛岡にあって伝統的な南部鉄器製法の技術を研究し、大正13(1924)年、釜師として第13代盛久を継ぎ、その活躍は海外にも知られた。昭和49(1974)年には南部鉄器の伝統的技術保持者として国の無形文化財の技術者の指定をうけている。
略年譜
明治29年(1896) 2月14日、盛岡市に生まれる。
大正12年 盛岡市長より模範技術士の称をうける。
昭和4年 ベルギーのリエージュ万国博に出品、金賞をうける。
昭和21年 日展に入選、以後毎回入選
昭和27年 日展出品作「八卦文独楽釜」特選となる。第5回岩手日報文化賞をうける。
昭和31年 秩父宮妃献上の茶の湯の湯釜を制作
昭和32年 日ソ国交回復記念日本工芸美術展に出品、その技術をソ連から高く評価され、その作品はソ連の美術館へ収蔵される。
昭和33年 岩手県紫波郡高金寺の梵鐘を制作。
昭和34年 ベルギー・ブリュッセル万国博に出品、グラン・プリをうける。盛岡市制70周年記念文化芸術功労者に選ばれる。黄綬褒章をうける。
昭和35年 日展委嘱となる。アメリカ・ウォーカー美術館現代デザイン展に出品。
昭和36年 東京日本橋三越において第1回茶の湯釜展。
昭和37年 大阪・好友クラブにおいて茶の湯釜展。
昭和38年 東京日本橋三越において第2回茶の湯釜展。
昭和39年 北九州市小倉区の浄土寺の梵鐘を制作。
昭和40年 東京日本橋三越において第3回茶の湯釜展。
昭和41年 岩手日報90周年記念行事として同社主催の茶の湯釜展を開催。この年、勲六等単光旭日章をうける。
昭和44年 東京日本橋三越において第4回茶の湯釜展。
昭和47年 東京日本橋三越において第5回茶の湯釜展。
昭和48年 盛岡市にて喜寿記念茶の湯釜展。
昭和49年 文化庁より記録選択無形文化財の技術者の指定をうける。
昭和50年 岩手日報社主催の重要無形文化財指定記念展を開催。盛岡市本誓寺の梵鐘を制作する。
昭和51年 11月15日、盛岡赤十字病院にて没。勲五等雙光旭日章をうける。
登録日:2014年04月14日
更新日:2024年09月04日 (更新履歴)
例)「鈴木盛久」『日本美術年鑑』昭和52年版(288-289頁)
例)「鈴木盛久 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9515.html(閲覧日 2024-12-02)