月岡勝三郎

没年月日:1976/01/06
分野:, (工)

 日本の伝統工芸である切金砂子(きりかねすなご)の数少ない技術保持者である二代月岡勝三郎は、前年末自宅仕事場で、脳いっ血のため倒れたが、1月6日入院先の神田和泉町の三井記念病院で逝去した。享年70。本名仙太郎。明治38(1905)年12月11日初代月岡勝三郎の長男として東京神田に生れ、幼時から父に「切金砂子」の技術指導を受けた。昭和3(1928)年に初代没してのちは、二代目を継承し、現在に至る。この間昭和31(1956)年10月には、日本伝統工芸展に初入選し、正会員となり、また東京芸術大学、愛知県立芸術大学、武蔵野美術大学、女子美術大学日本画科講師をつとめ、工芸技術指導所専属作家并に指導員でもあった。主要作品に明治宮殿東車寄の戸襖、壁張りの金雲形砂子、霞砂子蒔、鎌倉円覚寺白竜誕生(前田青邨監修、守屋多々志画)の砂子蒔などがある。「切金砂子」は、「金銀砂子」ともいわれ、襖や屏風、色紙、短冊、扇子などに金箔や銀箔、金銀泥を膠で定着させる技術で、古くは「平家納経」や、近代では「熱国之巻」(今村紫紅筆、重文指定)などにその秀れた技術が示される。しかし、作品に格調高い装飾的効果をもたらすものの、美術史の上では、その技術者を明示することもなく、職人芸として永く扱われてきた。近来その技術を高く評価する人たちから、無形文化財(人間国宝)に推薦されたが、氏はそれの実現を見ずして死去した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(269頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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