小林萬吾

没年月日:1947/12/06
分野:, (洋)

帝国芸術院会員、小林萬吾は12月6日逝去した。享年78。[※68とあるのを78に修正してある]明治3年香川県三豊郡に生れた。明治19年原田直次郎、安藤仲太郎等に就き西洋画の手ほどきを受うけ、次で天真道場に入り黒田清輝の指導をうけた。明治23年及び28年の第3、第4回内国勧業博覧会には油絵を発表各褒賞を得ている。同29年東京美術学校に西洋画科が設置されるや西洋画科選科に入学、又この年創立された白馬会の最初の会員となり、第1回展に油絵4点を出品、以後同会展覧会に出品を続けた。31年に美術学校選科を卒業し翌年同校雇となり更に翌33年同校西洋画科助手となり、37年には助教授に任ぜられた。明治40年第1回文展に「物思」、第3回文展に「渡船」を出品、何れも3等賞を授けられた。44年には文部省から独仏伊に留学を命ぜられて渡欧、大正3年に帰朝、その年の文展には滞欧作品を発表した。以後文展には毎年出品、終始穏健な作風をもつたものであつた。大正5年東京高等師範学校教授を兼任、又光風会々員となり、同7年東京美術学校教授となった。同9年帝展審査員、昭和10年帝国美術院改組により帝院参与となり、引続き官展の展覧会委員、審査員として毎回作品も出品した。同15年帝国芸術院会員に任ぜられ同19年東京美術学校教授を依願免官となり勲3等瑞宝章、正4位に叙せられた。官展系作家として晩年迄活躍したが、昭和22年12月6日午後3時鎌倉市の自宅で逝去した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和22~26年版(136頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小林萬吾」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(136頁)
例)「小林萬吾 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8692.html(閲覧日 2024-04-24)

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