押田翠雨

没年月日:1985/05/21
分野:, (日)

 日本画院同人の日本画家押田翠雨は、5月21日午後5時25分、肺不全のため東京都新宿区の慶応病院で死去した。享年92。明治25(1892)年9月29日東京小石川に哲学者井上哲次郎の次女として生まれ、本名スガ子。同44年東京府立第二高等女学校(現都立竹早高校)を卒業し、永地秀太に師事、洋画を学ぶ。大正13年二科会信濃橋(大阪)研究所に入り、同15年赤松麟作に師事。昭和3年には岡田三郎助の研究所に入り、また7年小林萬吾に師事する。戦後日本画に転じ、22年水上泰生に学び、26年より野田九浦に師事、日本画院に入会する。以後同会に出品し40年第25回日本画院展で記念賞を受賞した。56年11月新宿三越で「押田翠雨日本画展」を開催、6曲1隻の屏風「孝女白菊」(東京都近代文学博物館)を出品する。これは絵の上に「孝女白菊詩」全文を書いたものであったが、明治21年歌人落合直文が発表した長編の新体詩がよく知られる同詩の原作が、父井上哲次郎であることを示し、話題となった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(253頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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