富山秀男

没年月日:2018/12/20
分野:, (学)
読み:とみやまひでお

 近代日本美術の研究者で、京都国立近代美術館、ブリヂストン美術館の館長を歴任した富山秀男は12月20日、胃がんのため死去した。享年88。
 1930(昭和5)年7月26日、東京に生まれ、53年に東京教育大学教育学部芸術学科を卒業、同年国立近代美術館(1967年に東京国立近代美術館に改称)に研究員として採用された。76年4月に国立西洋美術館学芸課長に異動。82年8月に東京国立近代美術館次長となる。1992(平成4)年4月、京都国立近代美術館長となる。98年まで同美術館に勤務した後、同年6月にブリヂストン美術館長となる、2001年には、勲三等旭日中綬章を受ける。02年から13年まで、式年遷宮記念神宮美術館長を務めた。
 東京国立近代美術館に在職中は、今泉篤男河北倫明本間正義という歴代3人の次長から薫陶を受けた。とりわけ河北倫明とは、その晩年まで親交があり、多くの影響を受けたといわれる。89年に河北倫明夫妻が、若手研究者と美術家を顕彰する目的で公益信託として設立した倫雅美術奨励賞では、20年以上にわたり同賞の運営委員長を務めた。
 研究面では、岸田劉生の研究が特筆される。没後50年にあたる79年にあたり、画家の遺族ならびに各界の劉生愛好者と研究者によって企画された、劉生芸術顕彰を目的とする展覧会開催、全集、画集の刊行の計画と実施にあたっては、いずれにも深く関与した。国立西洋美術館に勤務していた79年に、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館において「没後50年記念 岸田劉生展」が開催された折には、調査の面で協力を惜しまなかった。また、『岸田劉生全集』全10巻(岩波書店、1979年から80年)にあたっては、編集のための委員となり、84年に刊行された東京国立近代美術館監修『岸田劉生画集』(岩波書店)では、編集委員を務めた。これらの成果をもとに86年には、単著として『岸田劉生』(岩波新書)を刊行した。同書は、今日まで岸田劉生を知るための入門書であり、実証的な評伝として高く評価されている。
 その他、主要なものを下記にあげるように画集等の編著が多数ある。
 岡鹿之助共著『世界の名画 第6巻 ルソー・ルドン』(学習研究社、1965年)
 『近代の美術 第8号 岸田劉生』(至文堂、1972年)
 山崎正和、高階秀爾共著『世界の名画 第7巻ルノワール』(中央公論社、1972年)
 『日本の名画41 国吉康雄』(講談社、1974年)
 『日本の名画21 岸田劉生』(中央公論社、1976年)
 『近代の美術 第42号 安井曾太郎』(至文堂、1977年)
 『原色現代日本の美術 第7巻 近代洋画の展開』(小学館、1979年)
 『日本水彩画名作全集4 岸田劉生』(第一法規出版、1982年)
 『近代日本洋画素描大系3 昭和1 戦前』(講談社、1984年)
 原田実共編著『20世紀日本の美術14 梅原龍三郎/安井曾太郎』(集英社、1987年)
 浅野徹共編著『20世紀日本の美術15 岸田劉生/佐伯祐三』(集英社、1987年)
 『日本の水彩画17 萬鉄五郎』(第一法規出版、1989年)
 『昭和の洋画100選』(朝日新聞社、1991年)
 『日経ポケットギャラリー 佐伯祐三』(日本経済新聞社、1991年)
 安井曾太郎梅原龍三郎、岸田劉生をはじめとして、大正、昭和期の洋画家の中心とする実証的な美術史研究が中心であったが、実際に接してきた巨匠といわれる画家たち、あるいは画家を直接知る多くの関係者との間で生まれた豊富なエピソードの数々は、残された多くの画家論のなかで巧みに織り込まれている。そして草創期の国内の主要な美術館に勤務し、しかも館長としてその運営にあたった一貫した美術館人であった。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(532頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「富山秀男」『日本美術年鑑』令和元年版(532頁)
例)「富山秀男 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995886.html(閲覧日 2024-06-23)

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