源豊宗

没年月日:2001/01/17
分野:, (学)
読み:みなもととよむね

 国内最高齢の美術史家であり、関西学院大学教授、帝塚山学院大学教授、文化財保護審議会専門委員、美学会委員等を歴任して、我が国における美術史研究の活性化に努めた源豊宗は、1月17日午前0時43分、老衰のため京都市左京区の高折病院で死去した。享年105。源は1895(明治28)年福井県武生市に生まれ、1921(大正10)年に京都帝国大学文学部史学科を卒業した。卒業後は京都帝国大学の講師を務め、この間の教え子に井上靖や河北倫明がいる。24年に創刊された研究雑誌「仏教美術」の主幹を1933(昭和8)年まで努め、多数の論文を発表するかたわら、地方の仏教美術作品等を積極的に紹介し、美術史研究の体系化と活性化に努力した。40年に初版を刊行した『日本美術史年表』(星野書店)は、年表という形式によって、日本美術の流れを世界美術史や国内外の諸文化の事象と対比しつつ体系化する試みであった。美術史研究の折りの必須な資料として高く評価され、72年、78年に座右宝刊行会から増補改訂された版が刊行されたが、源はその後もさらにそれを充実させる努力を続けていたという。82年、日本美術研究における多大は業績が評価され、朝日賞が授与された。また84年には京都市文化功労賞表彰を受けている。源の日本美術研究は、古代から近現代にまで及ぶ広汎なものである。中でも、日本美術における美意識の伝統の追求に力を注いだ。季節や時の移ろい、無常観の表現こそが日本美術の特質であり、その典型が秋草であるという「秋草の美学」を独自に展開させた。広範囲にわたる美術研究の成果は、『日本美術論究 源豊宗著作集』全7巻(既刊第1巻~第6巻 思文閣出版 1978~1994年)にまとめられた。その他の主な著書としては、『桃山屏風大観 附解説』(中島泰成閣 1934年)、『南禅寺蔵花鳥扇面画集』(芸艸堂 1936年)、『大徳寺』(朝日新聞社 1956年)、『大和絵の研究』(角川書店 1961年)、『光悦色紙帖』(光琳社 1966年)、『光琳短冊帖』(光琳社 1967年)などがある。源は、大学で美術史研究者を育成するかたわら、39年の秋以来、大阪を拠点とした日本美術愛好家のための講座である「金葉会」を毎月開催し、その講師を務めるなど、日本美術研究の普及の面でも大きな功績があった。『日本美術論究 源豊宗著作集』第7巻の執筆も既に終わっていたとのことで、現役の美術史家として、常に意欲的に活躍した人であった。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(233頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「源豊宗」『日本美術年鑑』平成14年版(233頁)
例)「源豊宗 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28210.html(閲覧日 2024-03-19)

以下のデータベースにも「源豊宗」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top