- 本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された彙報・年史記事を網羅したものです。
- 現在、2019年/平成31(令和元)年まで公開しています。(記事件数
5,450 件)
1992年06月 紀元4世紀頃から6世紀中葉に朝鮮半島南部、洛東江流域にあった小国家群「伽耶」は、その存在は知られながら、文献資料の不足から実像を知ることが困難とされてきた。近年の発掘のめざましい成果をもとに、伽耶文化の豊かさと日本との交流を探る「伽耶文化展」が30日から東京国立博物館で開かれた(~8.9)。韓国での出土品300余点と日本との交流を示す国内出土品約40点を展示する充実した展観となった。同展は京都国立博物館(8.25~9.20)、福岡県立美術館(10.3~11.3)に巡回した。
1992年06月 東京池袋駅西口に新設されたステーション・ビルの1階から3階を占める総面積2200平方メートルの大型美術館として東武美術館(山中鏆館長)が10日に開館。開館を記念して「エルミタージュ美術館展」が開かれ、17世紀オランダ・フランドル絵画を中心とする約120点が展観された。同館は年1回ずつテーマをたててエルミタージュ美術館の絵画を紹介する計画。
1992年06月 日本美術協会主催の高松宮殿下記念世界文化賞第4回受賞者5名が11日、イタリア・ローマのカンピドリオ・カピトリーノ博物館で発表された。絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像5部門のうち、美術関係では絵画部門でフランスのピエール・スーラージュ、彫刻部門でイギリスのアンソニー・カロ、建築部門でアメリカのフランク・O・ゲーリーがそれぞれ選ばれた。
1992年05月 文化財保護審議会(鈴木勲会長)は15日、美術工芸品関係の重要文化財として、京都府相楽郡山城町の椿井大塚山古墳の出土品等28件を新たに指定するよう鳩山文相に答申した。これによって美術工芸品の重要文化財は9647件(うち国宝829件)となった。また、同審議会は29日、新規8件、追加2件の建造物を重要文化財に、6件を史跡に指定するよう文相に答申。これによって建造物の重要文化財は2815件3432棟となった。
1992年06月 昨年から文化庁が取り組んで来た在外日本美術品修復事業の成果として、アメリカ・フリーア美術館所蔵「紙本著色斎宮女御図」等6点が、日本での修復を終え、9日、東京国立文化財研究所で報道関係者に公開された。
1992年04月 明治時代を対象とする学術・芸術への功績を顕彰する明治村賞の第18回目の受賞者は、関野克(「明治建築の調査研究と保存にかかわる先駆的・指導的貢献」に対して)に決定した。
1992年04月 産業デザインと建築デザインを専門とする愛知産業大学が開校(安藤万寿夫学長)。愛知技術短大、東海産業短大等を経営する愛知水野学園が母体となり、造型学部内に産業デザイン科、建築学科の2学科をおく単科大学として発足し、実践的な知識の修得を重視していく方針である。
1992年05月 日本語で出版されたイタリア文化に関する著作を顕彰するマルコ・ポーロ賞の第15回目の受賞者は、佐々木英也監修、森田義之責任編集による『NHK フィレンツェ・ルネサンス 全六巻』(日本放送出版協会)に決まった。
1992年04月 昭和63年4月から閉館していた静嘉堂文庫展示館が12日、静嘉堂文庫美術館(米山寅太郎館長)として開館。鉄筋コンクリート地上1階地下2階建、延床面積1242平方メートルの新館は、旧展示館に比べ床面積で約3倍の広さ。開館展は「中国陶磁展」で、岩崎弥太郎、小弥太コレクションのうち名品65点が展示された。
1992年04月 ロダンに学び、肖像、裸婦を得意とした彫刻家高田博厚の作品を常設する長野県豊科町立の豊科近代美術館(務台丈彦館長)が18日開館。鉄筋コンクリート2階建、延床面積3062平方メートルの1階常設展示場に高田作品を常設。2階は企画展等に用いられる。彫刻の他、高田によるデッサン、油彩画、資料等も収集していく方針。また、14日、写真家入江泰吉の全作品約8万点を収めた奈良市写真美術館が開館。地上1階地下1階、延床面積2300平方メートルの同館は西日本で初めての写真美術館となり、管理運営は入江泰吉記念写真美術財団(井岡重信理事長)があたる。
1992年03月 アメリカのアリゾナ州スコッツデイルにある建築家ライトを記念したフランク・ロイド・ライト文書館でいままで不明であった版木53枚が広重のものと確認された。版木は、広重の「江戸名所張交図絵」のもとで、これまで同作品は存在だけが知られていた。1913年に来日したライトは日本美術品も収集しており、その時に収集されたものと思われる。1986年にボストン美術館で確認された北斎の版木に次ぐ、大量の浮世絵版木の確認となった。
1992年04月 日本の抽象絵画をその発生から戦前まで跡づける「日本の抽象絵画-1910~1945」展が4日から東京の板橋区立美術館で開催された(~5.10)。同展は美術館学芸員の共同研究、および日本の抽象絵画の悉皆調査をもとに、明治末期から戦前までの約180点の作品で構成され、展覧会企画のあり方としても注目された。板橋区立美術館の後、共同研究にかかわった主要な館、岡山県立美術館(5.15~6.21)、姫路市立美術館(7.11~8.9)、京都府京都文化博物館(8.22~9.13)、北海道立函館美術館(9.26~10.25)、秋田市立千秋美術館(10.30~11.29)でも展観された。
1992年03月 美術とオペラの分野での優秀な新人を顕彰し、助成する五島記念文化賞の第3回目の美術部門の受賞者は、彫刻家松井紫朗、日本画家坂本幸重、造形作家松本秋則に決定した。
1992年03月 日本芸術院(犬丸直院長)は23日、平成3年度(第48回)日本芸術院賞受賞者11名、うち恩賜賞受賞者1名を決定した。美術関係では、恩賜賞に書家成瀬映山(第23回日展出品作「杜甫詩」に対して)、芸術院賞に日本画の山岸純(第23回日展出品作「樹歌」に対して)、洋画の平松譲(第23回日展出品作「TOKYO」に対して)、彫塑の柴田鋼造(第23回日展出品作「香雲」に対して)、工芸の永井鉄太郎(第23回日展出品作「うつわ・その六」に対して)、建築の黒川紀章(平成3年完成の「奈良市写真美術館」に対して)が選ばれた。授賞式は6月1日、東京・上野の日本芸術院会館で行なわれる。
1992年03月 海外16ケ国41、国内51のギャラリーが参加し、約1500点の現代美術作品を展示した「国際コンテンポラリー・アートフェアNICAF YOKOHAMA’92」が、横浜のパシフィコ横浜を会場に開かれた。13日がグランド・オープニング、一般公開は14日から17日までで、現代美術に対する一般の関心を高めると共に、美術品流通に開かれた新しい場を提供するのがねらい。初日だけで15,152人の入場があり、盛況を呈した。
1992年03月 日本人の詩人野口米次郎を父に、米国人を母に持った20世紀彫刻界の巨匠イサム・ノグチの作品約100点により、その仕事を回顧する展観が14日から東京国立近代美術館で開催された(~5.10)。初期から晩年までを6部構成で系統だてた展示がなされ、没後4年にして開かれた本格的回顧展となった。同展は5月26日から7月5日まで京都国立近代美術館でも開かれた。
1992年03月 中国湖北省随州市擂鼓?付近で発見された中国戦国時代前期の曽国の君主乙の墓「曽侯乙墓」の発掘は、近年の中国考古学屈指の大発見といわれる。中国古代青銅器文化のひとつの頂点を示すその出土品を展示する「曽侯乙墓」展が、17日から東京国立博物館で開かれた(~5.10)。発掘時に話題となった65個の青銅製の鐘の編鐘の複製品も展示され、毎日演奏されて古代の音をしのばせた。
1992年02月 明治時代末期に日本に紹介されて以来人気を博している画家ゴッホは、浮世絵等の日本美術を研究して新たな画風を獲得したことでも知られる。こうした日本との関係に注目し、油彩画・デッサン31点、ゴッホと弟テオの収集した浮世絵51点を含む100点あまりの作品を展観する「ゴッホと日本展」が、18日から3月29日まで京都国立近代美術館で開かれた。
1992年02月 第42回芸術選奨受賞者が26日、文化庁から発表された。美術関係では、文部大臣賞15名の中に洋画家野見山暁治(「野見山暁治展」で発表された「1991年の夏」「冷たい夏」などに対して)、染色家森口邦彦(「第38回日本伝統工芸展」「森口邦彦の友禅着物展」の諸作品に対して)が選ばれ、新人賞11名の中に彫刻家安田侃(路上展「彫刻の道」、「15人の日本の現代彫刻家たち」での一連の作品に対して)が選ばれた。
1992年02月 日本の国際貢献のひとつの柱として国際的文化財保護を掲げ、その方向をさぐろうとする「国際文化交流シンポジウム」(朝日新聞社主催、外務省・文化庁・文化財保護振興財団・芸術研究振興財団後援)が、15日、東京の青山スパイラルホールで開かれた。第1部「日本の文化的国際貢献を考える」、第2部「在外日本美術品の修復対策」の2部構成で、各部数人のパネリストにより現状、問題点が指摘され、有意義な企画となった。