日本芸術院補充会員候補決る
1950年10月日本芸術院では欠員の補充候補として九名を七日内定した。第一部では日本画の堂本印象、山口蓬春、洋画の中村研一、工芸の高村豊周、堆朱楊成が推薦された。
日本芸術院では欠員の補充候補として九名を七日内定した。第一部では日本画の堂本印象、山口蓬春、洋画の中村研一、工芸の高村豊周、堆朱楊成が推薦された。
日展参加洋画六団体に所属する中堅作家、高田誠、広瀬功ら一二名により青丘会が結成された。
さきに自由美術家協会を脱退した荒井竜男、山口薫ら八名は新たにモダンアート協会を結成した。
小石川に本邦最初の華道文化会館が建設された。
文化財保護法施行と同時に旧国宝保存法が消滅したので同委員会では旧法による指定文化財を所有しているものは一一月二八日までに届出るよう通達した。
横山大観は三〇日芸術院会員を正式に辞任した。
文部省日本花道展運営委員会主催第一回展が二九日より銀座松坂屋で開催された。
東京美術学校の出身者で挿絵、表紙絵などを執筆している一六名により組織、第一回上野会挿絵展を一八日より資生堂で開催した。
国画会の香月泰男、杉本健吉、須田剋太ら一五名は研究団体として型生派美術家協会を結成二七日から第一回展を三越本店に開いた。
さきに調査の行われた中尊寺遺体を永久に保存するため二五日その措置が実施された。
五月来日以来、各スケジユールを終つたイサム・ノグチは五日空路帰米した。
二科会々員岡田謙三はこの月渡米した。
毎日新聞社主催の下に同時期にパリーで日本現代陶磁展を、東京でフランス戦後新鋭作家の絵画展サロン・ド・メイを開くことに決定した。
太平洋画会を脱退した吉田ふじを、吉田遠志、浅井真、海州正太郎ら八名はプラス美術家群を結成した。
総司令部民間財産管理局の覚書により現行著作権法を改正することゝなり文部省では著作権法改正案起草審議会を設けることとなつた。
国宝松本城は破損変化著しいので五ヶ年計画で修理工事に着手した。
文化財保護委員会事務局長に二九日森田孝が任命された。
国立博物館々長高橋誠一郎は二九日同館長を免ぜられ同日国立博物館々長事務取扱となる。
文化財保護委員会は五委員を正式任命、高橋誠一郎を委員長として文部省内に事務局をおき二九日正式に発足した。