杉本健吉

没年月日:2004/02/10
分野:, (洋)
読み:すぎもとけんきち

 洋画家の杉本健吉は、2月10日午前5時52分、肺炎のために名古屋第二赤十字病院で死去した。享年98。1905(明治38)年9月20日、名古屋市に生まれる。1919(大正8)年津島尋常小学校を卒業後、愛知県立工業学校図案科に入学。23年同校を卒業し、25年に兵役検査を受けるまで織物商で図案を描きながら制作を行う。25年、敬慕する岸田劉生を京都に訪ね師事した。第1回展に落選した春陽会に、26年第4回展で「花」「静物」が初入選。翌1927(昭和2)年には第1回大調和会にも出品。31年に初出品した後国画会展に出品を続け、38年同人になる。名古屋市内の広告スタジオ勤めを経て29年に図案家として独立、観光関係のポスター制作も行った。また岸田の没後、35年には椿貞雄の紹介で梅原龍三郎を訪ね私淑している。40年頃から訪れるようになった奈良では、寺院や仏像、風物などのモチーフの他に、幅広い人間関係を得る。49年には上司雲海師の知遇を機縁に、東大寺観音院の古い土蔵をアトリエとして使うようになり、ここで會津八一や入江泰吉らと出会う。またそれらの交流の中から、吉川英治の連載小説『新・平家物語』の挿絵を担当した。7年にわたった『週刊朝日』誌上でのこの連載は、挿絵画家としての杉本を著名にした。その後も58年には吉川の連載小説『私本太平記』、『新・水滸伝』の挿絵を描く。戦前の修業時代には鉛筆を片時も離さなかったという杉本は、素描を大切にし、ジャンルや画材、描法にとらわれず、水彩や水墨、油彩などそれぞれの特徴を生かして感興を表現した。それらは時におおらかな、時に繊細な筆遣いによくあらわれている。62年以降はインド、中近東、南ヨーロッパを皮切りに、中国、韓国、スペインなど各地を訪れ、多くのスケッチを残している。そのほか、83年には大阪四天王寺太子絵堂障壁画を完成させている。国画会は第二次大戦による休止を挟んで69年の43回まで連続して出品、71年に同会を退会、無所属となる。この間、42年第5回新文展では特選を受賞。46年の第1回日展に出品、第2回日展では特選を受けている。昭和20年代から画廊や百貨店での個展も多数開催し、1994(平成6)年には愛知県美術館で「杉本健吉展 画業70年のあゆみ」と題された大規模な展覧会も開かれた。87年には愛知県南知多に杉本美術館が、94年には新館も開設された。出版物は秋艸道人(會津八一)歌、杉本画で54年『春日野』(文芸春秋社)があるほか、画集は60年『墨絵奈良』(角川出版)、67年『幻想奈良』(求龍堂)、81年『杉本健吉素描集』(朝日新聞社)など多数。48年に第1回中日文化賞を受賞している。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(344頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「杉本健吉」『日本美術年鑑』平成17年版(344頁)
例)「杉本健吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28288.html(閲覧日 2024-06-21)

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