「美の国」復刊
1948年01月美術雑誌「美之国」の復刊第二巻第一号が発行された。大正一四年創刊されて以来美術雑誌として著実な地歩を占めて来たが、昭和一九年「日本美術」と改題、さらに休刊に至り、二一年一二月復刊第一号を出したが続かず、こんど復刊第二巻第一号を出した。
美術雑誌「美之国」の復刊第二巻第一号が発行された。大正一四年創刊されて以来美術雑誌として著実な地歩を占めて来たが、昭和一九年「日本美術」と改題、さらに休刊に至り、二一年一二月復刊第一号を出したが続かず、こんど復刊第二巻第一号を出した。
日本美術出版株式会社から月刊美術雑誌「美術手帖」が創刊された。
年一回新進画家中の優秀作家に贈られる一灯賞の第一回(二二年度)は安井曽太郎の推薦による一水会の奥田郁太郎に決定した。
二月アメリカのフイラデルフイヤ美術館で開かれるマチス作品展に、大原美術館所蔵のマチスの作品が出品されることに決定し、二八日アメリカ船で送り出された。「マドモアゼル・マチスの像」と「エトルタ海岸」の二点である。
世界性に立脚する日本絵画の創造を目ざし、東京と京都の日本画家が呼応して、在野日本画団体創造美術が二六日結成された。東京側では山本岳人、吉岡堅二、福田豊四郎、橋本明治、加藤栄三、高橋周桑、京都側では上村松篁、菊池隆志、向井久万、奥村厚一、秋野不矩、沢宏靭、広田多津が創立委員となり、九月東京都美術館で第一回展を開いた。動きの少い日本画壇に清新な息吹を吹きこむものとして美術界の注目を集めた。
二〇日から二月五日まで銀座三越で新着のフランスの画集などから集めたフランス絵画複製展が開かれた。久しく途絶えていた海外美術の渇を医すものとして注目された。
横山大観は二〇日東京駅に「霊峰富士」の絵を寄贈した。同駅貴賓室に掲げられることになつた。
昭和一九年一二月から閉鎖していた明治神宮聖徳記念絵画館は一〇日から再開した。