二科会一部会員を除名
1946年09月二科会では八月三一日総会を開いて官展に参加せずといふ規約削除を決議し、日展参加問題をめぐつて分裂した。あくまで反官展を唱へる林是、西田明史、松村外次郎、渡辺義知、名井万亀の不参加組は二日声明書を出した。これに対して民主化した日展には参加するといふ態度をとる東郷青児、高岡徳太郎等は三日不参加組を除名し声明書を発表した。
二科会では八月三一日総会を開いて官展に参加せずといふ規約削除を決議し、日展参加問題をめぐつて分裂した。あくまで反官展を唱へる林是、西田明史、松村外次郎、渡辺義知、名井万亀の不参加組は二日声明書を出した。これに対して民主化した日展には参加するといふ態度をとる東郷青児、高岡徳太郎等は三日不参加組を除名し声明書を発表した。
財産税の実施によつて国宝や重要美術品も課税の対象となり、個人所有のものなどは転売等によつて保存上支障を来す恐れがあるので、文部省、国宝保存会等では大蔵省、国会等に働きかけ減税をはかつたが不可能となつた。
大正一三年四月創刊されて以来続いて来た美術雑誌「アトリヱ」は一時「生活美術」と改称され、その後中断されていたが今月より再び「アトリヱ」として復刊した。
戦時中結成された日本美術及工芸統制協会は二三日解散した。
前文部大臣安部能成は帝室博物館総長に就任した。
戦後始めての国宝保存会が二三日開催され、川越の喜多院、東京の寛永寺清水堂、浅草寺二天門など十件の建造物が国宝に指定され、八月九日発表された。
美術教育の検討拡充を計画して中等師範学校の美術教育関係者による全国美術教育連盟が二一日創立総会を行つた。
文部省では国宝二九三件、重要美術品一三四件史跡名勝天然記念物四四件の罹災数を一日発表。
輸出をめざしてわが国の美術及び工芸品の基準を確立するため第一回日本美術及工芸交易振興展覧会が東京都美術館で二八日から七月八日まで開かれた。日本美術及工芸品株式会社主催、貿易庁後援によるもので、第一部産業工芸、第二部第一類日本画、第二類洋画、水彩、版画、第三類彫刻、第四類工芸美術にわけて公開された。
帝国学士院では二一日欠員の補充を決定し、故滝精一の補欠として上野直昭が推薦された。
旧プロレタリヤ美術作家同盟の作家一一名によつて東西美術文化の交流による綜合レアリズムの確立をめざして現実会が結成され、六月六日より二五日まで第一回展が東京都美術館で開催された。
大衆芸術の前進を目的として新日本芸術家聯盟が三日発会式を挙げた。石井柏亭、大仏次郎らが理事に選ばれた。
早稲田大学文学部に芸術学科が新設され、演劇、映画を主として美術音楽に関する講座を併置した。
二六、七の両日しばらく中止していた法隆寺保存協議会が開かれ法隆寺解体復原工事について種々協議した。
作家相互の研究及後進指導の目的をもつて東京に水彩聯盟研究所が開設された。
上野の東京美術学校に今年始めて女子学生の入学が許可され、三五名が試験に合格入学した。
東京都美術館で開催中の第二〇回国画会展の梅原竜三郎二〇年史室に陳列されていた「雪?」が二七日朝盗まれたが、三〇日犯人の画家が検挙され作品は無事にかえつた。
美術界の民主化をめざして内田巌、硲伊之助、福田豊四郎、本郷新ら各派の進歩的美術家によつて日本美術会が結成され、二一日自由学園に於て発会式を挙げた。