早苗会解散

1943年02月

京都画壇の大塾早苗会は会長川村曼舟の逝去により存続如何を検討の処、創始者故山元春挙家より解散希望の申出があり師家の意見を重んじ五日同塾物故者追悼会を執行、故山元春挙の墓に詣で解散した。

朝日文化賞贈呈式挙行

1943年01月

二十九日朝日新聞東京本社貴賓室に於て十七年度朝日文化賞贈呈式が挙行された。美術部門は藤田嗣治「シンガポール最後の日」其他、中村研一「コタバル」の作戦記録画が選ばれた。尚同日午後六時より日比谷公会堂に於て記念講演会が催された。

帝国芸術院会員献納画作製

1943年01月

二十六日帝国ホテルで清水院長始め、帝国芸術院美術部の横山大観川合玉堂等三十余名大政翼賛会から後藤事務総長、高橋文化部長出席、時局に関する意見を交換し、日本画会員は三尺幅各自五点、他は点数随意で年内に完成建艦に献納を決定。

日本画家報国会の献納運動

1943年01月

芸術院会員の献画計画に歩調を合せ日本画家報国会々員百九十名は各自一点宛を制作し、展覧会を開き売上金全部を建艦資金に当てる事になつた。

大日本工芸会創設

1943年01月

技術保存を要する工芸品の生産、販売、輸出の時局に即した綜合指導を行い亦一般工芸の健全な発展を図るため、商工省の指示により大日本工芸会が創設された。役員は会長吉野信次、一般委員長椎名悦三郎、理事長国井喜太郎、理事十名が決定した。

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