彫塑家銅使用陳情

1938年08月

銅の使用制限に関し、滝野川彫塑研究所小倉右一郎が発起人となつて八月二十七日丸の内マーブルに朝倉塾、構造社、院展彫塑部等十三団体代表が参集、銅の使用許可について協議を行つた結果、商工省、府工務課等に陳情することとなつた。

金使用規則改正

1938年08月

金の消費を制限する為大蔵省では昨年十二月金使用規則を制定したが、その制限を一層強化する必要から、八月二十日省令を以て同規則を改正し即日之を施行した。改正の結果は従来九金以下のもの、金鍍金のものは制限されず、又金箔、金粉、金糸等は一定の用途に限り使用が禁示され、織物、漆器等には刷限が及ばなかつたものを、すべて制限の範囲に含め、医療用として必要やむを得ざるもの又は大蔵大臣の許可を得たるもの以外は、一切金の使用を禁じた。

文展審査員内定

1938年08月

文部省では今秋の文展審査員を銓衡中の所八月二十七日第二部を除く人選の内定を了し発表した。

従軍画家招待

1938年07月

陸軍省新聞班では七月二十五日夕大日本陸軍従軍画家協会員一同を平河町宝亭に招待し、陸軍の感謝を伝へ更に彩管の協力を求むる会を開いた。出席者は新聞班長佐藤大佐、恤兵部浅野中佐、藤島武二石井柏亭川端竜子その他画家三十余名。

銅使用制限規則改正

1938年08月

商工省では銅の制限を一層強化する為四月制定した銅使用制限規則を八月一日省令を以て改正同十五日から施行することとなり、同時に製造禁止品目二百五十七を指定告示した。此等の中には置物、花器等一般工芸品から銅像まで含まれてゐるが、規則中に除外例を設けて左の各号の一に該当する場合は制限を適用せぬこととした。 一 法令ニ依リ製造ヲ要スルモノノ製造ニ使用スルトキ 二 学術研究、試験又ハ標本ノ用ニ供スルモノノ製造ニ使用スルトキ 三 美術展覧会ノ出品物ノ製造ニ使用スルトキ 四 鍍金用又ハ箔、紙、糸、粉若ハ液トシテ使用スルトキ

傷痍軍人慰問絵画寄贈

1938年07月

全国の陸海軍病院等にある皇軍将兵慰問の為、文部省の斡旋で全画壇より作品の寄贈を募る計画が成立し、陸海軍、厚生省その他と聯絡、五月十九日文相官舎に在京各美術団体代表者を招いて懇談会が開かれた。関西方面では文部省山川専門学務局長、本田学芸課長、軍、市当局者等及び京都画壇代表作家等が同三十一日参集協議を重ねた。その結果各美術団体が参加して文部省内に傷痍軍人慰問美術家聯盟を設け汎く作家に呼びかけて寄贈勧誘の実行運動を行つた所、美術界の熱心な賛同が集まり予想外の好成績を得て、七月二十二日締切つた結果総数日本画一八四七点洋画一六七〇点が集められたので、東京府美術館に陳列、関係者内覧の上陸海軍の手によつて夫々各病院に分配されることになつた。

四天王寺釣鐘献納

1938年07月

大阪四天王寺では鳴らぬ釣鐘として有名な巨鐘「聖徳太子頌徳鐘」を国家に献納することを決議し、七月二十二日府社寺兵事課に報告した。同鐘は明治三十六年発願、多数の喜捨を蒐めて鋳造されたもので、重量四万二千貫、地金の時価約百万円と見積られてゐる。

パテイアラ派遣両技師帰朝

1938年07月

印度パテイアラ王国に日本風庭園及宮殿造営の為本年一月派遣された谷一東及西川浩の両名は、滞在中マハラジヤーの訃に際会その遺志をついだ新王の註文によつて二万七千坪の庭園に四百坪の建物と六千坪の庭園に三百坪の建物との二つの設計を完了したが、新王の服喪の為一先づ帰朝することとなり七月二十四日帰京した。

オリンピツク東京大会中止

1938年07月

昭和十五年開催の予定で準備を進めてゐたオリンピツク東京大会は、万国博覧会の延期と共に中止することとなり、七月十五日閣議の決定に基き、組織委員会では同大会返上の手続をとつた。

文展開催決定

1938年07月

今秋の文展は時局に鑑みて中止すべしとの意見も行はれたが七月十九日顧問会議の結果、開催の可否は文相に一任することとなり、荒木文相は開催を決定、文部省では本年度文展要綱を同二十日発表した。

鋼製品の製造制限令

1938年07月

商工省では銑鉄鋳物製造の制限についで鋼製品の製造制限を行ふこととなり、輸出入品臨時措置法の規定に基き鋼製品の製造制限に関する省令を制定七月八日附官報を以て公布した。商工大臣の指定する物品又は其の部分品は特に地方長官の許可を受けた場合の外鋼材(屑鋼を含む)を以て製造することを禁ずるもので、八月十五日から施行される。同時に禁止品目を指定告示したが、日用品を初め、生産力拡充に必要な工鉱業用を除き一般民需用機械類の殆ど全部に亙るものである。

鉛、亜鉛、錫等使用制限

1938年07月

商工省では輸出入品臨時措置法に基き、鉛、亜鉛、錫等使用制限規則を制定、七月九日省令として公布、七月十五日より施行することとなつた。同規則によれば鉛、亜鉛、錫、アンチモン若はニツケル又は之等の合金は、輸出品を除き、又地方長官の許可を受けた場合の外は、飲食用器具、厨房用器具、家具什器、建築用附属金具、美術装飾品、喫煙用器具、化粧又ハ身廻用品、装身具又ハ被服附属金具、文房具 玩具等の製造に使用することを禁ずるものである。

日本万国博覧会延期

1938年07月

紀元二千六百年記念日本万国博覧会は、昭和十五年開催の予定で着々準備中であつたが、時局の為遂に事変終了後に延期することとなり、七月十五日の閣議で正式に決定した。

商工省輸出工芸展規程改正

1938年07月

商工省では「商工省輸出工芸展覧会」を「貿易局輸出工芸展覧会」に改め、その他規程に若干の改正を行ひ七月二日附官報を以て公布した。

南京攻略戦跡図献上

1938年07月

京都の鳥瞰図画家吉田初三郎は海軍従軍画家として五月下旬渡支、凡そ一ケ月に亙り戦跡を写生して帰洛し、二荒芳徳伯より依頼された献上画として南京攻略戦跡図、高さ六尺幅四間の大作を謹作中の所、聖戦記念日の七月七日完成した。

陸軍従軍画家協会設立

1938年06月

陸軍従軍画家の団結が計画されてゐたが、六月二十七日飛行館で最初の総会を開いて役員の決定等を行ひ、大日本陸軍従軍画家協会が設立された。

銑鉄制限強化

1938年06月

商工省では四月銑鉄鋳物製造制限を発令したが、之に基き六月二十九日禁止品目の範囲を更に拡大左の通り指定して、七月十五日より施行することとなつた。 本立(ブツクエンドヲ含ム)、シヤンデリヤ、机、卓子、寝台、シヤツター用器、郵便受箱 ラヂエーター、ガスストーブ、電気ストーブ、鉄瓶、五徳、卓上呼鈴、名刺刺及伝票刺、紡織・染色又ハ整理用機械器具(針布製造用機械器具ヲ除ク)、窯業用機械器具(硝子又ハ耐火煉瓦製造用機械器具ヲ除ク)、印刷又ハ製本用機械器具、理容用機械器具(バリカンヲ除ク) 左に揚グル物品又ハ其ノ部分品ヲ製造スル専用機械器具 鉄釘(蹄釘ヲ除ク)、金網、菓子、清涼又ハ致酔飲料、香水、石鹸、蓄音機用レコード、セルロイド及同製品、紙及同製品(バライタペーパー等特殊ノ紙ヲ除ク)、刷毛及刷子、綿又ハ麻製ノ網・縄及網、帽子、燐寸、金属箔、万年筆、鉛筆クレヨン

ドイツ政府より胸像寄贈

1938年06月

財団法人原田積善会がかねてより日独文化親善の為に尽した功績に対し、ドイツ政府では感謝並に顕彰の意味で同会設立者故原田二郎の胸像を寄贈することとなり、来朝中の彫刻家フロイデンベルグ博士に製作を依頼中であつたが、六月十五日完成したので同二十日丸の内東京会館で贈呈式を挙行した。

金属代用品懇談会

1938年06月

商工省では物資動員計画に基く使用制限物資の代用品に関し関係官庁、民間会社等の代表者を集めて懇談会を開くこととなり、その手初めとして六月二十三日既に使用制限を行つてゐる銅鉄の代用品懇談会を丸の内鉄道協会で開いた。

日独文化会館建設計画

1938年06月

日伊文化会館の計画と相並んで、同様のドイツ文化宣揚と日独親善を目的とする日独文化会館の建設が計画された。今春原田積善会よりドイツ政府に寄附した十万円を基として、日独協会、日独文化協会その他関係団体が協議を進めてゐたが、三井高陽男より日伊文化会館敷地に隣接する八百坪の土地寄贈があり、愈々計画が具体化した。館内に図書館、講堂、研究室、宿泊室その他を設備する予定である。

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