九州沖縄工芸振興協議

1938年04月

九州、沖縄各県市工芸関係官職員協議会は、四月十三日から十五日迄沖縄県工業指導所で開催、各県提出の協議事項を審議した結果九州、沖縄工芸協会設立の件、国立工芸指導所を九州に設置促進の件等を可決した。

伊達伯よりムツソリーニ首相へ贈物

1938年04月

パウルツチ候を団長とするイタリア使節団の来朝を機として、伊達伯爵家では同家の家宝とする支倉六右衛門将来の油絵その他の遺物を、四月十五日イタリア大使館に陳列して使節団の閲覧に供したがその節、同家に伝はる伊達正宗使用の提げ重をムツソリーニ首相に贈呈することとなり、当主興宗伯よりパウルツチ候に伝達方を依頼した。

「飾画」解散

1938年04月

前衛洋画団体飾画は四月十四日解散を発表した。

豪州政府へ油絵伊吹図寄贈

1938年04月

世界大戦当時濠洲の軍用船団護衛の任に当つた軍艦伊吹の雄姿は、荒井陸男筆油絵として海軍館に保存されてゐるが、元シドニー総領事徳川家正、大阪商船社長村田省蔵両名は、日濠親善の為同じ主題の油絵を濠洲政府に贈ることとし、同作者に製作を依嘱した。作者は一月三十一日渡濠し、同政府の厚意によつてあらゆる参考資料を調査、下図製作等をなし四月十三日帰朝、縦七尺、横十尺の画面を揮毫することとなつた。

当麻寺天井画一部完成

1938年04月

現代日本画家九十五名から作品の寄進を求め、新客殿の天井を飾らうとする奈良県当麻寺中之坊では、完成した五十枚の板絵によつて四月七日一室の天井だけの嵌め込みを完了した。

日本画院結成

1938年04月

東京に於ける日本画の新団体として伊東深水等二十余名の作家により、四月十二日日本画院が結成された。去る二月解散した日本画会の旧同人中の主なる者が中心となつたもの、一派一党に偏せざる公共的試作発表機関たらしめんとする趣旨で、明春第一回公募展を開く予定である。

補助貸幣図案当選発表

1938年04月

大蔵省が募集した貨幣図案は、四月十三日審査委員会で九三三一点の応募作品中から十銭、五銭の有孔のもの及び一銭の無礼のものにつき夫々当選一点、選外佳作五点づつを決定発表した。 有孔のもの、当選 大阪市小薮利一、選外佳作 同人、松尾忠次、高井界雄、中尾竜作、北川有三 無孔のもの、当選 京都市稲垣耕四郎、選外佳作 九山秀夫、荒川亘弘、森勝三郎、村野嘉寿吉、山田甲子雄

支那事変特別税施行

1938年04月

新に制定された支那事変特別税法によつて、四月一日から入場税、物品税等が施行されることとなつた。入場税として博覧会、展覧会等は入場料の一割を課せられる。物品税は書画及骨董の入札等で総額一万円を超える場合、その他貴金属製品、喫煙具、室内装飾用品、家具等一定価格以上のものに課し、税率は価格の一割五分乃至一割である。

石川県工芸指導所落成

1938年03月

金沢市泉旭町に新築中であつた同指導所建物が竣工したので、三月三十一日盛大な落成式を挙行、四月一日記念講演会、郷土の美術工芸展覧会等を開いた。建物は木骨近代式で本館一八九坪、工場二五〇坪よりなる。

イタリア彫刻複製寄贈

1938年03月

三月二十三日来朝のイタリア使節団長パウルツチ候は、ムツソリーニ首相より畏き辺りへの献上品及び近衛首相への寄贈品を初め、同国外相、内相その他より我が広田外相その他へ夫々寄贈品を齎したが、いづれも同国古来の彫刻名作品の複製で、その中パウルツチ侯より小橋東京市長に贈られた「ローマの牝狼」青銅像は日比谷公園に飾られることとなり、据付を了して三月三十一日除幕された。

補助貨幣模様図案懸賞募集

1938年03月

大蔵省では新鋳補助貨幣図案の懸賞募集を行ふこととなり、三月八日の官報を以てその規程を発表した。種類は十銭、五銭及び一銭で有孔のものと無孔のものとの二種とし、内容は日本精神を宣揚するものたるべきことを要求してゐる。三月三十一日締切、審査は大蔵省が行ひ賞金は当選両種各一点五百円、選外佳作各五点百円づつ、但し選外佳作の図案の一部が貨幣模様の一部として採用せられたものに付ては三百円までの範囲で増額することあるものとする。

ハンガリア画家作品寄贈

1938年03月

ハンガリア一流の画家ヤシツク・エー・モシユは自作の「勇敢なるヤノシユ」十一枚綴りのオペラ画を、文化使節として来朝の在ブダペスト日洪協会副会長メイゼイシユトワーン博士に托し、日洪協会々長鍋島直和子爵の斡旋で、三月十七日早大演劇博物館に寄贈した。同館では同二十四日から四月三日迄之を陳列公開した。

レオナルドダヴインチ賞設定

1938年03月

イタリア政府中亜極東協会では、日本に於けるイタリア文化研究の優れた業績を表彰する為レオナルド・ダ・ヴインチ賞を設定、三月三十日その規定が発表された。本年十二月末日を締切とし、賞金は六千リレで、審査は日本の学者に依嘱、日伊学会が中心となり、イタリア大使を委員長とする審査委員会が設けられる。

日本実用工芸品展

1938年03月

三月六日から一週間ライプチツヒに於て開催された一九三八年春季見本市を期し、国際文化振興会及びフエライン・フユア・ドイツチエス・クンストゲウエルベによつて日本固有の現代実用工芸品が特別出品された。出品は国際文化振興会が市場から選定購入した日用品で、目ざる、渋団扇、茶道具、のれん、すり鉢、茶碗、花造り道具、蛇の目傘、盆、大工道具、鉄瓶、菓子鉢、重箱、風呂敷、蒲団、筆、和紙、紙入れ、煙管入れ、火鉢、屏風、用箪笥、乱れ箱、針箱等約五百点であつた。

日本工芸品シカゴ陳列会

1938年03月

昨秋開かれた商工省輸出工芸展出品中から七二八点を選択、日本輸出工芸聯合会の主催により、日本工芸品シカゴ陳列会を三月七日より同市に於て開いた。

女子人形学院創立

1938年03月

人形製作の流行につれて講習会など多く行はれてゐるが本格的に人形芸術の教養を与へようといふ女子人形学院が麹町区九段四ノ十五ノ十六に設立され、三月上旬から授業を開始することになつた。

ヴエネチアに日本式庭園

1938年03月

ヴエネチア市では日伊親善の表示として純日本式庭園を同市立公園隣接地に作る計画を立て堀田大使を通じて外務省に斡旋を申込んできたので、同省では国際文化振興会と協力し、一流の造園家を委嘱して設計建設の実現に努力することとなつた。

国際手工業博参加

1938年02月

ドイツ政府主催の第一回国際手工業博覧会は参加国三十余ヶ国、五月二十八日から六月二十六日迄ベルリン、カイゼルダムで開催されることとなり、予て勧誘をうけてゐたわが国では、外務商工両省及び国際文化振興会の間で協議の結果参加する事に決定、二月二十四日正式回答を発した。この企ては世界最初のもので、国際手工業特別展、文化史展、製作展、文献展、国際流行展、手工科補助器具専門部会、特別催しものなどの部門に分かれてゐる。

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