植田正治

没年月日:2000/07/04
分野:, (写)
読み:うえだしょうじ

 写真家の植田正治は7月4日、急性心筋梗塞のため鳥取県米子市の病院で死去した。享年87。1913(大正2)年3月27日鳥取県西伯郡境町(現 境港市)に生まれる。県立米子中学校在学中に写真に興味を持ち、1931(昭和6)年に中学を卒業後、地元のアマチュア写真団体米子写友会に入会する。32年上京しオリエンタル写真学校に学び、同年帰郷して営業写真館を開業。新興写真の影響を受けた作品を制作、『カメラ』、『アサヒカメラ』などの写真雑誌の月例懸賞に応募し入選を重ねる。33年日本海倶楽部、37年中国写真家集団の結成に参加。39年の第3回中国写真家集団展に出品した「少女四態」が第13回日本写真美術展で特選を受賞。40年第4回中国写真家集団展に「茶谷老人とその娘」を出品。これらは初期の代表作であり、複数の人物を画面に配した演出写真による、戦後確立される作風の先駆となる。戦時体制の進行とともに写真制作を中断。38年、43年の2度応召するがいずれも即日帰郷、また海軍工廠へ徴用されるが体調不良により帰郷する。終戦後、46年に写真作品の制作を再開し、47年写真家集団銀龍社に参加(会員に桑原甲子雄、石津良介、緑川洋一ら)。49年『カメラ』編集長桑原甲子雄の企画で鳥取砂丘での土門拳らとの競作が行われ、その作品が同誌9月号に掲載される。この鳥取砂丘での作品と、同誌10月号に掲載された、境港の自宅近くの砂浜で家族をモデルに撮影された「パパとママとコドモたち」他の作品などによって、砂丘や砂浜を天然のスタジオとする群像写真のスタイルを確立する。50年山陰地方の写真家たちによる写真家集団エタン派を結成。54年二科会写真部に出品した「棚の下の水面」「湖の杭」で第2回二科賞を受賞し、55年二科会写真部会員となる。以後も一貫して自宅のある境港およびカメラ店を構えた米子を拠点に活動を続け、「童暦」シリーズ(写真集、71年)や「小さな伝記」シリーズ(『カメラ毎日』連載、1974~85年)など、山陰の風土をモダンな造型感覚と独特のユーモア感覚でとらえた作品を、写真雑誌等を通じて発表。また74年『アサヒカメラ』に連載した「植田正治 写真作法」)、78年『カメラ毎日』に連載した「アマチュア諸君!」などの文章を通じてもアマチュア写真家たちに影響を与えた。75年から94年まで九州産業大学芸術学部写真学科教授、79年から83年まで島根大学教育学部非常勤講師を務める。83年メンズ・ビギの広告のために砂丘でファッション写真を撮影。これをきっかけに90年代にかけて「砂丘モード」シリーズを制作、自ら「砂丘劇場」と呼んだ砂丘での群像演出写真を現代的なモード写真として展開、それらを紹介する「植田正治 砂丘」展(渋谷PARCO 87年)が開催されるなど、広範な注目を集めた。それらと並行して、80年代半ばからは「植田正治 50年の軌跡」展(ペンタックスフォーラム 84年)、「植田正治とその仲間たち 1935-1955」(米子市立美術館 92年)、「植田正治の写真」展(東京ステーションギャラリー 93年)などの大規模な回顧展が開催され、あらためてその仕事への評価が高まり、1995(平成7)年鳥取県西伯郡岸本町に本人より寄贈を受けた作品を収蔵する植田正治写真美術館が開館した。第9回および第18回アルル国際写真フェスティバル(フランス 78・87年)、第17回フォトキナ(ドイツ、ケルン 82年)、フォト・フェスト’88(アメリカ、ヒューストン 88年)など海外での発表も多く、その独自の画面構成感覚が「UEDA-CHO(植田調)」と呼ばれ高い評価を受けた。95年から97年まで『アサヒカメラ』に「印籠カメラ写真帖」を連載するなど、晩年も、急死する直前まで新たな作品に取り組み続けた。75年日本写真協会年度賞、89年日本写真協会賞功労賞を受賞。96年フランス文化芸術勲章を受章。主な写真集に『童暦』(「映像の現代」第3巻、中央公論社 71年)、『音のない記憶』(日本カメラ社 74年)、『砂丘・子供の四季』(朝日ソノラマ 78年)、『新出雲風土記』(「日本の美 現代日本写真全集」第5巻、集英社 80年)、『植田正治ベス単写真帖 白い風』(日本カメラ社 81年)、『昭和写真・全仕事10 植田正治』(朝日新聞社 83年)、『砂丘 植田正治写真集』(PARCO出版局 86年)、『植田正治作品集』(全2巻、PARCO出版局 95年)、『植田正治写真集』(宝島社 95年)、またその文章をまとめた『植田正治 私の写真作法』(金子隆一編、TBSブリタニカ 2000年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(236-237頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「植田正治」『日本美術年鑑』平成13年版(236-237頁)
例)「植田正治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28189.html(閲覧日 2024-12-06)

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