常盤とよ子

没年月日:2019/12/24
分野:, (写)
読み:ときわとよこ

 写真家の常盤とよ子は12月24日、誤嚥性肺炎のため横浜市保土ヶ谷区内の病院で死去した。享年91。
 1928(昭和3)年1月15日神奈川県横浜市に生まれる。本名:奥村トヨ子(常盤は旧姓、刀洋子とも表記)。45年5月の横浜大空襲で被災し、父はこの時に負った火傷がもとで亡くなった。50年に東京家政学院を卒業し、横浜の通信社でアナウンサーとして勤務する。この頃、のちに夫となる写真家奥村泰宏に出会う。その影響で写真への関心を深め、横浜アマチュア写真連盟やアマチュア女性写真家の団体「白百合カメラクラブ」に参加し、写真にとりくむようになった。
 50年代初頭に土門拳が提唱したリアリズム写真運動の影響下、横浜港の米兵や米兵相手の娼婦などにカメラを向けるようになり、また職業を持つ女性に関心を拡げ、56年に初個展「働く女性」(小西六ギャラリー、東京)を開催した。デパートの店員、看護婦、ヌードモデル等14の職業に就く女性に取材したもので、このうち赤線地帯の女性を撮影した写真は同年『カメラ』7月号にも掲載され、20代の女性写真家が赤線地帯における売春の実態を取材したという話題性から、週刊誌にもとりあげられるなど、社会的にも注目された。57年には赤線地帯の取材をまとめた写真と文章による『危險な毒花』(三笠書房)を出版。またこの年、写真評論家福島辰夫の企画による「10人の眼」展の第1回展(小西六ギャラリー、東京)に参加した他、今井寿恵と二人展(月光ギャラリー、東京)を開催、58年には常盤や今井など14人の女性写真家による「女流写真家協会」を結成、第1回展を開催(小西六ギャラリー、東京)し、新進の女性写真家として評価を高めた。
 その後も働く女性というテーマにひきつづきとりくむとともに、横須賀や沖縄など、米軍基地のある街にも取材し、カメラ雑誌や展覧会などで発表を続けた。62年から65年にはテレビ映画「働く女性たち」シリーズを制作。74年には横浜市使節団の一員としてソビエト連邦を取材、それ以後、75年の台湾、82年のマレーシアなど海外でも取材を重ねた。また85年以降は老人問題にとりくむなど、一貫して社会的なテーマに関心を持ち、恵まれない境遇の中で懸命に生きる存在に焦点をあてる写真を数多く発表した。
 主な写真集に『横浜再現:二人で写した敗戦ストーリー 戦後50年』(奥村泰宏との共著、岡井耀毅編集・構成、平凡社、1996年)、『わたしの中のヨコハマ伝説1954-1956:常盤とよ子写真集』(常盤とよ子写真事務所、2001年)等がある。
 1995(平成7)年に奥村泰宏が死去した後は、神奈川県写真作家協会会長および神奈川読売写真クラブ会長を引き継いで務めるなど、地元の写真団体の活動にも尽力した。2003年横浜文化賞(芸術部門)を受賞。18年には横浜都市発展記念館に常盤と奥村の紙焼き写真やネガ、カメラなどが寄贈され、同年「奥村泰宏・常盤とよ子写真展 戦後横浜に生きる」が同館で開催された。常盤の死去をうけ、2020(令和2)年には同館で追悼展示が行われた。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(505頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「常盤とよ子」『日本美術年鑑』令和2年版(505頁)
例)「常盤とよ子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041126.html(閲覧日 2024-04-28)

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