加藤昭男 (かとうあきお)

没年月日:2015/04/30
分野:, (彫)

 陶による立体造形を追及し続けた彫刻家加藤昭男は前立腺がんのため30日に死去した。享年87。
 1927(昭和2)年6月16日愛知県瀬戸市朝日町に生まれる。父鶴一は陶土採掘・販売を本業とする一方、華仙と号して帝展・新文展に出品していた。また、画家北川民次は岳父に当たる。40年3月に瀬戸市立深川尋常小学校を卒業し、同年4月に愛知県立窯業学校(現、県立窯業高校)に入学。絵画を佃政道、彫刻を橋爪英夫に学ぶ。42年からアジア太平洋戦争の戦況悪化のため勤労動員され、農作業や工場へ勤務。45年陶芸家田沼起八郎に石膏デッサンの指導を受ける。同年3月愛知県立窯業学校を卒業。4月に京都工業専門学校(現:京都工芸繊維大学)に入学。48年3月京都工業専門学校を卒業。4月に上京して蕨画塾に入り、寺内萬治郎らに師事する。49年4月東京藝術大学に入学。戦前にパリでシャルル・デスピオに師事して帰国した菊池一雄教室に入る。当時、同校ではマイヨールに師事した山本豊市や菅原安男、伊藤傀らが教鞭を取っており、彼らにも学ぶところがあった。52年第16回新制作協会展に「立像」(石膏)で初入選。以後同展に出品を続ける。53年東京藝術大学彫刻科を卒業し、同学専攻科に入学。在学中に安宅賞を受賞。55年東京藝術大学彫刻専攻科を修了し、同学副手となる。同年第19回新制作協会展に「トルソ」(石膏)を出品して新作家賞を受賞。翌年第20回同展に「女」(石膏)を出品して再度新作家賞受賞。57年東京藝術大学副手を退任。この頃からテラコッタ制作を始める。58年第22回新制作協会展に「トルソA」(ブロンズ)、「トルソB」(ブロンズ)、「RONDE」(石膏)を出品し、同会会員に推挙される。62年第5回現代日本美術展に人体を簡略化したフォルムでとらえた「立像」を出品。50年代後半から欧米の抽象彫刻が日本に紹介され始める中で、制作の方向について模索が続いたが、60年代半ばから人間と自然との関わりを主題とし、陶土の粘性と量塊性を活かした具象彫刻に主軸を定める。また、セメントやポリエステルなどの新素材による制作や野外彫刻を試みるようになる。69年から74年まで東海大学芸術研究所の教授をつとめる。73年第1回彫刻の森美術館大賞展に「焔と土」(テラコッタ・木、72年第36回新制作協会展出品作)が入選。74年6月、「母と子」で第2回長野市野外彫刻賞受賞、また同年8月、鳥に導かれて浮遊する仰臥した女性像を表した「月に飛ぶ」(ブロンズ)で第5回中原悌二郎賞優秀賞を受賞。75年第2回彫刻の森美術館大賞展に「月に飛ぶ」(ブロンズ、第38回新制作協会展出品作)が入選。同年日本画家平山郁夫らと中国旅行。77年第3回彫刻の森大賞展に「五月の風」(第39回新制作展出品作)が入選。80年渡欧し、フランス、スイス、イタリア、ギリシャ等を巡る。82年第2回高村光太郎大賞展に両腕を大きく広げた人物の上半身とその手から飛び立つ一羽の鳩を表した「鳩を放つ」(ブロンズ)を招待出品し優秀賞を受賞。83年第1回東京野外現代彫刻展に「野原の休息」(ブロンズ)を出品して大衆賞を受賞。同年武蔵野美術大学教授となる。86年第2回東京野外現代彫刻展に「大地」(ブロンズ)を出品して大衆賞を受賞。87年フランスに渡り、ロマネスク美術を中心に研究した。1994(平成6)年、「何処へ」(ブロンズ)で第25回中原悌二郎賞を受賞。97年3月現代彫刻センターで「加藤昭男展」、同年9月、武蔵野美術大学美術資料図書館において「武蔵野美術大学教授退任記念 加藤昭男彫刻展」が開催された。翌年3月定年退職し、同名誉教授となった。年譜は退官記念展図録に詳しい。99年新宿パークタワーにて「加藤昭男個展」を開催、2000年には第5回倉吉・緑の彫刻賞受賞。01年に旭川市彫刻美術館で「加藤昭男個展」を開催。02年、江戸時代の仏師円空の生地である岐阜県が主催し、風土と国際性、自然との関わりなどを視点として選考する第2回円空大賞を受賞した。最初期に当たる50年代には量感のある人体像を制作し、その後一時期抽象表現を取り入れたが、60年代半ばから自然と人との関わりを陶土で表現することを追及し続け、大地から土の塊が盛り上がってかたちとなるような作品を多く残した。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(538-539頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2019年01月23日 (更新履歴)
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