小嶋悠司

没年月日:2016/06/07
分野:, (日)
読み:こじまゆうじ

 創画会副理事長で日本画家の小嶋悠司は6月7日、脳幹出血のため死去した。享年72。
 1944(昭和19)年3月12日、京都市に生まれる。御所や寺社の造営に関わる石工であった祖父の影響で幼い頃より彫刻に関心を示し、また自宅近くの教王護国寺(東寺)で平安期の密教美術に親しんだ。中学・高校時代にはピカソや須田国太郎を知り、63年4月京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)日本画科に入学。秋野不矩石本正に指導を受ける。父親が友禅の図案家という環境で育つも、はんなりとした花鳥画などは保守的だとし、人物画を志す。66年4月新制作日本画部春季展(京都)に「人体」「風景」が入選。翌67年9月には第31回新制作協会展に「群像―詩II」で初入選を果たす。さらに翌年9月の第32回展では「群像K」「群像L」にて新作家賞受賞(34、35、36回でも受賞)。60年代には人間をテーマに造形力のある空間構成を目指し、ロダンやセザンヌ、レオナルド・ダ・ヴィンチにジョット、あるいは村上華岳松本竣介等から表現や構成を学ぶ。69年3月京都市立美術大学専攻科日本画専攻修了。同年11月石本正らとヨーロッパへ旅行、約2ヶ月間の行程でオランダ、イギリス、フランス、スペイン、イタリアなどをめぐった。70年9月第34回新制作展に「群像3-A」を出品。アッシジのサン・フランチェスカ聖堂にあるチマブーエの「キリストの磔刑」のような絵を、平安仏画のような色彩で表現したいとして描いた作品で、フレスコ画のような厚みを出すため支持体に麻布を用い、卵テンペラの技法(デトランプ)を併用した。またこの頃より、人間性という意識やそれを支える理性をじっと凝視する存在を、画面内に表すようになる。72年6月彩壺堂にて個展開催。73年1月第2回山種美術館賞展で「群像」が優秀賞を受賞する。同年9月第37回新制作協会展へ「群像’73―凝視」を出品、同会日本画部会員に推挙された。70年頃より画面には頭や手足の無いトルソや、骨をむき出しにした人体が表されるようになるが、そこには人間のもつ理性の根源を問いたいという意識があったという。74年5月新制作協会日本画部全会員が同協会を退会し、新に創画会を設立。小嶋も会員として参加し、同年9月の第1回展へ「群像―’74」を出品した。75年11月より1年間、文化庁在外研修員としてフィレンツェに滞在。古代エトルリアの彫刻や墓石彫像を精力的に写生する。帰国後はそれらの写生をもとにした作品を制作、79年10月の第6回創画会展へ出品した「大地―穢土’79」は、エトルリアの柱頭をもとにした人物や母子像で構成され、当時世間で頻発していた幼児置き去りに対する衝撃から、人間本来の愛情の回復を祈って描かれた。一方で小嶋は、イタリアでみた古代文明の明るさから、人類の未来に明るい自信を持って帰国したといい、ロマネスク彫刻の写生をもとに、無垢な子供を抱く理性的な人間を描いた「人間」(第6回京都春季創画展、1980年)などを描いている。以後、現実や現世、穢れた世界という意味をもつ「穢土」という言葉をタイトルにした作品や、「愛」や「人間」といったタイトルを持つ作品を制作、地獄にも似た現世をありのままに見つめながらも、そこに希望を見出そうとする意識の見られる絵を描きつづけた。85年4月それまで講師を務めていた京都市立芸術大学日本画科の助教授となる(1995年教授、09年名誉教授)。同月、池田幹雄、上野泰郎大森運夫毛利武彦、滝沢具幸、渡辺学小野具定と結成した地の会の第1回展を資生堂ギャラリーにて開催(10回まで出品)。88年6月第10回日本秀作美術展に「凝視」(個展出品作、1987年)が選抜される(11~13、15回にも選抜)。同年10月の第15回創画会展へは、動物と人間、母子像で構成された画面に光を表し、救いのある空間を描いた「地(習作)」(のちに「地」と改題)を出品。同作ではそれまでと異なるテンペラ風の技法が用いられた。またこの頃より、モチーフがそれまで以上に抽象化されるようになり、90年代には高尾曼荼羅のような深く力強いマチエールの色価(バルール)に惹かれ、ものの形を借りずに色によって自らの思想を語ることを目指す。1990(平成2)年1月第1回京都新聞日本画賞展で「穢土」が大賞受賞。97年2月京都府文化賞功労賞受賞。99年5月第12回京都美術文化賞受賞。2000年7月には京都市美術館で回顧展「京都の美術 昨日・きょう・明日28 小嶋悠司―凝視される大地―展」が開かれる。01年3月平成12年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。翌月には練馬区立美術館にて「時代と人間への凝視―小嶋悠司の創造展」開催。00年代にはモチーフが再び具象的な姿をとるようになり、画面も次第に明るくなっていった。17年4月豊田市美術館の常設特別展として、「追悼 小嶋悠司」が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(546-547頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小嶋悠司」『日本美術年鑑』平成29年版(546-547頁)
例)「小嶋悠司 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818761.html(閲覧日 2024-04-27)

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