中村研一

没年月日:1967/08/28
分野:, (洋)

 日本芸術院会員、日展理事、光風会会員中村研一は8月28日胃癌により国立癌センターで死去した。享年72才。明治28年5月14日福岡県小倉市に生れた。画家志望に反対する父を鹿子木孟郎に説得してもらって大正9年に東京美術学校西洋画科を卒業し、この年入隊(翌年除隊)したが同年第2回帝展に出品した「葡萄の葉蔭」は初入選し、大正博出品「若き画家」は三等賞を受賞した。翌3回帝展の「涼しきひま」は特選となった。12年から昭和3年まで滞仏し(大正15年一時帰国)、この間アスランに影響される。昭和2年にはサロン・ドートンヌ会員となった。帰国後も9回帝展「裸体」特選、10回帝展「若き日」特選、11回帝展「弟妹集ふ」帝国美術院賞と連続受賞した。昭和12年には軍艦で訪英している。とくに彼の太平洋戦争中の戦争画はアカデミックな描写力によって好評であった。昭和25年芸術員会員となった。戦後は妻をモデルとした婦人像と裸婦像で記憶される他、辛辣な時評や随筆でも知られていた。
主要作品目録
2回帝展「葡萄の葉蔭」3回「涼しきひま」(特選)9回帝展「裸体」(特選)10回「若き日」(特選)11回「弟妹集ふ」(美術院賞)12回「画室」13回「車を停む」14回「海辺にて」15回「ハンモック」昭和10年二部会「瀬戸内海」昭和12年1回文展「朝」2回「室内」3回「初秋」昭和15年紀元二千六百年奉祝展「北京官話」4回「座像」5回「安南を憶ふ」野間奨励賞 6回「雪嶺(三宅)先生」昭和19年戦時特別文展・陸海軍省特陳「コタバルB」(朝日賞)「プリンス・オブ・ウエルズの轟沈」昭和20年 不明、21年「マラヤの装」22年3回日展「サイゴンのゆめ」23年4回「白いブルーズ」24年5回「婦人像」25年6回「裸体」26年7回「裸体」27年8回「裸婦」28年9回「立てる裸婦」29年10回「裸体」30年11回「窓辺の像」31年12回「ハンモック」32年13回「縞のきもの」33年1回日展「家居」34年2回「緑の中」35年3回「バルコン」36年4回「爪」37年5回「裸婦」38年6回「婦人像」39年7回「裸体」40年8回「座裸婦」41年9回「裸体」42年10回「庭」。著書に矢崎美盛との対話による「絵画の見方」(岩波新書)がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(149頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「中村研一」が含まれます。
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