黒田久美子
光風会会員、女流画家協会設立会員の洋画家黒田久美子は12月21日午前9時10分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。享年81。大正3(1914)年8月11日父生野源太郎、母初恵の長女として東京都小石川に生まれる。鉄道局員であった父の転任により仙台、名古屋、東京と転居。この間大正末年のころ名古屋第二師範附属小学校在学中に絵画に強い興味を抱くようになる。昭和4(1929)年金城女学校を病気のために休学中に遠山清に油画、パステル画を習う。翌年名古屋市展にパステル画「バラ」で入選。同年病気のため金城女学校を中退する。同6年中村研一に入門し、翌7年中村の紹介により岡田三郎助の女子研究所に入る。同8年第20回光風会展、および春台展に初入選。以後同展に出品を続け、同11年春台展に「鎧戸前」を出品して受賞。また、同年新文展鑑査展に「タイプライターのある静物」で初入選する。同12年洋画家黒田頼綱と結婚。同14年第26回光風会展に「庭」を出品して三星賞を受賞。翌年第27回同展に「しき松葉」を出品してI氏賞を受賞し会友に推挙される。また同年紀元2600年奉祝展に「夏の日」を出品。以後光風展、新文展に出品を続け、同20年敗戦後の光風会復興に参加して同会会員となる。同21年春に開催された日展に「二月の日」、同年秋の第2回日展に「ひがん花咲く頃」を出品し、同24年まで日展に出品を続けるが、翌年より日展を退く。この間同22年三岸節子らとともに女流画家協会を設立し同会会員となる。同35年第14回女流画家展に「タぐれの病院」を出品して船岡賞受賞。花や人形を配した静物画を好んで描き、対象の形態をデッサン風に捉える黒い輪郭線を完成作に生かし、緑、青、空色、赤などの原色で画面を構成して明澄な画風を示した。団体展のほか、同25年を皮切りに資生堂ギャラリーで3度、日本橋丸善画廊で2度個展を開催し、同32年から13固にわたり高島屋で黒田頼綱・久美子二人展を開催した。同56年からは世田谷美術館での世田谷展にも毎年出品している。著書に『静物の描き方』(昭和35年、アトリエ社)、『パステル画風景の描き方』(同46年アトリエ社)などがあり、同60 年「黒田頼綱・黒田久美子画集』(フジアート)を刊行している。
出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(333頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)
例)「黒田久美子」『日本美術年鑑』平成8年版(333頁)
例)「黒田久美子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10642.html(閲覧日 2024-10-07)
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