近藤弘明

没年月日:2015/09/13
分野:, (日)
読み:こんどうこうめい

 東洋の仏教的真理を幻想美によって現わし、視覚に語りかけてくる作品を目指し描き続けた日本画家、近藤弘明は9月13日、肺炎のため死去した。享年90。
 1924(大正13)年9月14日、東京市下谷区龍泉寺町(現、台東区龍泉3丁目)に生まれる。本名弘明(ひろあき)。家は天台宗寺門派三井寺(園城寺)の末寺にあたる天台宗龍光山三高寺正宝院で、江戸七不動のひとつ、飛不動とも呼ばれた。父・近藤教圓は仏画をよくし、近藤は幼いころから絵の具溶きや絹張りの手伝いをしていたという。1930(昭和5)年、6歳のときに得度受戒し僧籍に入る。36年3月下谷区立龍泉寺小学校を卒業。中学時代には川端画学校のデッサン教室へ通い、一時洋画家となることも考えたという。41年3月文京区の駒込中学校卒業、大正大学師範科に入学する。その一方で当時東京美術学校教授であった常岡文亀に植物写生を習い、43年大学を中退、東京美術学校(現、東京藝術大学)日本画科へ入学した。44年陸軍軽井沢航空教育隊に志願し入隊、八ヶ岳山麓にてグライダー訓練を受ける。訓練中に見た小さな高山植物が強く印象に残り、後の作風に影響を及ぼしたという。その後罹病、陸軍学校を点々とし、終戦後は兄が大僧正となっていた滋賀県大津の園城寺法泉院に滞在、療養に努めるとともに、兄から天台哲学を学ぶ。この頃一時文学を志し、志賀直哉のもとへ通うが、「文学よりも絵に向いている」との助言から、47年画業に専念するため上京、翌年4月東京美術学校に復学した。49年3月東京美術学校を卒業し、以後も同校助教授だった山本丘人に教えを受けた。
 50年第3回創造美術展へ「街裏」を出品、初入選を果たす。翌年創造美術と新制作派協会が合同して新制作協会となり、同年の第15回展へ「木馬館」「六区高台」を出品、以後第37回展(1973年)まで毎回出品し、新作家賞を4度受賞、63年には会員となる。また同会の春季展や日本画部研究会へも積極的に出品し、受賞を重ねた。54年第18回新制作展へ「夜の華」など4点を出品。この頃から異形ともいえる幻想的な花や鳥をモチーフとした作品が制作されるようになる。翌年12月尾崎光子と結婚。59年1月、初となる個展(画廊ひろし)開催。60年1月第11回秀作美術展に「月の華」(1959年)が選抜出品され、第15、17回展(1964、66年)にも選抜される。同年7月第2回みづゑ賞選抜展に「解脱」「迦陵頻伽」を出品。この頃より仏教的な世界観に基づくものと考えられる作品が描かれ始める。62年5月第5回現代日本美術展へ「慈母」(のちに「天上の華」と改題)「飛翔」を招待出品、翌年5月第7回日本国際美術展へ「善と悪の園」を招待出品する。以後も前者には第8回展(1968年)まで、後者には第9回展(1967年)まで出品、65年の第8回日本国際美術展では、「寂光」がブリヂストン美術館賞となる。66年第5回福島繁太郎賞受賞。60年代半ば頃より、各モチーフが徐々に具象的となり、画面が遠近法に即した広がりを見せる風景として構成されるようになる。また「幻影」「寂園」(1968年、個展・彩壺堂)など、具体的な菩薩の姿を描いた作品が表れはじめる。71年「今日の日本画―第1回山種美術館賞展―」へ「清夜」を出品、優秀賞となる。74年新制作協会日本画部会員全員が同会を退会、新たに創画会を結成し、9月の第1回展へ「黄泉の華園」を出品、第13回展(1986年)まで出品した。75年6月「一つの神秘的空間を示す画業にたいして」第7回日本芸術大賞が贈られる。76年12月東京・杉並から神奈川県小田原市にアトリエを移転、寂静居と名付けた。82年3月第4回日本秀作美術展に「幻桜」が選抜される。同展へは1990(平成2)年の第12回展に「幻秋(秋の七草)」で再び選抜されて以降、第25回展(2003年)までに10回選抜された。83年10月第10回創画展へ「霊桜」を出品。この頃より描かれるモチーフが現実の草花となり、日本の伝統的な花鳥画を思わせるような構図の画面となっていく。85年第21回神奈川県美術展の審査員となり、以後第31回展(1995年)まで務め、第32回から第39回展(2003年)までは顧問を務めた。86年2月、師である山本丘人が没し、翌年の第13回春季創画展を最後に創画会を退会、以後無所属となる。91年4月紺綬褒章受章。93年9月、初期作品から最新作までを集めた回顧展「華と祈り 近藤弘明展」開催。2000年4月二度目となる紺綬褒章を受章。同年7月には「サンクチュエール日光 近藤弘明展―聖地の神秘を描く」が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(551-552頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「近藤弘明」『日本美術年鑑』平成28年版(551-552頁)
例)「近藤弘明 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809141.html(閲覧日 2024-04-26)

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