栢森義

没年月日:1992/03/04
分野:, (洋)

 新世紀美術協会創立会員の洋画家栢森義は3月4日午前6時10分、肺しゅようのため東京都小金井市の自宅で死去した。享年90。明治34(1901)年11月9日、新潟県南蒲原郡に生まれる。本名政義。大正10(1921)年新潟県立三条中学を卒業して上京し、本郷洋画研究所に入る。岡田三郎助に師事。同15年第1回1930年協会展に入選。昭和2(1927)年第8回帝展に「浴後」で初入選。同3年第9回帝展に「赤い布を持つ婦人像」,同4年第10回帝展に「ピアニストN嬢」で入選する。同8年第20回光風会展に「食後」「食事」「若き婦人」「肖像」を出品して光風賞受賞。同9年第15回帝展に「K氏座像」で入選。同11年文展鑑査展に「微風」で入選する。新文展には同12年第1回展から出品し、同15年紀元2500年奉祝展に「緑蔭」を出品。この間の同13年光風会会員となる。翌16年の第5回新文展には「緑苑肖像」を無鑑査出品。同17年戦時特別展に「国土豊穣」を出品する。戦後は同22年第3回日展に「窓際」を出品し同24年第5回展まで日展に出品したほか、光風会展にも出品したが、同25年双方から退いた。同31年和田三造大久保作次郎らが中心となって創立することとなった新世紀美術協会展に第1回展から参加。同34年第4回同展に「眠りオルガン」を出品して黒田賞、同51年第21回展では「いたち」で大久保賞、同53年第23回展では「愁夜曲」で和田賞を受賞した。初期には人物を配して季節の移りゆき等を表わし、写実を重視した作風を示したが、戦後は写実から離れ色や形の面白さを追求した詩的な画風へと展開した。昭和35年頃からガラス絵も描いており、明快な色調、平面的な画面構成の試みがなされている。平成3年、次男で画家の栢森琢也の編集になる『栢森義画集』が刊行された。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(311頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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