奥村土牛

没年月日:1990/09/25
分野:, (日)

 現代日本画壇の最長老で文化勲章受章者奥村土牛は、9月25日午後6時8分、脳梗塞のため東京都港区の虎の門病院で死去した。享年101。明治22(1889)年2月18日、東京京橋に出版社藍外堂を営む奥村金次郎、たまの長男として生まれ、本名義三。32年日本橋区城東尋常小学校尋常科を卒業し高等科に進むが、病弱のため1年で中退。同38年16才の時、梶田半古の画塾に入門し、塾頭だった小林古径の指導を受ける。翌39年日本美術院の名で開催された日本絵画展覧会に「菅公の幼時」が入選し、40年東京勧業博覧会にも「敦盛」が入選した。また41年、42年の巽画会展でともに褒状を受賞する。45年逓信省の為替貯金局統計課に勤務し、ポスターや統計図、絵葉書などを描き、5年のあいだ勤務した。この間、43年に文芸雑誌『白樺』が創刊されてから毎号愛読し、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンら後期印象派に大きな影響を受けた。また22才頃から再び健康状態がすぐれなかったこともあり、以後約10年間にわたって執ようなまでの写生に励む。その成果を、大正6年父の朝陽舎書店からスケッチ集『スケッチそのをりをり』として出版。またこの年、生年の干支「己丑」と『寒山詩』の「土牛、石田を耕す」にちなんで、父から「土牛」の号を与えられ、これが、のちの土牛の芸術的姿勢を貫くことになる。同6年半古が没したのちは古径に師事し、9年から2年ほど古径宅に住み込みで指導を受けた。同10年から新人の登龍門であった中央美術社展、翌11年から日本美術院試作展に入選を続け、12年日本美術院研究員となる。13年には中央美術社第5回展で「家」が中央美術賞を受賞、15年春ごろから速水御舟の研究会に出席し、刺激を受けた。そして昭和2年第14回再興院展に「胡瓜畑」が初入選。この時土牛は38才で遅咲きのデビューであったが、翌3年第15回院展「雨趣」、4年第16回「蓮池」、5年第17回「枇杷と少女」を出品、同4年日本美術院院友、7年同人となる。昭和に入り、古径の画風を思わせる大正期の線的要素の強い画風から豊かな色彩の表現へと移行し、16年第28回院展に戦前の代表作「遅日」を出品する。戦後はそれはさらにふくよかさを増し、28年第38回院展「聖牛」、バレリーナ谷桃子をモデルにした31年第41回「踊り子」、32年第42回「浄心」、代表作の34年第44回「鳴門」、47年第57回「醍醐」、52年第62回「吉野」、53年第63回「僧」、55年第65回「浄心」と、創作意欲は衰えることを知らなかった。まさにその歩みは、雅号のように、また著書の自伝『牛のあゆみ』のように着実な前進を続け、描くことのみに専心した人生は、晩年「画聖」とも言われた。晩年は富士山を多く描き、平成2年第75回院展「平成の富士」が絶筆となった。昭和10年帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授、19年東京美術学校講師、23年武蔵野美術大学講師、26年同大学教授、24年女子美術大学教授に就任。また22年日本芸術院会員、37年文化功労者、55年東京都名誉都民となり、37年文化勲章を受章。日本美術院でも33年監事および評議員、34年理事となり、53年から理事長をつとめていた。

略年譜
明治22年
2月18日、東京市京橋区に、出版社藍外堂を営む奥村金次郎(28歳)・たま(27歳)の長男として生まれる。本名義三。
明治32年 10歳
3月、日本橋区城東尋常高等小学校尋常科を卒業、高等科に進むが、健康に恵まれず、1年で中退。
明治38年 16歳
9月、父の仕事上の知人で梶田半古門下山下某の紹介で牛込矢来町の半古塾に入門。主に塾頭格小林古径の指導を受ける。
明治39年 17歳
3月、日本美術院の名で開かれた日本絵画展覧会に「菅公の幼時」入選。
明治40年 18歳
3月、東京勧業博覧会に「敦盛」入選。
明治41年 19歳
4月、巽画会第8回展に妹をモデルにした「少女」と「ゆく春」出品、「ゆく春」は褒状。
明治42年 20歳
6月、巽画会第9回展に「とりこ」出品、褒状受賞。
明治45・大正元年 23歳
7月、逓信省為替貯金局統計課に勤務。ポスターや統計図、絵葉書などの絵を描く仕事を5年ほどつづける。
大正6年 28歳
11月、木版スケッチ集「スケッチそのをりをり」を父の藍外堂改め朝陽舎書店から出版。この時、生年の干支と「寒山詩」中の「土牛、石田を耕す」に因んだ「土牛(とぎゅう)」の号を父から与えられる。
大正9年 31歳
この年より2年程、東京府荏原郡馬込村に新築の小林古径の画室に留守番役を兼ねて住込み、古径の傍らで指導を受ける。
大正10年 32歳
5月、中央美術社第2回展(上野公園竹之台陳列館)に「乙女椿」入選。
大正11年 33歳
3月、日本美術院第8回試作展(三越)に「トマト畑」入選。
6月、中央美術社第3回展(三越)に「白牡丹」「慈姑」入選。
大正12年 34歳
3月、日本美術院第9回試作展(上野公園竹之台陳列館)に「柿」出品。
6月、中央美術社第4回展(上野公園竹之台陳列館)に「犢」出品。
9月1日、関東大震災で京橋区中橋和泉町の自宅焼失、スケッチ、下図、作品などすべて灰燼に帰す。
この年、日本美術院研究会員となる。
大正13年 35歳
3月、日本美術院第10回試作展(三越)に「冬池」出品。
6月、中央美術社第5回展に「初夏菜果」と「家」出品、「家は」中央美術賞受賞。
大正14年 36歳
2月、日本美術院第11回試作展(竹之台陳列館)に「鶴見風景」出品。
5月、第6回中央美術展に会友として「柿」「麻布南部坂」出品。
大正15・昭和元年 37歳
2月、第7回中央美術展(日本美術協会列品館)に「鳩」「枇杷」出品。
5月、第1回聖徳太子奉讃展(東京府美術館)に「牛」出品。
春頃から小林古径の紹介で速水御舟の研究会に出席する。
昭和2年 38歳
2月、日本美術院第12回試作展(東京府美術館)に「冬」「秋刀魚」出品。
3月、第8回中央美術展(東京府美術館)に「少女」出品。
9月、日本美術院第14回展覧会(以下院展と略)に「胡瓜畑」初入選。
昭和3年 39歳
2月、日本美術院第13回試作展に「鴛鴦」「冬池」出品。
4月、第9回中央美術展(東京府美術館)に「風景」出品。
9月、第15回院展(東京府美術館)に「雨趣」出品。
昭和4年 40歳
4月、第10回中央美術展に「白梅」出品。
9月、第16回院展に芝公園で取材した「蓮池」出品、日本美術院々友に推挙される。
11月、小林古径の媒酌により徳島生まれの森仁子と結婚。
昭和5年 41歳
3月、第2回徳聖太子奉讃美術展に「雁」出品。
9月、第17回院展に「軍鶏」「枇杷と少女」出品。
昭和6年 42歳
9月、第18回院展に「鴉」出品。
昭和7年 43歳
6月、日本美術院同人に推挙される。
9月、第19回院展に堀切菖蒲園で取材した「菖蒲」出品。
昭和8年 44歳
9月、第20回院展に「孤猿」出品。
昭和9年 45歳
3月、日本美術院第18回試作展に「鳶」出品。
9月、関尚美堂によって九皐会が組織され、会員に迎えられる。
昭和10年 46歳
3月、日本美術院第19回試作展に「朝顔」出品。
9月、第22回院展に「野辺」出品。
10月、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)日本画科主任教授となる。
昭和11年 47歳
2月、第1回帝国美術院展覧会で「鴨」が推奨第1位、後に政府買上となる。
5月、第2回九皐会展(東京美術倶楽部)に「餌」「烏賊」出品。
9月、第23回院展に「兎」出品。
昭和12年 48歳
3月22日、父金次郎逝去(77歳)。
9月、第24回院展に「仔馬」出品。
昭和13年 49歳
9月、第25回院展に「鵜」出品。
この年より酒井三良としばしば写生旅行を行なう。
昭和14年 50歳
2月、太田聴雨、酒井三良と京都に小林柯白を訪ね舞妓や大原女を写生する。
3月、青丘会第4回新作日本画展(高島屋主催)に「大原所見(八瀬の牛)」出品。
9月、第26回院展に「晴日」出品。
11月、奥村土牛金島桂華新作画展(日本橋三越)に「貂」「早春」等を出品。
昭和15年 51歳
1月、年を越した風邪から肺炎を併発、臥床半年に及び、その後熱海来の宮山王ホテルで静養。
この間紀元2600年奉祝展出品のため湯河原遊園地のロバを写生するが、完成せず、翌年の院展に出品。
昭和16年 52歳
6月、酒井三良と東北旅行。
9月、第28回院展に「遅日」出品。
10月、第4回新文展審査員に任命される。以後、第6回まで審査に当る。
昭和17年 53歳
9月、第29回院展に「真鶴」出品。
昭和18年 54歳
4月、文部省、情報局、大政翼賛会支援のもとに社団法人日本美術報国会結成準備委員会が開かれ委員に任命される。
昭和19年 55歳
6月、東京美術学校日本画科講師となる。
10月、文部省戦時特別美術展覧会に「信濃の山」出品、文部省買上となる。
この年、戦争が苛烈になり、家族を長野県南佐久郡臼田町に疎開させる。
昭和20年 56歳
2月18日、母たま逝去(83歳)。
5月25日、東京大空襲で自宅焼失。東京美術学校も休校状態になったため長野の家族のもとに疎開。
昭和21年 57歳
9月、第31回院展に菅平あたりの雪山風景に取材した「雪の山」出品。
同月、文部省主催第2回日本美術展覧会(日展)審査員に任命される
11月、第1回日本美術院小品展(日本橋三越)に「山葡萄」出品。
昭和22年 58歳
3月、第2回日本美術院小品展に「牛」出品。
4月、帝国芸術院会員に推薦される(帝国芸術院はこの年12月に日本芸術院と改称)。
9月、第32回院展に「緋鯉」出品。
昭和23年 59歳
3月、第3回日本美術院小品展に「静物」出品。
4月、兼素洞主催清流会が発足、会員に迎えられ、その第1回展に「鯉」出品。
9月、第33回院展に「新秋」出品。
11月、三越主催彩交会が発足、会員に迎えられ、その第1回展に「南瓜」出品。
この年、武蔵野美術大学日本画科講師となる。
昭和24年 60歳
4月、清流会第2回展に「蛤」出品。
同月、女子美術大学芸術学部教授となる(昭和55年まで)。
6月、第5回日展審査員に任命される。
9月、第34回院展に「白日」出品。
昭和25年 61歳
4月、第5回日本美術院小品展に「上高地」出品。
9月、第35回院展に「軍鶏」出品。
昭和26年 62歳
9月、第36回院展に「仔山羊」出品。
11月、7年ぶりに疎開先の信州から帰京、杉並区永福町に居を構える。
12月、東京芸術大学(旧東京美術学校)講師を辞任。武蔵野美術大学教授となる。
昭和27年 63歳
4月、第7回日本美術院小品展に「三彩壷」出品。
9月、第37回院展に「花」出品。
昭和28年 64歳
1月、第4回秀作美術展(日本橋三越)に「花」(前年作)選抜出品。以後、ほとんど毎回選抜される。
3月、安田靫彦の推薦で多摩美術大学日本画科教授となる。
5月、第2回日本国際美術展(東京都美術館)に「静物」出品。
9月、第38回院展に「聖牛」出品。
11月、中央公論社画廊で素描展開催。
昭和29年 65歳
9月、第39回院展に「舞妓」出品。
12月、三越50周年記念奥村土牛展(日本橋三越)開催、「古九谷」等を出品。
昭和30年 66歳
1月、奥村土牛新作展(大阪三越)開催。
3月、日本美術院回顧展(銀座松阪屋)に「菖蒲」(昭和7年作)、「遅日」(昭和16年作)出品。
5月、奈良に旅行し醍醐寺、薬師寺、秋篠寺、西芳寺などの古刹を尋ね、仏像や古建築をみてまわる。
7月、第7回清流会展に「水蓮」出品。
9月、第40回院展に「城」出品。
昭和31年 67歳
5月、第2回現代日本美術展(東京都美術館)に出品(作品名不明)。以後、第9回までほとんど毎回出品。
7月、朝日新聞社主催、デッサン・シリーズ第2回奥村土牛素描展(銀座松屋)開催。
9月、第14回院展に「白鳥の湖」を演ずるバレリーナ谷桃子をモデルとする「踊り子」出品。
昭和32年 68歳
4月3日、恩師小林古径逝去(74歳)。
同月、第12回日本美術院小品展に「茶室(素描)」出品。
5月、第4回日本国際美術展(東京都美術館)に「静物」出品。
9月、第42回院展に「浄心」出品。
昭和33年 69歳
4月、第13回日本美術院小品展に「舞妓(素描)」「古楽面(素描)」出品。
5月、日本美術院は財団法人に改められ監事及び評議員に推される。
7月、清流会第10展に「泰山木」出品。
9月、第43回院展に「那智」出品。
昭和34年 70歳
1月、日本美術院理事となる。
7月、清流会第11回展に「金鯉」出品。
9月、第44回院展に「鳴門」出品。
昭和35年 71歳
5月、朝日新聞社主催、名作シリーズ第3回奥村土牛自選展(銀座松屋)開催、大正13年から昭和35年に至る作品47展が出品される。
12月、玄皎会第5回展に「椿」出品。
昭和36年 72歳
4月、第16回日本美術院春季展に「静物」出品(昭和34年より小品展を春季展と改称)。
4月、歌舞伎座緞帳「泰山木」の下絵を制作。
7月、清流会第13回展に「舞妓」出品。
9月、第46回院展に「蓮」出品。
11月、白寿会第14回展に「静物(スペイン・タラベラ鉢)」出品。
この年、「八重桜」を宮内庁に献上。
昭和37年 73歳
4月、第17回日本美術院春季展に「夏」出品。
7月、彩交会第15回展に「シャム猫」出品。
11月3日、文化勲章受章。
昭和38年 74歳
3月、雨晴会第8回展に「精進湖」出品。
4月、第18回日本美術院春季展に「舞妓(素描)」出品。
9月、第48回院展に「茶室」出品。
同月、本間美術館(酒田市)で奥村土牛自選小品展開催。
昭和39年 75歳
5月、彩交会第17回展に「スコッチテリヤ」出品。
6月、清流会第16回展に「閑日(ポメラニアン)」出品。
9月、第49回院展に「室内」出品。
昭和40年 76歳
6月、清流会第17回展に「桜島」出品。
9月、東京国立近代美術館・朝日新聞社主催、院展芸術の歩み〈戦前〉展に「胡瓜畑」(昭和2年作)、「菖蒲」(昭和7年作)、「遅日」(昭和16年作)、出品。同〈戦後〉展(銀座松阪屋)に「踊り子」(昭和31年作)、「鳴門」(昭和34年作)、「室内」(昭和39年作)が出品される。
昭和41年 77歳
3月、第21回日本美術院春季展に「花」出品。
武蔵野美術大学、多摩美術大学教授を辞任。
5月、毎日新聞社主催、第7回現代日本美術展(都美術館)に「鵜」出品。
6月、彩交会第19回展に「シルバータービー」出品。
7月、山種美術館竣工記念展に「三彩鑑賞」出品。
9月、第51回院展に「稽古」出品。
昭和42年 78歳
1月から朝日新聞連載の、大佛二郎作「天皇の世紀」挿画を5人の画家と交代で担当。
3月、第22回日本美術院春季展に「志野」出品。
9月、第52回院展に「門」出品。
昭和43年 79歳
4月、第23回日本美術院春季展に「照瑞尼」出品。
5月、素描集出版記念奥村土牛素描展(日本橋三越)開催、「土牛素描」(中央公論美術出版)の原画と新作素描合わせて約60点出品。
9月、第53回院展に「鹿」出品。
昭和44年 80歳
3月、春光会第1回展(小田急)に「牡丹」出品。
4月、第24回日本美術院春季展に「漢壷」出品。
6月、清流会第21回展に「初夏の花」出品。
9月、第54回院展に「朝市の女」出品。
昭和45年 81歳
9月、第5回院展に「大和路」出品。
10月、秋田美術館で奥村土牛自選展開催。
12月、奥村土牛〈天皇の世紀〉原画展(銀座吉井画廊新館)開催。
同月、中央公論秋季展に「富士」出品。
昭和46年 82歳
3月、第26回春の院展(昭和45年より春季展を春の院展と改称)に「佳代」出品。
狭心症や前立腺の病気で秋の院展は不出品。
11月、神奈川県文化財協会・朝日新聞社主催、奥村土牛自選展(横浜高島屋)開催。
昭和47年 83歳
4月、第27回春の院展に「揺籃」出品。
この春、岡山から四国を巡り、さらに京都の御室、奈良、吉野を訪ねる。
7月、雨晴会第17回展に「遼壷」出品。
8月、「日本美を描く」展(日動サロン)に「今井(奈良県)」「今井(素描)」出品。
9月、第57回院展に「醍醐」出品。
同月、開館20周年記念「現代の眼-近代日本の美術から」展(東京国立近代美術館)に「城」(昭和30年作)、「鳴門」(昭和34年作)、「茶室」(昭和38年作)、「桜島」(昭和40年作)が出品される。
11月、奥村土牛新作展(日本橋三越)に「富士」「筑波」「榛名富士」「洛北の家」等出品。
昭和48年 84歳
3月、東京国立近代美術館評議員会評議員となる。
4月、第28回春の院展に「仔牛」出品。
5月、奥村土牛展(渋谷東急本店)開催、約80点が出品される。
9月~10月、日本経済新聞に「私の履歴書」が連載される。
昭和49年 85歳
1月、奥村土牛素描展(銀座松屋)に近作から自選した15点出品。
3月、第1回椿会美術展(資生堂ギャラリー)に「猫」出品。
4月、第29回春の院展に「薄紅梅」出品。
5月、現代日本画の10人展(山種美術館)に「揺籃」(昭和47年作)、「醍醐」(昭和47年作)、「仔牛」(昭和48年作)、「醍醐の桜(素描)」が選抜出品される。
9月、第59回院展に「輪島の夕照」「閑日」出品。
同月、自伝『牛のあゆみ』が日本経済新聞社から出版される。
同月、奥村土牛の画室-近作素描-展(資生堂ギャラリー)に「シャム猫」「舞妓」等未発表の鉛筆淡彩素描画11点出品。
昭和50年 86歳
4月、第30回春の院展に「ガーベラ」出品。
6月、雨晴会第20回展に「水芭蕉」出品。
7月、「海を描く」現代絵画コンクール展(新宿伊勢丹)に「房州鴨川」を招待出品。
9月、第60回院展に「谷川岳」出品。
同月、日本経済新聞社主催、院展60年の歩み展(三越)に「醍醐」(昭和47年作)が出品される。
昭和51年 87歳
3月、第31回春の院展に「早春」出品。
4月、第2回現代日本画の10人展(山種美術館)に「輪島の夕照」(昭和49年作)、「閑日」(昭和49年作)、「薄紅梅」(昭和49年作)、「谷川岳」(昭和50年作)、「ガーベラ」(昭和50年作)が選抜出品される。
5月、第3回椿会美術展に軽井沢で取材した「白樺」出品。
6月、雨晴会第21回展に「鹿」出品。
7月、山種美術館開館10周年記念日本画新作展に「山中湖富士」および素描3点出品。
9月、第61回院展に「北山杉」出品。
昭和52年 88歳
4月、奥村土牛作品と素描展(兼素洞)に「双鶴」等本画4点、素描11点出品。
5月、奥村土牛素描-中国古代青銅その他-展(吉井画廊)に24点出品。
9月、第62回院展に「吉野」出品。
昭和53年 89歳
4月、第3回現代日本画の10人展(山種美術館)に「北山杉」(昭和51年作)、「吉野」(昭和52年作)、「犀尊素描」(昭和52年作)、「須菩提立像素描」(昭和52年作)、「石楠花」(昭和52年作)が選抜出品される。
5月、第5回椿会美術展に「黒牡丹」出品。
同月、日本美術院理事長に任命される。
9月、第63回院展に「僧」出品。
11月、日本放送出版協会、奥村土牛素描集発刊を記念して奥村土牛素描展(日本橋高島屋)を開催、引き続き京都にて開催。
昭和54年 90歳
1月、富士素描展(銀座松屋)開催、本画2点、素描12点を出品。
3月、山種美術館・日本経済新聞社主催 特別展「奥村土牛」(山種美術館)開催。大正13年から昭和53年までの作品70点、素描25点が出品される。
4月、第34回春の院展に「牡丹」出品。
同月、第1回日本秀作美術展(日本橋高島屋)に「僧」(昭和53年作)選抜出品。以後、現在までほとんど毎回選抜される。
5月、武蔵野美術大学資料図書館にて奥村土牛素描展開催。
昭和55年 91歳
3月、第35回春の院展に「花」出品。
4月、第4回現代日本画の10人展(山種美術館)に「黒牡丹」(昭和53年作)、「僧」(昭和53年作)、「瓶花」(昭和54年作)、「舞妓」(昭和54年作)が選抜出品される。
5月、奥村土牛自選素描展(横浜高島屋)開催。
9月、第65回院展に「姪」出品。
10月1日、東京都から名誉都民の称号を贈られる。
昭和56年 92歳
2月、日本経済新聞社主催、奥村土牛展(日本橋三越)開催。
6月、浜田庄司を偲び、土牛雅心会開催(横浜高島屋)、土牛の上絵、島岡達三の作陶で、茶碗、花瓶、絵皿など約60点を出品。
9月、第66回院展に「海」出品。
昭和57年 93歳
3月、日本経済新聞社主催、奥村土牛の素描-巨匠と舞妓展(日本橋高島屋)開催。素描30点出品。
同月、第37回春の院展に「アンスリューム」出品。
4月、第5回現代日本画の10人展(山種美術館)に「姪」(昭和55年作)、「海」(昭和56年作)が選抜出品される。
9月、第67回院展に「富士宮の富士」出品。
昭和58年 94歳
4月、山種美術館・山陽新聞社共催、奥村土牛-その人と芸術-展(岡山天満屋)開催、約70点出品。
9月、第68回院展に「聖」出品。
昭和59年 95歳
4月、第39回春の院展に「京の筍」出品。
9月、第69回院展に「犢」出品。
昭和60年 96歳
4月、第40回春の院展に「富士」出品。
9月、第70回院展に「吉野懐古」出品。
同月、日本美術院・日本経済新聞社共催、再興院展70年の歩み展(日本橋三越)に「鳴門」(昭和34年)が出品される。
同月、横浜市・横浜市教育委員会・奥村土牛素描展実行委員会主催、奥村土牛自選素描展(横浜市民ギャラリー)開催。
10月、山種美術館・西武美術館・日本経済新聞社主催、奥村土牛展-清冽な精神、心の日本画(有楽町アート・フォーラム)開催、約50展出品。
昭和61年 97歳
4月、第41回春の院展に「芦の湖より見たる富士」出品。
6月、土牛の書展(日本橋壷中居)に書26展出品。
9月、第71回院展に「登り窯」出品。
昭和62年 98歳
2月、白寿記念奥村土牛展(山種美術館)開催。
平成2年 101歳
9月26日 死去。
(『白寿記念 奥村土牛展』カタログより、山種美術館、昭和62年)

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(313-318頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「奥村土牛」が含まれます。
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