帝院十四会員辞表提出 

記事番号:00071
年月:1936年06月

六月四日文部大臣主催に依る懇談会開催後、会員の間では文相提出の試案に就いて種々考究されつゝあつたが、六月十二日に至り、第一部に属する川合玉堂菊池契月鏑木清方橋本関雪富田渓仙横山大観、安田靭彦、前田青邨小林古径、第二部和田英作梅原竜三郎、第三部佐藤朝山、平櫛田中、第四部富本憲吉合計十四名の会員は夫々辞表を提出し、同夜連名を以て左の如き声明書を発表、其の理由を明にした。 「不肖等さきに帝国美術院改組の趣旨に賛成し文部当局の懇請に応じて会員の任命を受け爾来全力を挙げて新帝院の使命達成に尽瘁し総会の決議に基きて今春その第一回展覧会を開催し十分の成績をもつて当局の信任に応ふるを得たりと確信せり然るに偶々文部大臣の更迭に曾し未だ既定の秋期展覧会の開催も見ざるに当局の方針突如として一変し改組以来の経過と厳たる院議の決定とを無視し不肖等の絶対支持をも顧みず新大臣は曩に帝国美術院が天下に公約したる展覧会の構成を破棄することを前提とし全く改組の趣旨を没却せる試案を提示するに至れるは不肖等の甚しく遺憾とするところにして不肖等は新当局の到底信頼すべからざるを確認し茲に会員の職を辞するものなり。 昭和十一年六月十二日 橋本関雪富田渓仙富本憲吉和田英作川合玉堂鏑木清方横山大観梅原竜三郎、安田靭彦、前田青邨小林古径、佐藤朝山、菊池契月平櫛田中

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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