小松崎茂

没年月日:2001/12/07
分野:, (その他)
読み:こまつざきしげる

 SF画のパイオニアとして人気を集めた小松崎茂は12月7日午後9時26分、心不全のため死去した。享年86。1915(大正4)年2月14日、東京府北豊島郡南千住町(現東京都荒川区南千住町)に生まれる。高等小学校卒業後、池上秀畝門下の日本画家堀田秀叢に師事、花鳥画を学ぶが、やがて挿絵を志すようになり、秀叢の弟弟子で挿絵画家として人気のあった小林秀恒に学ぶこととなる。1938(昭和13)年『小樽新聞』連載の講談の挿絵でデヴュー。39年から少年科学雑誌『機械化』に描き続けた未来の兵器は、小松崎自身が創案した新兵器をヴィジュアル化したものだった。戦時下の43年には第2回陸軍美術展に「ただ一撃」、国民総力決戦美術展に「敵コンソリー爆撃機墜ツ」、第3回航空美術展に「ニュージョージヤ島の死闘」などの戦争画を出品。戦後は絵物語「地球SOS」(『冒険活劇文庫』1948~51年)や「大平原児」(『おもしろブック』1950~52年)により人気を集め、山川惣治と並ぶ少年雑誌界の寵児となる。絵物語のブームが去った後も細密で迫力のあるSFの世界や戦艦・戦闘機を雑誌やプラモデルの箱絵に描き続け、特撮映画のデザインにも参加、またテレビ全盛時代に入ると「サンダーバード」などのキャラクター画も数多く手がけた。77年には、20代の頃描きためた銀座や浅草のスケッチを載せた『懐かしの銀座・浅草』(文:平野威馬雄 毎日新聞社)が刊行。1990(平成2)年画業をまとめた『小松崎茂の世界 ロマンとの遭遇』(国書刊行会)で日本美術出版最優秀賞受賞。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(251頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小松崎茂」『日本美術年鑑』平成14年版(251頁)
例)「小松崎茂 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28243.html(閲覧日 2024-03-29)

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