弦田平八郎

没年月日:2001/02/15
分野:, (評)
読み:つるたへいはちろう

 神奈川県立近代美術館館長、横浜美術館館長を歴任した美術評論家の弦田平八郎は2月15日午前11時55分、肺がんのため横浜市金沢区の病院で死去した。享年72。1928 (昭和3)年7月3日、東京都大田区新井宿4丁目994に生まれる。麻布中学校、旧制第四高等学校を経て東北大学文学部に入学し、美学西洋美術史学科に学んで美学を専攻し、52年3月に同科を卒業した。その後一時白木屋に勤務する。59年8月から60年7月まで白木屋の用務によりアメリカハワイ州に滞在。67年に神奈川県立近代美術館学芸員となる。当時の同館の構成は、土方定一館長のもと、佐々木静一朝日晃、酒井忠泰、副島三喜男、そして弦田が学芸員として勤務していた。明治百年をむかえた68年前後から高まった日本近代美術の再評価を背景に、日本で最初に設立された近代美術館であり、日本近代美術史について確固たる独自の視点を有した土方定一の牽引する企画で注目された同館の学芸員として、弦田は様々な展覧会に関わるとともに、当時さかんになった日本の近現代美術を紹介する全集その他の出版物に筆をふるった。85年3月から1992(平成4)年3月まで同館館長、92年4月から翌年まで横浜美術館館長をつとめた。

主要編著書

著書

『龍のおとし話』1、2 (自費出版 1999年) 

編著 

『日本の名画 21 土田麦僊』(講談社 1973年)    
池上秀畝画集』(信濃毎日新聞社 1984年)    
『小阪芝田画集』(信濃毎日新聞社 1986年)(矢島太郎と共編・共著)    
『日本素描大観10』(講談社 1983年)    
責任編集 『加山又造全集 4』(学習研究社 1990年)    
『昭和の文化遺産 2 日本画』(ぎょうせい 1991年)    
『現代の日本画 6 片岡球子』 (学習研究社 1991年) 

解説 

『現代絵巻全集 7 富田渓仙・今村紫紅』(小学館 1982年)    
『現代日本の美術 2 平福百穂・富田渓仙』(集英社 1975年)    
『現代日本の美術 14 速水御舟』(集英社 1977年) 

共編 

『20世紀日本の美術』1~18 (集英社 1986~1987年)    
『明治・大正・昭和の仏画仏像』(小学館 1986~1987年)

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(234頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「弦田平八郎」『日本美術年鑑』平成14年版(234頁)
例)「弦田平八郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28212.html(閲覧日 2024-10-16)

以下のデータベースにも「弦田平八郎」が含まれます。
to page top