梅原猛

没年月日:2019/01/12
分野:, (学)
読み:うめはらたけし

 哲学者の梅原猛は1月12日、肺炎のため自宅で亡くなった。享年93。
 1925(大正14)年3月20日、宮城県仙台市に父・梅原半二と母・石川千代の間に生まれ、母の病没後は伯父夫婦のもとで育つ。東海中学校、広島高等師範学校を経て、1943(昭和18)年3月、第八高等学校文科乙類(現、名古屋大学)に入学、45年3月に同校を卒業し、同年4月、京都帝国大学文学部哲学科に入学したのち陸軍野砲兵隊に入営。終戦後の同年9月に大学に復学し、48年9月京都大学を卒業した。京都大学大学院特別研究生を経て52年10月、龍谷大学文学部に専任講師として着任。55年4月より立命館大学文学部専任講師、57年4月同大助教授、67年4月に同大教授となったが、学園紛争によって69年に立命館大学を辞職。72年4月京都市立芸術大学美術学部に教授として着任。同大では二度にわたって学長を務めた(1974年7月~80年6月、83年7月~86年3月)。86年3月京都市立芸術大学を退職、同年4月に国際日本文化研究センター創設準備室長となる。87年5月には国際日本文化研究センターが発足し初代所長に就任した(~1995年5月)。1995(平成7)年5月国際日本文化研究センター顧問。97年4月、第13代日本ペンクラブ会長(~2003年4月)。京都市立芸術大学名誉教授。
 65年第19回毎日出版文化賞、69年第3回仏教伝道文化賞、72年第26回毎日出版文化賞、87年第15回大谷竹次郎賞、91年第44回中日文化賞、92年第43回NHK放送文化賞、同年文化功労者、98年第5回井上靖文化賞、99年文化勲章。叙従三位。
 梅原は八高時代に哲学書を読み漁り、西田幾多郎ら京都学派に憧れて京都帝国大学に入学、哲学者の山内得立に師事した。京都帝大では西洋哲学を学んだが、最初の著作となった『仏像―心とかたち』(共著、日本放送出版協会、1965年)を契機として日本文化や仏教への関心を深める。続く『地獄の思想―日本精神の一系譜』(中公新書、1967年)で、日本における地獄思想の形成と表象を論じて一躍注目をあつめた。その後も怨霊史観で古代史を大胆に解釈した『隠された十字架―法隆寺論』(新潮社、1972年)や『水底の歌―柿本人麻呂論』(新潮社、1973年)、出雲神話を論じた「神々の流竄」(『梅原猛著作集8』集英社、1981年)、東北地方に縄文文化の基層を見いだす『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』(佼成出版社、1983年)など話題作を次々と発表。フィールドワークを重視し、仮説から論を展開する梅原の手法に対しては、実証性や史料解釈の面から批判的な意見も少なくなかったが、斬新な切り口で古典や歴史、宗教、日本文化を縦横無尽に論じた著作は数多くの読者を獲得、また、歌舞伎や能の戯曲を執筆するなど晩年まで多彩な分野で活躍した。
 『仏像―心とかたち』で梅原は精神史的側面から仏像を読み解いて独自の芸術論を切り開き、以降、芸術や作家に関する著作を数多く執筆した。梅原の芸術論は作品の造形が人間の精神的な営為を象徴するものと見る、あるいは作家・芸術家の生い立ちやその人間性に強い関心を寄せるものであった。主な著作に夭折した画家・三橋節子に関する『湖の伝説 画家・三橋節子の愛と死』(新潮社、1977年)や浮世絵師・写楽を歌川豊国と同一人物であると論じた『写楽 仮名の悲劇』(新潮社、1987年)、江戸時代の仏師・円空の作例を網羅的に訪ね歩いた『歓喜する円空』(新潮社、2006年)があるほか、監修を手掛けた『人間の美術』全10巻(学習研究社、1989~91年)では自身も『1 縄文の神秘:縄文時代』・『4 平城の爛熟:奈良時代』・『10 浮世と情念:江戸時代2』・『7 バサラと幽玄:室町時代』を執筆。岡本太郎や横尾忠則をはじめとする作家とも交流が深く、京都市立芸術大学時代の同僚には秋野不矩石本正、安田謙、藤平伸三浦景生ら、学生には森村泰昌や山本容子、森田りえ子らがいた。2001年以後、梅原と関わりの深い作家による展覧会が断続的に開かれ、2014年には「梅原猛と25人のアーティスト―梅原猛 卆寿記念―」(高島屋京都店ほか)が開催された。作家らとの対談集に『梅原猛対談集 芸術の世界』(講談社、1980年)、『美の奇神たち 梅原猛対話集』(淡交社、2013年)がある。また、自身でも書を手掛け藤平や三浦らとの個展も開催している。
 そのほかの著書に『笑いの構造』(角川書店、1972年)、『美と宗教の発見:創造的日本文化論(講談社文庫)』(講談社、1976年)、『空海の思想について(講談社学術文庫)』(講談社、1980年)、『梅原猛著作集』全20巻(集英社、1981~83年)、『海人と天皇 日本とは何か』(朝日新聞社、1991年)、『梅原猛著作集』全20巻(小学館、2000~03年)、『天皇家の“ふるさと”日向をゆく』(新潮社、2000年)など、ほか多数。死後、国際日本文化研究センターから『梅原猛先生追悼集―天翔ける心』(2020年)が出されたほか、『ユリイカ 4月臨時増刊号』736(2019年3月)や『芸術新潮』832(2019年4月)で特集が組まれた。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(477頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「梅原猛」『日本美術年鑑』令和2年版(477頁)
例)「梅原猛 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2040901.html(閲覧日 2024-04-28)

以下のデータベースにも「梅原猛」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top