海上雅臣
美術評論家の海上雅臣は8月28日、肝不全のため死去した。享年88。
1931(昭和6)年、東京四谷に新劇の俳優だった父母の三男として生まれる。母方の祖父は平福穂庵に師事し沖縄で活躍した日本画家の山口瑞雨。10代の頃より俳句に関心を持ち、俳人の原石鼎や石田波郷と交流。17~25歳の間は俳名である神林良吉の名で活動した。49年、18歳で棟方志功の版画を購入したのを機に棟方と交流するようになる。50年、上智大学に入学するも9月で中退し、日本信販株式会社に入社。同社の宣伝誌『家庭信販』を担当し、同誌に吉井勇の和歌と棟方志功の木版画を連載する。54年資生堂絵具工業株式会社に転職。同社では国際学童美術研究会を設立し、久保貞次郎や北川民次等が創設した創造美育協会にも参加。一方で54年に棟方志功の文集『板画の話』、56年に『板画の道』を宝文館より刊行、棟方を民芸作家として扱う柳宗悦の見解に対し、その現代美術家としての評価に努める。62年から翌年にかけてパリで遊学、ソニア・ドローネーやマン・レイと交流する。64年、着色料のメーカーである大日精化工業株式会社に入社。同社在籍中に東京銀座5丁目に壹番館画廊を開設(~1971年)、中本達也展や建築家白井晟一の書展等を開催する。68年カラープランニングセンターを設立、大日精化の高橋義博社長を理事長に、自らは専務理事となり、新進デザイナーを理事に招聘して色彩に関する調査やコンサルティングを行なう。72年美術評論家連盟会員となる(2013年退会)。74年に現代美術を支援するプロダクションとしてUNAC TOKYOを設立、会報誌『六月の風』を創刊する。77年にはその7年前に出会って以来、傾倒してきた書家の井上有一の作品集『井上有一の書』をUNAC TOKYOより刊行。85年に井上が亡くなると、その翌年の86年に「生きている井上有一の会」を結成。海上は同会の代表を務め、1999(平成11)年には長野県信濃美術館で開催された「比田井天来と日本近代書道の歩み」展で、井上の作品が芸術観や戦争観の異なる作家の作と展示されることに抗議、裁判に持ち込み、美術館での企画展のあり方に一石を投じた。2000年、井上有一のカタログレゾネ『井上有一全書業』全3巻を十年の歳月を経て完成させる。02年、日本現代藝術振興賞を受賞。
主要な編著書は上記に挙げた書籍の他、下記のものがある。
『木内克作品集』(美術出版社、1962年)
『八木一夫作品集』(求龍堂、1969年)
『定本木内克』(現代彫刻センター、1974年)
『棟方志功 美術と人生』(毎日新聞社、1976年)
『棟方志功』(保育社カラーブックス、1977年)
『バイルレ 都市・集合・エロス トーマス・バイルレ造型美の世界』(サイマル出版会、1982年)
『やきものこの現代 八木一夫前後』(文化出版局、1988年)
『井上有一全書業』(UNAC TOKYO、1996~2000年)
『井上有一 書は万人の芸術である』(ミネルヴァ日本評伝選、2005年)
『井上有一書法是万人的芸術』(中国・河北教育出版社、2009年)
『現代美術茶話』(藤原書店、2019年)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「海上雅臣」『日本美術年鑑』令和2年版(497-498頁)
例)「海上雅臣 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041071.html(閲覧日 2024-12-13)
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