深沢史朗
版画家深沢史朗は、4月20日脳髄膜炎のため東京豊島区の鬼子母神病院で死去した。享年71。明治40年2月26日栃木県那須郡に生まれ、大正15年から昭和5年まで川端画学校に、また昭和2年から同10年まで梅原龍三郎に師事し、国画創作協会に出品、戦後は同34年新樹会に参加し油彩画を発表した。その後版画に転じ、同40年に最初の創作版画の個展を開催、以後版画家として国際展などを中心に制作発表を行った。同41年第5回東京国際版画ビエンナーレ展に「生命の詩その1」他が入選、同44年第8回リュブリアナ国際版画展に「TimeA」を招待出品、翌45年第3回クラコウ国際版画ビエンナーレ展では、招待出品した「Time Ⅸ」がポズナン市賞を受けた。同47年フレッヘン国際版画ビエンナーレ展で4位賞を受賞、またこの年から「Sharaku」シリーズを始めた。この間、現代日本版画展、英国国際版画ビエンナーレ、ウィーン国際版画ビエンナーレ、ビエラ国際賞展などに作品を発表した。没後深沢史朗追悼展(同54年、栃木県立美術館、和光)が開催された。
出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(287頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「深沢史朗」『日本美術年鑑』昭和54年版(287頁)
例)「深沢史朗 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9580.html(閲覧日 2024-10-10)
例)「深沢史朗」『日本美術年鑑』昭和54年版(287頁)
例)「深沢史朗 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9580.html(閲覧日 2024-10-10)
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