帝国芸術院組織経過

記事番号:00218
年月:1937年06月

帝国芸術院官制の閣議決定と共に文部省では、予定の人選に基き会員任命の内交渉を開始したが、美術部門に於ては新官制の制定と共に帝国美術院は廃止され、其の院長及び会員は其の侭帝国芸術院長及び会員に任命されることとなる為、昨年六月平生文相の態度に慊らず辞表を提出した侭現在に及んでゐる十数名の帝国美術院会員の中には、今次の組織に疑問を抱いて辞退の意を表した者が多かつた。文部当局では伊東次官初め日本美術院其の他の辞退会員等と懇談を重ね翻意を促す所あり、二十一日細川護立侯は横山大観和田英作、及び梅原竜三郎と会見した上文部当局との間に斡旋し、文部省では同夜別記の如き声明書を発表、一方辞意を表した会員等も過去の行掛りを棄てて参加することとなり、新組織の人選決定を見るに至つた。

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
to page top