米良道博

没年月日:1983/03/16
分野:, (洋)

 一陽会創立会員の洋画家米良道博は、3月16日脳こうそくのため大阪府羽曳野市の城山病院で死去した。享年79。号道伯。明治36(1903)年11月10日和歌山県東牟婁郡に生まれ、大正12年和歌山師範学校を卒業、昭和2年大阪へ出て信濃橋洋画研究所に学び、小出楢重、鍋井克之らに指導を受ける。同4年第16回二科展に初入選し以後同展に出品、同14年第26回展に「結髪」「夏の夕」を出品し特待となり、同16年の第28回展に「街道市」を出品し二科会会友に推挙さる。戦後、同22年の二科展から復帰し翌年二科会会員となる。同30年に二科会を退会し、鈴木信太郎野間仁根高岡徳太郎ら同志と一陽会を結成、同年の第1回展に「壷のある静物」を出品する。以後、同展に出品するとともに、同35年からは全関西美術展の審査に携わった。また、同50年には那智山青岸渡寺三重の塔の壁画を完成した。初期一陽展への出品には「室内裸婦」(3回)、「窓と裸女」(4回)などの裸体表現や、「富嶽日輪」(9回)などの富士の連作がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(300頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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