松島蘇順泉

没年月日:1973/03/06
分野:, (洋)

 二科会会員の洋画家、松島蘇順泉は3月6日午後5時、心筋コウソクのため埼玉県北埼玉郡の自宅で死去した。享年73歳。松島蘇順泉は、本名を順、医師でもあった。医学生時代から絵を学び、郷里で開業医のかたわら牧野虎雄に師事して、戦前には帝展、槐樹社展などに出品、戦争中は軍医として従軍、戦後は、主として二科展、埼玉県展に作品を発表していた。

年譜
明治32年(1899) 10月18日、埼玉県北埼玉郡の医家の長男として生れる。
大正1年 原道尋常小学校を卒業、埼玉県立粕壁中学校に入学。
大正6年 4月、粕壁中学校を卒業、東京慈恵会医学専門学校予科に入学。
大正8年 葵橋洋画研究所に入り素描を学び、また辻永に作品をみてもらう。慈恵会医専の2年先輩吉田忍、1年先輩の鈴木良三と3人で踠土魔社を創立、毎年秋に講堂で展覧会を開く。
大正10年 第2回中央美術展に「裸木の陽」入選。
大正11年 10月、三科インデペンデント展に出品。
大正12年 東京慈恵会医学専門学校を卒業、附属東京病院外科助手となる。第4回新光洋画会展に入選。第4回中央美術展に「玉乗り」入選。
大正13年 第5回新光洋画会展入選。大塚つる子と結婚。
大正14年 第12回光風会展に「画室の午後」「静物」入選。医業を継ぐために郷里埼玉へ帰る。
昭和2年 第1回大調和展に「夢を行く人」入選。
昭和3年 牧野虎雄に師事、第5回槐樹社展に「冬の静物」「残んの花」入選。第2回大調和展「冬近し」
昭和4年 第6回槐樹社展「冬の静物」「金魚針」。
第10回帯展に「秋立つ頃」入選
昭和5年 第7回槐樹社展「金魚」「猫」。第17回光風会展「自画像」「秋晴れ」。第11回帝展「曇り日」入選。
昭和6年 第8回槐樹社展「秋立つ頃」「初秋の庭」
昭和8年 第20回二科展に「名残の花」入選。
昭和10年 第3回東光会展「秋立つ頃」。第22回二科展「春浅き頃」。
昭和11年 第23回二科展「秋晴れ」
昭和12年 第24回二科展「野火」。12月召集を受け、2週間、軍医教育をうける。
昭和13年 第25回二科展「秋立つ頃」。12月、軍医として南中国地方広東に出征する。
昭和14年 広東近郊にて砲兵伍長の二科会会員野間仁根と会う。2月、海南島に赴任、「海南島だより」を内地の新聞に送る。7月、第1回聖戦美術展に「新海南島」入選。9月、海南島で個展。10月、汕頭に赴任。
昭和15年 10月15日~20日、日本橋三越で南支那風景画展を日本ビクター主催で開催。
昭和16年 7月・中国東北区(旧・満州)のハルピンへ赴任。
昭和17年 満州建国10周年記念展に「開拓地の五月」を出品。特選金賞を受賞。第29回二科展「井戸端(満州風景)」。
昭和18年 ビルマのラングーンへ赴任。日緬美術展に「パゴダの見える丘」出品、1等賞を受賞。
昭和20年 ビルマで敗戦を迎え、英軍の収容所に入る。
昭和21年 12月、ビルマより復員。
昭和25年 第2回読売アンデパンダン展に「南の街」「男と女」出品。
昭和30年 第40回二科展「スケッチブック」入選。
昭和32年 第42回二科展「死の灰」。
昭和33年 第43回二科展「ネット裏の六億」。
昭和34年 第44回二科展「レーダーで見た画室」
昭和36年 第13回読売アンデパンダン展「流水」「早春溪流」
昭和37年 第14回読売アンデパンダン展「作品A」「作品B」。第12回埼玉県展に「早春」招待出品。第47回二科展「ゲリラ」。
昭和38年 第15回読売アンデパンダン展「湖畔の秋」。埼玉県展「田園の詩」。第48回二科展「舞台裏」
昭和39年 埼玉県展「卓上静物」。第49回二科展「幕内楽師」。
昭和40年 埼玉県展「静物」。第50回二科展「房内」、創立50周年記念賞を受賞。
昭和41年 埼玉県展「人々」。第51回二科展「建売住宅」、会友に推挙される。
昭和42年 埼玉県展「五月の県北風景」。第52回二科展「新居の月」。
昭和43年 埼玉県展「県北の秋」。第53回二科展「屋根裏の画室」。
昭和44年 埼玉県展「窓外の花」。愛54回二科展「建売住宅」。
昭和45年 埼玉県展「地生えの人」。第55回二科展「回顧展」、二科会会員に推挙される。
昭和46年 埼玉県展「県北の秋」。第56回二科展「姑娘」、審査員となる。
昭和47年 埼玉県展「マカオ寸景」、県展審査員。第57回二科展「バラエテイ」。
昭和48年 3月6日、自宅にて逝去。
本年譜は『赤蝶』19号に掲載されている「松島蘇順泉年譜」による。

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(246-247頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月29日 (更新履歴)
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