荻野康児

没年月日:1974/06/19
分野:, (洋)

一陽会会員の洋画家、荻野康児は、6月19日午後5時30分、がん性腹膜炎のため東京杉並区の自宅で死去した。享年72歳。荻野康児は明治30年(1897)3月10日横浜市に生まれ、和歌山県で育ち、京都市立美術工芸学校で日本画を学んだが、中途退学して上京、川端画学校で洋画を研修、白日会展、日本水彩画会展に出品、昭和9年(1934)の日本水彩画会展で日本水彩賞を受賞、同年会員となった。また、昭和8年(1933)第20回二科会展から同15年第27回展まで出品、昭和15年日本水彩画会を退会して同志8名で水彩連盟を結成し同展に専ら出品した。戦後、二科会再建に参加して会員となったが、昭和30年(1955)二科会を脱退、野間仁根らと一陽会を設立した。また、戦前には自宅で水彩画研究所を開設、戦後には水彩画技法書をアトリエ社から刊行している。

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(258頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「荻野康児」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(258頁)
例)「荻野康児 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9367.html(閲覧日 2024-04-20)

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