伊本淳

没年月日:1984/02/27
分野:, (彫)

 昭和36(1961)年の渡仏後、フランスを中心に活動していた彫刻家伊本淳は、2月27日午後1時15分、悪性リンパ腺しゅようのためパリのパッシー病院で死去した。享年68。大正4(1915)年、東京に生まれ、東京美術学校工芸科鋳金部に学ぶ。同校在学中の昭和12年第24回二科展彫刻部に「婦人首」で初入選。翌年東美校を卒業する。同21年復員帰国し、新制作派協会展に数年出品する。同29年画家野間仁根、彫刻家植木力、浅野孟府らによって創立された一陽会に会員として参加する。同36年春、渡仏、翌37年より42年までサロン・デ・ザンデパンダン展、同38年より42年までサロン・ド・ラ・ジュンヌ・スキュルプチュール展に出品、同40年ギャラリー・サン・ローラン(仏)で個展を開くとともに、ギャラリー・ラ・トゥールでの選抜展にピカソらに混じって出品する。同41年ギャラリー・オー・バットゥリエ(ベルギー)で個展。同42年には7年ぶりに帰国し、高島屋で個展を開いた。マイヨール風の写実的人体彫刻から出発したが、渡仏後、空想や文学から生まれた主題を、人体を基本としてデフォルメした形体で表現する作品に転ずる。金属、特に鉄を主な素材とし、鍵や釘などを熔接してアサンブラージュ的要素をとりいれている。箱根彫刻の森美術館の「断絶」や東京・田町の産業安全会館前の「黎明」などで知られる。
一陽展出品歴 第2回(昭和31年)「女人柱像」、3回「女1」、4回「水(テラゾー)」「少女(テラゾー)」「踊る(鋳物)」、5回(同34年)「待望」、6回「作品」、以後出品せず。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(242頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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