児島喜久雄
元東京大学教授、国立博物館評議員児島喜久雄は7月5日逝去した。享年64。明治20年10月10日東京市四谷区に於いて児島益謙五男として生れた。同39年7月学習院中等科卒業、同年第一高等学校独文科入学、同42年東京帝国大学文科大学哲学科入学、美学を専攻、翌43年4月から白樺同人となり同誌に寄稿した。大正2年7月、東京帝国大学卒業、引続き大学院に入学し、大塚保治教授指導の許に欧洲美術史研究に従う。同4年4月独逸学協会中学校独逸語教師を、更に翌5年5月学習院講師を嘱託され、又この年矢代幸雄と美術新報の編輯に当つた。同7年4月東京女子大学講師、同9年3月東宮職出仕を嘱託せられ、6月には学習院の教授となつた。同10年8月アメリカ経由欧洲に留学、ヴエルフリン、ボーデ博士等と共に欧洲美術史の研究に従事、留学中、東北帝国大学助教授、文部省留学生となつた、同15年7月帰国東北帝大に赴任した。昭和7年9月、帝国美術院附属美術研究所嘱託となり同9年11月、九州帝国大学法文学部西洋美術史講師を嘱託され同10年3月東京帝国大学文学部助教授兼東北大学助教授となつた。同13年12月ベルリン日本古美術展開催に際し、独、仏、伊、米に出張し翌年5月帰国した。同14年京城帝国大学法文学部西洋美術史講師を嘱託され同15年美術振興会調査会委員となつた。同16年東京帝国大学教授となり、美術史学講座を担当、同21年6月国宝保存会委員となつた。同23年3月東京大学を停年退職、同月、国立博物館評議員、4月早稲田大学文学部講師、5月長尾美術館々長となり24年1月には大学設置委員会委員、東京工業大学講師となつて逝去迄在任した。著作に「レオナルド・ダ・ヴインチ」、「西洋美術館めぐり」「美術概論」「希臘の鋏」などあり、油絵肖像画、装幀などにも筆をとつた。
出 典:『日本美術年鑑』昭和22~26年版(143-144頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「児島喜久雄」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(143-144頁)
例)「児島喜久雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8937.html(閲覧日 2024-10-11)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1939年11月 清麿公銅像競作
- 1940年02月 東洋美術国際研究会の設立
- 1941年12月 野間美術賞の設定
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