赤松麟作

没年月日:1953/11/24
分野:, (洋)

 関西洋画界の元老であつた赤松麟作は11月24日、大阪市天王寺区の自宅で喘息のため逝去した。享年75歳。岡山県津山に生れ、東京美術学校西洋画科選科を卒業、更に研究所に学んだのち、三重県や和歌山県の中学教員を暫くつとめた。この間、白馬会出品の「夜汽車」が白馬会賞となり注目をうけた。その後は大阪朝日新聞に勤務、或は大阪市立工芸学校、関西女子美術学校に勤める傍ら、文・帝展に出品をつづけ、つねに関西洋画壇の育成に尽力し、晩年には大阪府より知事文芸賞をうけた。
略年譜
明治11年 1月20日、岡山県津山に生れた。
明治29年 東京美術学校西洋画科選科に入学。
明治32年 同校卒業、更に同校研究科に学ぶ。
明治33年 同研究科退学、三重県第一中学校教員となる。
明治35年 白馬会展に「夜汽車」を出品、白馬会賞をうけた。
明治36年 和歌山県新宮中学校教員となる。
明治37年 大阪朝日新聞社に入社、紙上に挿絵執筆。
明治41年 第2回文展に「迷子」初入選。
明治43年 大阪梅田に赤松洋画研究所を開いた。
明治44年 第5回文展に「午後三時」を出品褒状となつた。
大正2年 第7回文展に「おきな」「鶏と子供」を出品、前者は褒状となつた。
大正4年 朝日新聞社を退社。
大正7年 光風会々員
昭和2年 大阪市立工芸学校教員となる。
昭和7年 帝展無鑑査となる。
昭和11年 この年からは新文展に出品を続けた。関西女子美術学校教授となる。光風会退会。
昭和12年 明治記念館壁画「明治天皇津村別院行幸図」を完成した。
昭和15年 大阪市美術展覧会審査員となる。
昭和16年 関西女子美術学校々長となる。
昭和20年 大阪市立美術研究所教授。
昭和23年 大阪府より知事文芸賞をうけた。
昭和28年 11月24日、大阪市天王寺区の自宅で逝去。享年75歳。

出 典:『日本美術年鑑』昭和29年版(162-163頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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