北川民次

没年月日:1989/04/26
分野:, (洋)

元二科会会長の洋画家北川民次は、4月26日肺線維症のため愛知県瀬戸市の陶生病院で死去した。享年97。特特なデフォルメによる生命感あふれる作風で知られ、はやくから児童美術教育のすぐれた実践者でもあった北川民次は、明治27(1894)年1月17日静岡県榛原郡に生まれた。生家は農業で製茶業を営み、アメリカへも茶を輸出していた。明治43年県立静岡商業学校を卒業し早稲田大学へ入学したが、大正2年中退しカリフォルニア在住の伯父を頼って渡米した。翌3年ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに入り、社会的主題を描いたジョン・スローンに師事、ここで国吉康雄と相識った。大正10年、アート・ステューデンツ・リーグを卒業するまでの間、苦学を重ね主に舞台美術家として生計をたてていた。同12年、アメリカ南部からキューバへ放浪、同年9月メキシコのオリサバに着き、サンテーロ(聖画行商人)となって村々を転々とした。同年中、サンカルロス美術学校に入学、特待生となり3カ月で卒業する。翌13年、チュルブスコ村の旧僧院で研修する画学生の一員となり、この頃、リベラ、オロスコ、シケイロスらと交際、彼らの推進する野外美術学校に関わることになり、同14年からのトランバムの野外美術学校奉職を経て、昭和6年タスコに移した野外美術学校の校長となった。同8年には、メキシコ旅行中の藤田嗣治が訪問する。同11年、学校を閉鎖して帰国し、一時愛知県瀬戸市に寓居した。翌12年上京し豊島区長崎仲町1-241に居住、藤田嗣治の紹介で同年の第24回二科展に「メキシコ、タスコの祭日」「同、銀鉱の内部」「同、悲しき日」「メキシコの三人娘」「瀬戸の工場」を出品し、会員に推挙された。同年、数寄屋橋の日動画廊で第1回目の個展「メキシコ作品展」を開催する。同13年久保貞次郎を知る。戦前は、二科展の他、聖戦美術展(同14年)、紀元二千六百年奉祝美術展(同15年)、新文展(同18年)にも出品した。同18年、瀬戸市安土町23番地に転居し、以後同地に定住した。戦後は、二科展をはじめ、美術団体連合展、日本国際美術展、現代日本美術展、国際具象美術展、国際形象展、太陽展などに制作発表を行う。その間、瀬戸の民衆生活を題材に、独自のデフォルメによる原始的な生命感の横溢する作風を展開、1960年代からは色彩の上で一転し、それ以前のいわゆる「灰色の時代」から鮮烈な原色の明るさをました。一方、メキシコ時代に身につけた銅版画をはじめ、石版、木版画もよくした。また、児童美術教育にも力を注ぎ、昭和24年名古屋市東山動物園内に名古屋動物園美術学校を開設(同26年迄)、同26年名古屋市東山に北川児童美術研究所を設立、翌27年には創造美育協会の創立に発起人として参加した。同30年から翌年にかけ、メキシコを再訪したのち、中南米、フランス、スペイン、イタリアを巡遊する。同39年、第6回現代日本美術展出品作「哺育」で優秀賞を受賞。同48年東急日本橋店他で「画業60年北川民次回顧展」(毎日新聞社主催)が開催された。同53年、東郷青児の死去のあと二科会会長に推されたが、「残る人生は、ただ描くために」と同年9月会長を辞し、翌年二科会も退会した。『北川民次画集』(昭和31年、美術出版社、同49年、日動出版)のほか、『絵を描く子供たち』(岩波新書、同27年)、『子供の絵と教育』(同28年、創元社)、『メキシコの誘惑』(同35年、新潮社)などの著書がある。

主要出品歴
二科展
24回 「メキシコ、タスコの祭日」「メキシコ、銀鉱の内部」「メキシコ、悲しき日」「メキシコの三人娘」「瀬戸の工場」
25回 「メキシコ舞踏図」「静物」「見物人(メキシコ)」「戦後図(メキシコ)」
26回 「大地」「ゆあみ」
27回 「南国の花」「琉球首里城外の森」「薔薇」
28回 「修学」「勤労」「舞妓」
29回 「浜に行く道」
30回 「農漁之図」「鉱士之図」
31回 「景色」「重荷」
32回 「雑草の如く」
33回 「雑草の如く(其二)」
34回 「雑草の如く(其三)」
35回 「夏の小川」「森の泉」「黒」
36回 「黒と灰色の風景」「花火を弄ぶ少女達」「白い工場」
37回 「窯と働く人々」「少女とキリギリス」
38回 「降霊術者」「陶工」
39回 「女のつどい」
41回 「タスコの教会」「メキシコ市場の一隅」「サボテンの樹」
42回 「寺院の前の人たち」
43回 「ファンダンゴ」
44回 「蝗のむれ」「陶器を作る」
45回 「白と黒」
46回 「工場A」「工場B」
47回 「画家とその家族」
48回 「母子家族像」
49回 「三人の女客」「花」
50回 「二十年目の悲しみの夜」
51回 「食後」
52回 「メキシコ三姉妹」
53回 「陶房の人々」
54回 「画家の家族」
55回 「夏の宿題」
56回 「真夏の花」「太陽の花」
57回 「花と母娘」
58回 「百鬼夜行」
59回 「少年像」
60回 「茶畑」
61回 「茶園のある風景A」「茶園のある風景B」
62回 「風景」
日本国際美術展
1回 「瀬戸の工場裏」
2回 「三河花祭の鬼」
4回 「花嫁」
5回 「砂の工場」
6回 「工場」
7回 「労働者の家族」
8回 「セトモノ」
9回 「瀬戸風景」
現代日本美術展
3回 「ファンダンゴ(乱ちき騒ぎ)」
4回 「客人」
5回 「花」
6回 「哺育」「平和な闘争」
7回 「花と幼女」
8回 「アトリエの母子」
9回 「哺育」(1964年作)

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(239-240頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「北川民次」『日本美術年鑑』平成2年版(239-240頁)
例)「北川民次 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10035.html(閲覧日 2024-04-19)

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