世界の硝子名品展
1962年08月エジプトガラス、ローマングラスなど、いわゆる古代ガラス約120点を中心に、英、独、伊、和蘭陀、印度、中国、などの近世ガラス50余点を加え、系統的にガラス工芸の歩みを紹介したもの。日本陶磁協会、読売新聞社主催で7日から19日まで、東京・白木屋で開かれた。
エジプトガラス、ローマングラスなど、いわゆる古代ガラス約120点を中心に、英、独、伊、和蘭陀、印度、中国、などの近世ガラス50余点を加え、系統的にガラス工芸の歩みを紹介したもの。日本陶磁協会、読売新聞社主催で7日から19日まで、東京・白木屋で開かれた。
昭和36年1月から行なわれていた、高野山の重要文化財薬師堂の位碑堂の半解体修理が完成、31日竣工式が行なわれた。この両堂は、徳川家光が寛永2年から8年をついやして建てられた最古の東照宮である。
25日未明、無形文化財「壬生狂言」で知られる京都市中京区の真言宗大本山壬生寺本堂が全焼、同寺の重要文化財の内、6点を焼失した。
明治天皇50年祭を記念して、明治天皇遺愛品、宮廷にゆかりの深い美術品、帝室技芸員の手になる門外不出の美術品などを展観、主催は明治神宮と毎日新聞で25日から8月5日まで東京日本橋・三越で開かれた。
昭和34年度以降4ケ年計画で実施されている史跡秋田城跡の最終年度の発掘が行なわれた。
神奈川県立近代美術館で8日から8月26日迄ひらかれた万鉄五郎展は、万の美術学校入学前の作品から晩年作まで、油絵180余点、水彩50余点、木版、水墨画、デッサン約100点に及び、万鉄五郎の、初めての大規模な回顧展であつた。
京都大学第三次イラン・アフガニスタン・パキスタン学術調査隊(朝日新聞社後援)の第一陣は4日、東京を出発した。調査隊は同大学人文科学研究所の水野精一教授を隊長に助教授、大学院学生等7人。さきに行なわれた第一、第二次調査につづき約4ケ月にわたつて中近東の仏教発祥地をたずね、主として考古学、美術史の立場からこの地方を調査する。
京都青蓮院の宸殿にある桃山様式の浜松図襖絵(重要文化財)17面のうち1枚が、朝から夕方までの間にきりとられ、この他指定外のもの2枚もあわせて盗難にあつた。
昨年5月から実施中であつた国立近代美術館の増改築工事が完成し、28日から「近代日本の造形」展で再開された。今回の増改築工事によつて展示室は従来の287坪から451坪と約6割増加し、映写室を兼ねた講堂の座席数も80から210と拡張した。
16日から開催の第31回ヴェネチア国際ビエンナーレ展で、菅井汲は国際大賞につぐデヴィッド・アンド・ブライト基金賞(50万リラ)を受賞した。なお同展国際審査委員の1人として日本では富永惣一が指名され、審査に参加している。
川端竜子が自作の代表作品を収めるため、東京大森・新井宿の竜子邸前の敷地に建設したもので、現存作家が自作のために美術館を作つたのはこれが初めてである。
かつて、古稀の際にも記念として回顧的な「竜子の歩み」展(第1回)を開いたが、今年、喜寿記念として「竜子の歩み」第3回展を東京・高島屋で開き(第2回は青竜社創立30年)、第2回展から今年迄、5年間の展覧会出品作品並びに、未発表作品54点が展観された。会期は5日から17日まで。
根津美術館では、東武百貨店の創設を記念し、茶器を主体とした同館の主要蔵品を公開する「根津美術館展」を、29日から6月17日まで池袋東武百貨店において開催し、伝牧谿筆「漁村夕照図」をはじめ、絵画、書跡、茶器、漆工、金工品など約400点を出陳した。
文化財保護委員会による文化財集中社寺調査の第1回として計画された伊勢神宮を中心とする文化財の総合調査は5月28日から約1週間実施された。調査は、神宮司庁、徴古館、文庫を中心に、朝熊山、神島、和具島の範囲に及び、調査件数は300点にのぼつた。
朝日新聞社主催のもとに11日から20日迄、東京銀座・松屋でひらかれた。明治35年作の「一葉女史の墓」から近作まで、清方自選になる50余点の代表作が陳列された。
ブリヂストン所蔵のフランス画家の作品50点が、フランス側の要望によりパリ近代美術館で5月4日から展観された。
仏像彫刻を主体とするタイ国美術の遺品約300点の展観が、バンコック国立博物館、日本経済新聞社の主催のもとに、5月4日から17日まで、上野の松坂屋で開かれ、引続き名古屋、大阪においても展観され、図録も刊行された。
毎日新聞社主催の第5回現代日本美術展は9日から30日まで上野の都美術館で開かれたが、今回から公募部門を設け一般作家も加えることになつた。
深水の画業50年を記念する回顧展が、17日から29日まで朝日新聞主催のもとに東京日本橋の三越で開かれた。作家自選の展覧会で、大正5年以来近作迄約80点が陳列された。
日本経済新聞社主催により10日から15日迄東京・白木屋で開かれた。初期の「自画像」や「ローソク」の時代から極めて単純化された色面と描線による独自のスタイルを示す現在の仕事まで、油絵100点、日本画、色紙、素描など約50点が出品された。