福沢一郎独立展脱退

記事番号:00463
年月:1939年04月

独立美術協会にあつて前衛派の代表的作家と見られてゐた福沢一郎は四月五日左の声明書を発表して同会を脱退した。同会では協議の結果彼を除名処分にし、又同志に告ぐとの声明を発してその立場を明かにした。 「画壇は今日戦争といふ大きな現実体験や苦悩の間に、そして後に生ずるであらう我々の熾烈な絵画精神の誕生に対して、余りにも無関心であります。我々がこれに対する認識や熱情を持ち、そしてその為に真に在野性を主張出来る展覧会を遂行する事は、絶対に必要であります。これにはまた綜合的な芸術各部門の協力が望ましく、それによつて一層輝しい成果を収める事が出来るでせう。不幸にして小生は、現在の環境に在つて、以上の目的に適ふ何事も為し能はぬことを痛感するに至りました。そこで今回第九回展を最後として独立美術協会を脱会し、更に適切な組織の下に、明日の絵画を目指して倍旧の努力をしたいと思ひます。脱会に際して一言声明します  四月五日 福沢一郎

登録日: 2014年04月14日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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