本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1912(明治45 / 大正1) 年12月31日

 十二月三十一日 火 晴 午前画室ノ片附ヤ書類ノ整理ヲナス 午後景色描写ノ為来合セタル森岡氏ニ頼ミ参考品ナルベキ厳島ノ絵図ヲ模写セシム 和田君来リ一時間半程語ル 先是午後一時半頃静子殿入来 予而依頼シ置タル鎌倉貸別荘一二軒見当レリトノ事故直ニ照子ヲ下見ニ遣ハス 二時半ノ列車ニハ乗リ後レタル由後ニテ聞タリ 処々一覧ノ上夜食モ取ラズ八時半頃帰宅ス 然ルニ留守中橋口家ヨリ往来際ノ小屋明キタル旨電話ニテ通知アリ 照子帰宅後相談ノ結果先ヅ此方借用スル事ニ決定セリ 偖又宅ニテハ夕刻森岡子絵図ヲ写シ了リテ去リ程ナク杉浦子入来 真美大観 国華等ノ中拙者ノ参考トシテ最モ適当ナル分数図ヲ貸与セラル 厚意感謝ノ至ナリ 九時頃岡野子来訪暫ラク語ル 十二時頃大槻子見ユ 先日ヨリ交渉中ナリシ習作売渡ノ件今夕落着シタリトテ代金ヲ持参セラル 三時過ニ至リ寝ニ就ケリ

1912(明治45 / 大正1) 年12月30日

 十二月三十日 月 晴 所謂雪ノ明日ニテ日光雪ヲ照ラシタル様面白ク午後日当ノ雪景ヲ描ク 更ニ又夕刻氏神様ノ家根鳥居ナドヲ望メル図ヲ作ル 夜ニ入リテ間モナク杉浦君来リ後チ府立工芸学校ノ深見氏ト例ノ荻原君来訪

1912(明治45 / 大正1) 年12月22日

 十二月二十二日 日 雨 明七時半ヨリ経師屋内田来リ障子貼ヲナス 十時渡邊滿太郎君依頼ノ画ノ件(菊図)ニ付山井大尉入来 発送ノ打合ヲナセリ 午後一時頃菊地君来リ一時間程語ル 高野山ノ古塔ノ台ヲ頼ミタリ 本日ハ厳島ニ関スル古書ナドヲ見昨日ヨリモ心静ナリ

1912(明治45 / 大正1) 年12月21日

 十二月二十一日 土 雨 夜中屡々咳ヲ発シ安眠セズ 今朝七時ニ起サレタレドモ頭重クシテ心地進マズ 出発ヲ見合セ十二時過迄寝床ノ中ニ居タリ 午餐後ハ離座敷ニ籠リ少シク書類ノ整理ナドヲ試ミ力メテ呑気ニ暮ラス積ナリシモ客間ノ障子ノ紙ヲメクル音ナド何トナク不快ニ感ジタリ 夜ニ入リ頭次第ニ軽クナレリ 今回ノ病ハ感冒ト神経衰弱ト相半セルが如シ

1912(明治45 / 大正1) 年12月20日

 十二月二十日 金 曇 昨日ヨリ頻リニ吸入ヲナセシ故カ大分快方ニ赴キタリ 本日ハ専ラ用事ヲ片附ケ荷拵ヲナス 夜ニ入リ来合セタル森岡子ニモ手伝ハセ桑田商会ヨリ頼マレタル写真ノ評点ナドモ了ヘ又留守中ニ取計フベキ用事ヲ一ツヅヽ櫻井ニ云付ケナドスル中ニ早十二時トナル 愈明朝出発スベキカ将又夜汽車ニスベキカ未ダ決定セズ

1912(明治45 / 大正1) 年12月19日

 十二月十九日 木 雨 今朝神戸ヘ出立スベキ筈ノ処感冒ノ為在宅 午前菱沼子図案会ノ規則案ヲ持参ス 即チ修正ヲ加ヘテ返ス 又研究所職員ヘノ歳暮ヲ菱沼ヘ渡シタリ 午後岡野氏来訪 同氏ハ休暇中伊豆山ヘ赴ク由ナリ 夜次江ヲ呼ビ療治ヲナサシム 兼清 孝 森岡三名来リ十二時頃マデ語ル

1912(明治45 / 大正1) 年12月18日

 十二月十八日 水 曇 夕刻ヨリ雨 午前中澤氏光風会当選鑑査員ノ件ニ付入来 又荻原氏午前及夜ノ二回入来 同氏ノ為メ二回足利ヘ電話ヲ掛ケタリ 午後足立家ヘ行ク 本日ヲ以テ肖像画落成セリ 夜食後笄町ニ旅行前ノ御暇乞旁御歳暮トシテ参上 九時半帰宅

1912(明治45 / 大正1) 年12月17日

 十二月十七日 火 晴 竹澤ヨリノ電話ニ起サレタリ 切抜ナド読ミ彼レ是レスル内ニ昼飯トナル 一時過おゑみサン見ユ 渡辺氏来診 是レ拙者少シク感冒ノ気味ナレバナリ 三時ニ至リ東五軒町ヘ出向ク 本日ハ時間少ナキガ故ニ椅子背部ナドノミ描ケリ 荻原君来訪 共ニ食事ヲナシテ有楽座ヘ行ク 本日出来上リタル方ヲ小奈良ヘ贈リタリ(新免氏方ニ於テ) 夜竹澤ヨリ半以上枯死セル台湾植木三種

1912(明治45 / 大正1) 年12月16日

 十二月十六日 月 午前中晴 午後曇 午前中何スル暇モナシ 午後二時又タクシ自動車ヲ雇ヒ上野学校ヘ行キ学期末競技成績品ノ調査ヲナス 了リテ和田君ト八重洲町中央亭ニ開催ノ美術家会規則起草委員会ニ出席ス 森博士ノ訳セル仏国美術家会ノ規則ニ基キ評議ヲナシタリ 十一時散会帰宅セリ

1912(明治45 / 大正1) 年12月15日

 十二月十五日 日 雨 午前十一時頃起ル 終日客ノ相手ヲナシ午前一時半床ニ入ル 来訪者ハ森岡柳蔵 久保田米斎 安仲ノ遺子信雄 荻原一羊 菱沼猛 當舎勝次 山本寛三 木田鐵三

1912(明治45 / 大正1) 年12月14日

 十二月十四日 土 曇 午前十一時ヨリ午後一時マデ葵橋研究所授業 三時頃ヨリ一時間半程牛込東五軒町ニテ肖像画ヲ描キタリ 帰宅後又直チニ帝国座ヘ出向ク 本日ハ荻原氏主催ノ有隣会ノ見物ナリ

1912(明治45 / 大正1) 年12月13日

 十二月十三日 金 晴 午前十一時女学部授業 午後二時谷中斎場ニ於テ安仲ノ葬儀アリ 谷中墓地ニ埋葬セリ 白馬連中村方ニ寄リ後チ谷中町ノ団子屋ニ集マリ暫時休息シ点灯後五時半頃帰宅ス 晩餐時仲省吾子来訪 食後同氏ヲ誘ヒ照ト三人ニテ有楽座ヘ出掛ケ小奈良ヲ聴ケリ

1912(明治45 / 大正1) 年12月12日

 十二月十二日 木 晴 午前中安仲ノ葬儀等ノ件ニツキ諸方ヨリ電話ニテ問合セアリタリ 午後専ラ菊花ヲ描ケリ 此図略落成セリ 又櫻井ヲ以テ安仲ヘ旧白馬会員一同ヨリトシテ香典金二十五円ヲ贈リタリ 夜食後照ト二人ニテ歌舞伎座ニ雲右衛門ヲ聴ク

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