本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。 (記事総数 3,120 件)





永竹威

没年月日:1987/05/29

国際美術評論家連盟正会員の陶芸評論家永竹威は、5月29日心不全のため佐賀市の上村病院で死去した。享年71。大正5(1916)年2月23日佐賀県小城郡に生まれる。生家は南禅寺派常福寺。昭和12年東京高等工芸学校卒業。同16年から佐賀県庁に入り、同48年退職するまで、佐賀県文化館長、文化課長などをつとめた。この間、県窯業試験場兼務の時期に肥前陶磁史に関心を寄せ、同26年には肥前陶磁研究会を組織し常任理事として会の運営にあたった。また、陶芸評論の執筆活動も行った。同48年佐賀女子短期大学教授となる。同51年佐賀新聞文化賞、翌年西日本文化賞を受賞。財団法人田中丸九州陶磁コレクション理事でもあった。著書に『図説 日本の赤絵』(昭和35年)、『図説 九州古陶磁』(同38年)をはじめ多数ある他、共編執筆に『鍋島藩窯の研究』(同29年)などがある。

安田武

没年月日:1986/10/15

「わだつみ会」の再建などでも知られた社会・文化評論家の安田武は、10月15日午後10時25分こう頭がんのため東京都中央区の国立がんセンターで死去した。享年63。大正11(1922)年11月14日東京府北豊島郡に生まれる。昭和16(1941)年京華中学校を卒業して17年上智大学英文科に入学するが、18年学徒出陣し20年ソ連軍と闘って捕虜となり、22年1月帰国。上智大学へ復学する。23年上智大学を退学して法政大学国文科へ転入学するが同年中退。24年『きけわだつみのこえ』に衝撃を受け、出版関係の仕事に従事しつつ執筆活動を続け、34年「わだつみ会」の再建に加わったほか、38年『戦争体験』、42年『学徒出陣』を出版する。また、第二次世界大戦を風化させまいとする姿勢から独自の文化論を持ち、市井の生活を基盤として息づく日本の伝統に目を向け、芸人や職人の型に関する評論活動を行なった。著書に『日本の美学』(45年)、『芸と美の伝承』(47年)、『型の文化再興』(49年)、『を読む』(54年)などがある。

吉村貞司

没年月日:1986/01/04

美術評論家で杉野女子大学教授の吉村貞司は、1月4日肺炎のため東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。享年77。本名弥吉三光。明治41(1908)年9月24日福岡県に生まれる。昭和6年早稲田大学独文科を卒業後、東京社、武侠社(のち婦人画報社)に入り『婦女界』などの編集長をつとめる側ら、詩作、評論活動を展開する。同10年文芸雑誌『翰林』同人となり、同誌上に小説や翻訳を発表する。また、日本伝統研究所をおこし、『伝統』を創刊した。同15年『近代文学と知性の歴史』を刊行。戦後は『新婦人』編集長となり歴史文学運動を展開する。同33年東京造形美術学校教授となり、のち杉野女子大学教授に転じ日本美術史を講じた。この間、美術評論、とりわけ現代日本画の評論を始め、日本画の改革をめざす主張に呼応した画家たちによる有明会、野火展、始原展などの結成に関与した。主著に『東山文化-動乱を生きる美意識』(昭和41年)、『日本美の特質』(同51年)などがあり、『吉村貞司著作集』(全8巻、同54~55年)が刊行された。

坂崎乙郎

没年月日:1985/12/21

美術評論家で早稲田大学政治経済学部教授の坂崎乙郎は、12月21日心臓マヒのため東京都国立市の自宅で死去した。享年57。わが国へのドイツ表現派、ウィーン幻想派などの紹介で先駆的役割を果し、また、短編小説を思わせる語り口による独自の評論活動を展開した坂崎は、昭和3(1928)年1月1日美術史家で朝日新聞社学芸部長、早稲田大学教授をつとめた坂崎坦の次男として、東京都新宿区に生まれた。同26年早稲田大学文学部独乙文学科を卒業、引き続き大学院へ進み美術史を専攻しマネを研究、同29年修了した。同30年から32年まで西ドイツに留学、ザールブリュッケン大学でシュモル教授につき、近代美術を研究する。帰国後、いちはやく美術評論活動に入り、ドイツ表現派やウィーン幻想派などを紹介、とくに幻想芸術の紹介や評論に最も意を注いだ。同34年にはリオン・フォイヒトヴォンガー著『ゴヤ』を翻訳、翌年には著書『夜の画家たち』を刊行、同43年ブリヨン著『幻想芸術』を翻訳刊行、さらにその評論領域は近代日本作家へと拡がり、池田淑人ら異色画家の作家論も手がけた。美術評論家連盟会員でもあった。著書は多く、主なものに『ヨーロッパ美術紀行』(同40年)、『幻想芸術の世界』(同44年)、『イメージの狩人-絵画の眼と想像力』(同47年)、『イメージの変革-絵画の眼と想像力』(同年)、『終末と幻想-絵画の想像力』(同49年)、『絵を読む』(同50年)、『現代画家論』(同年)、『象徴の森』(同年)、『幻想の建築』(同51年)、『視るとは何か』(同55年)、『エゴン・シーレ』(同59年)などがある。

森口多里

没年月日:1984/05/05

日本近代美術史研究で先駆的役割を果し、戦前には西洋美術の紹介にも功績のあった美術評論家森口多里は、5月5日老衰のため盛岡市の自宅で死去した。享年91。本名多利。明治25(1892)年7月8日岩手県膽澤郡に生まれ、大正3年早稲田大学文学部英文学科を卒業。卒業と同時に美術評論の筆をとり、同11年早稲田大学建築学科講師となる。翌12年から昭和3年まで早大留学生として滞仏し、この間パリ大学で聴講、とくにフランス中世美術における建築、彫刻、工芸を主に研究した。帰国後は早大建築学科で工芸史を講じるとともに、新聞、雑誌等に著述活動を精力的に展開、戦前の著作に『ゴチック彫刻』(昭和14年)、『近代美術』(同15年)、『明治大正の洋画』(同16年)、『美術文化』(同)、『中村彝』(同)、『続ゴチック彫刻』(同)、『民俗と芸術』(同17年)、『美術五十年史』(同18年)などがある。同20年5月戦災に遇い岩手県黒沢尻町に疎開し、以後民俗学の研究を本格的に開始した。同23年岩手県立美術工芸学校初代校長に就任、同26年には新設の盛岡短期大学教授を兼任し美術工芸科長をつとめ、同短大では西洋美術史と芸術概論を講じる。同28年からは岩手大学学芸学部非常勤講師をつとめ、同33年には岩手大学教授となる。戦後の著作に『美術八十年史』(同29年)、『西洋美術史』(同31年)、『民俗の四季』(同38年)などがあり、没後の同61年第一法規出版から『森口多里論集』が刊行された。この間、岩手県文化財専門委員、日本ユネスコ国内委員をつとめ、岩手日報文化賞、河北文化賞を受賞する。

今泉篤男

没年月日:1984/01/19

前京都国立近代美術館長で美術評論家の今泉篤男は、1月19日急性心不全のため東京都目黒区の国立東京第二病院で死去した。享年81。戦前から美術評論に従事し、戦後の美術評論界を先駆的に導き美術評論を独自の領域をもつ世界へ高め、また、国立近代美術館の創設に携わり美術行政でも多大の功績のあった今泉は、明治35(1902)年7月7日山形県米沢市に生まれた。山形県立米沢中学校、山形高等学校理科甲類を経て大正12年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、主に大塚保治の指導を受けた。昭和2年卒業後同大学大学院に在籍し、同7年に渡欧、はじめパリ大学、ついでベルリン大学へ転じデッソアー、ニコライ・ハルトマン、オイデベルヒトらの講義を受ける。滞欧中、佐藤敬、田中忠雄、内田巌、小堀四郎、森芳雄、野口弥太郎、佐分利真等の作家と知り会い同9年に帰国。帰国の年から美術評論の執筆を開始し、新時代洋画展感想」(同9年)、「梅原龍三郎と安井曽太郎」(同13年)、『ルノアル』(同)等、展覧会批評、日本現代作家論、西洋美術紹介などに精力的に従事した。また、同10年には「美術批評に就ての疑問」を発表、同13年には土方定一、瀧口修造、植村鷹千代、柳亮らと「美術批評の諸問題を語る座談会」を持つなど、はやくから美術批評の近代的な在り様に対して積極的な発言を行い、この間、同11年には美術批評家協会の創立に参加し会員となった。同10年から17年まで財団法人国際文化振興会に勤務、同15年には文化学院美術部長となる。戦後は、同25年跡見短期大学教授生活芸術科科長となり、翌年国立近代美術館設置準備委員に任命され、翌27年跡見短大を退職し同年創設の国立近代美術館次長に就任した。同26年美術調査研究のため欧米を歴訪。同年毎日新聞社主催のサロン・ド・メ日本展が大きな反響を呼び、翌年日本作家がパリの同展に招待出品されたのを見て、創刊間もない「美術批評」誌上に日本作品に対する率直で鋭い批判を行い論議を呼んだ。同29年美術評論家連盟創立に際し常任委員となり、翌30年には仮称「フランス美術館」設置準備協議会委員(33年まで)となる。国立近代美術館次長としては、「現代美術の実験」展(同36年)を開催し、荒川修作・中西夏之ら若手の作家をとりあげるなど意欲的な企画を主導した。また、日本国際美術展をはじめ各種展覧会に関与しその批評を行ったのをはじめ、浅井忠、梅原、安井、坂本繁二郎、熊谷守一から森芳雄、山口薫にいたる近代日本作家論の幅を広げていった。同38年国立近代美術館京都分館長となり、同42年同分館が独立し京都国立近代美術館となり初代館長に就任、これを機に工芸の世界へも強い関心を寄せ、以後、富本憲吉、河井寛次郎、浜田庄司、岩田藤七、芹沢銈介、志村ふくみらをとりあげ、工芸批評に新機軸をもたらした。同44年京都国立近代美術館長を辞任し、同46年からは跡見学園女子大学美学美術史学科教授として西洋美術史を講じ、同49年に退職。この間、同34年に国立西洋美術館評議員となったほか、国公私立の美術館の運営委員、評議員等を数多く歴任した。評論の中心は日本近代作家論にあり、絵画、版画、彫刻、工芸の各領域に及んだが、当初から従来の美術批評における感覚的な印象評を脱し、かつ美術評論を創造的な独自の領域として自立させるため、評論の言語も芸術作品同様の平明さと鋭さを備えなければならないとの信念をもっており、論理的でありながら、その体験に基づく平明な美文調の文章には定評があった。尨大な著述の主要なものは、『今泉篤男著作集』(全6巻 昭和54年、求龍堂)に収められている。

菊地芳一郎

没年月日:1983/11/30

雑誌「美術グラフ」創刊・主宰者菊地芳一郎は11月30日、脳こうそくのため死去した。享年74。明治42(1909)年4月14日、栃木県鹿沼市に生まれる。大正12年3月高等小学校を卒業し、同14年小学校教員となるが、昭和6年退職する。同9年9月、美術誌「美術林」を創刊、同10年同誌を「時の美術」に改題し、同16年出版統制により廃刊するまで続刊する。同27年9月「美術グラフ」を創刊し、没するまで同誌を発行した。また、その主宰する時の美術社から美術関係の著作を世に送り続け、自らも『戦後15年の日本美術史』『戦後美術史の名作』『昭和史の日本画家』などの著書を出版。美術評論やジャーナリズムの方面で活躍した。

勝見勝

没年月日:1983/11/10

我国のデザイン評論の草分けでありグラフィックデザイン社編集長をつとめていた勝見勝は、11月10日午後3時ころ、東京都渋谷区の仕事場で死去しているのを発見された。享年74。死因は脳イッ血とみられる。明治42(1909)年7月18日、東京都港区に生まれる。昭和7年東京帝国大学文学部美学科を卒業し、同9年同大学院を修了する。同年横浜専門学校教授となり、同14年商工省産業工芸試験所所員を経、戦後は美術評論、著作を業としてアトリエ社顧問をつとめる。同25年ころからデザイン評論の分野で多彩な活動を展開し、「工芸ニュース」「商業デザイン全集」などの編集顧問、世界商業デザイン展顧問、日本デザイン学会設立委員をつとめ、同29年には桑沢デザイン研究所、同30年には造形教育センターの創立に参加する。同34年、季刊誌「グラフィックデザイン」を創刊。翌35年には日本で初めての世界デザイン会議の実現に尽力し、同39年の東京オリンピックではデザイン専門委員長としてその業績を国際的に認められ、以後日本万国博覧会、沖縄海洋博覧会、札幌・モントリオール冬期オリンピックなどのデザイン計画、絵文字による標識を手がけて、実践面でも活躍した。54年東京教育大学講師となり、以後東京大学、東京芸術大学などでも教鞭をとる。また著作も多く、『現代のデザイン』『子供の絵』『現代デザイン入門』などの編著書、『ポール・クレー』『インダストリアル・デザイン』(H・リード著)などの訳書がある。同42年毎日デザイン賞、同52年東京アートディレクターズクラブ功労賞、同53年日本インダストリアルデザイナー協会功労賞、同57年毎日デザイン賞特別賞、同58年国井喜多郎産業工芸賞特別賞を受賞している。

大島辰雄

没年月日:1983/10/19

美術評論家でフランス文学の紹介と翻訳でも知られる大島辰雄は、10月19日心筋こうそくのため東京都目黒区の自宅で死去した。享年73。明治42(1909)年12月20日東京都港区に生まれ、東京外国語学校を中退。戦中は仏領インドネシアでアリアンス・フランセーズに勤務し、戦後はフランス図書に勤めた。フランス文学の紹介のほか、昭和30年代前後から主に西洋近・現代美術に関する執筆、翻訳活動を展開し、また、映画にも深い関心を示した。「芸術新潮」への執筆に「ピカソのデッサン帖」(125号)、「囚われの画家・シケイロス」(147号)、「ビュッフェの博物誌」(170号)、「タントラ・アートと現代美術」(267号)、「ビュッフェの地獄篇-私的覚書」(328号)などがあるほか、「陶工ミロ発生と始源の詩」(小原流挿花14-2)、「映画とシュールレアリスム」(同15-5)などがある。単行図書に『ダリ』(美術出版社)『ピカソ』(みすず書房)他。

小林秀雄

没年月日:1983/03/01

日本芸術院会員、文化勲章受章者の小林秀雄は、3月1日じん不全による尿毒症と呼吸循環不全のため東京・信濃町の慶応病院で死去した。享年80。わが国における近代批評の確立者とされ、美術論でも多大の影響を与えた小林は、明治35(1902)年4月11日東京市神田区に生まれ、昭和3年東京帝国大学文学部仏蘭西文学科を卒業。翌4年、「改造」の懸賞評論に「様々なる意匠」を応募し二席に入選、すでに成熟した確固たる自己の文体と批評の方法を示した。同8年、川端康成らと「文学界」を創刊し文学批評とともに時事的発言も行ったが、やがて戦況が深まるにつれ日本の古典に沈潜し、また陶器と向いあう沈黙の世界に閉じ込もり、「無常といふ事」(同17年)、「西行」(同年)、「実朝」(同18年)、などの作品を生んだ。戦後の仕事は、「モオツァルト」(同21年)、『近代絵画』(同33年刊)など、音楽、美術論を著した時期、『考えるヒント』(同39年刊)に代表される歴史、思想的エッセーを執筆した時期、そして、同40年から「新潮」に連載し同52年に刊行された『本居宣長』の時代に三分して捉えられている。美術論に関しては、その本格的な出発となった『ゴッホの手紙』(同27年刊、第4回読売文学賞)で示されているように、「意匠」をつき抜けた「天才の内面」を掘りあてることに関心を集中させ、孤独で強靭な作家の姿を浮彫りにした。『近代絵画』(同33年刊、第11回野間文芸賞)においても、画家列伝形式でモネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、ルノワール、ドガからピカソをとりあげ、これを近代芸術精神史というべき域へ昂めている。その他、戦前の陶磁器に関するエッセーをはじめ、美術を論じた執筆は数多い。また、晩年はルオーの作品を愛していたという。同34年日本芸術院会員となり、同44年文化勲章を受章。美術関係文献目録(『新訂 小林秀雄全集』新潮社刊-昭和53・54年-所収)第3巻故古賀春江氏の水彩画展「文学界」昭和8年11月第9巻骨董 初出紙未詳。昭和23年9月の執筆か。眞贋 「中央公論」 昭和26年1月号。埴輪 『日本の彫刻1上古時代』、美術出版社刊、昭和27年6月。古鐸 「朝日新聞」 昭和36年1月4日号。徳利と盃 「藝術新潮」 昭和37年2月号。と題する連載の第1回。壷 「藝術新潮」 昭和37年3月号。の第2回。鐸 「藝術新潮」 昭和37年4月号。の第3回。高麗劍 「藝術新潮」 昭和38年2月号。の第4回。染付皿 「藝術新潮」 昭和38年3月号。の第5回。信樂大壷 『信樂大壷』、東京中日新聞社刊、昭和40年3月。原題「壷」。として執筆された。第10巻ゴッホの手紙 「藝術新潮」 昭和26年1月~27年2月ゴッホの墓 「朝日新聞」 昭和30年3月26日号。ゴッホの病氣 「藝術新潮」 昭和33年11月号。ゴッホの繪 『オランダ・フランドル美術』(世界美術大系19)、講談社刊、昭和37年4月。ゴッホの手紙 『ファン・ゴッホ書簡全集』内容見本 みすず書房 昭和38年10月光悦と宗達 『國華百粹』第四輯。毎日新聞社刊、昭和22年10月。原題「和歌卷(團伊能氏蔵)」。梅原龍三郎 「文體」復刊号、昭和22年12月。文末「附記」はこのエッセイが『梅原龍三郎北京作品集』(石原求龍堂刊、昭和19年11月)の解説のために執筆されたものであることを伝えている。鐵齋1 「時事新報」 昭和23年4月30日-同5月2日号。原題「鐵齋」。鐵齋2 「文學界」 昭和24年3月号。原題「鐵齋の富士」。雪舟 「藝術新潮」 昭和25年3月号。高野山にて 「夕刊新大阪」 昭和25年9月26日号。偶像崇拜 「新潮」 昭和25年11月号。原題「繪」。鐵齋3 『現代日本美術全集』第一巻、座右宝刊行会編、角川書店刊、昭和30年1月。原題「富岡鐵齋」。鐵齋の扇面 「文藝」増刊号(美術讀本)、昭和30年11月。鐵齋4 『鐵齋』、筑摩書房刊、昭和32年2月。原題「鐵齋」。梅原龍三郎展をみて 「讀賣新聞」 昭和35年5月7日号夕刊。第11巻近代絵画 「新潮」 昭和29年3月-30年12月号 「藝術新潮」 昭和31年1月-33年2月号。単行本は昭和33年人文書院より刊行。同年普及版を新潮社より刊行。ピカソの陶器 「朝日新聞」 昭和26年3月13日号。マチス展を見る 「讀賣新聞」 昭和26年4月23日号。セザンヌの自畫像 「中央公論」 昭和27年1月号。ほんもの・にせもの展 「讀賣新聞」 昭和31年3月28日号。私の空想美術館 「文藝春秋」 昭和33年6月号-同八月号。マルロオの「美術館」 「藝術新潮」 昭和33年8月号。「近代藝術の先駆者」序 『近代藝術の先駆者』、講談社刊、昭和39年1月。同書は『20世紀を動かした人々』全16巻の第7巻。別巻1中川さんの絵と文 『中川一政文集』内容見本、筑摩書房、昭和50年5月。土牛素描 「奥村土牛素描展目録」 昭和52年5月ルオーの版画 『ルオー全版画』内容見本、岩波書店、昭和54年3月ルオーの事 「ルオー展目録」 昭和54年5月、「芸術新潮」 昭和54年6月号に再録

難波専太郎

没年月日:1982/03/16

美術評論家連盟会員、元美術雑誌「美術探求」主宰者の美術評論家難波専太郎は、3月16日心不全のため東京都大田区の都立荏原病院で死去した。享年87。明治27(1894)年4月18日岡山県吉備郡に生まれ、大正10年東洋大学文学部支那哲学科卒業後、朝鮮総督府京城中学校教諭となり、同13年鉄道従業員養成所に転じ、側ら朝鮮鉄道読本編纂刊行常任幹事となる。昭和6年帰京し、評論家千葉亀雄に師事、また平凡社に3年間勤務したのち旧制東京中学校等で教鞭をとり、この間、雑誌「文学探求」を主宰する。戦後の同22年7月雑誌「美術探求」を創刊、同49年5月まで27年間発行し美術評論活動に専念する。近代日本画家に関する著書も多く、『横山大観』(昭和29年)『川合玉堂』(同30年)『松林桂月』(同33年)『前田青邨』(同35年)『堅山南風』(同41年)『下村観山/川合玉堂』(共著、同51年)などがある。

岸田勉

没年月日:1982/02/07

石橋美術館長、元九州芸術工科大学教授、国際美術評論家連盟会員の美術史家、美術評論家の岸田勉は、2月7日心不全のため福岡県久留米市の自宅で死去した。享年66。大正4(1915)年3月5日久留米市に生まれ、昭和14年九州帝国大学法文学部法科を卒業、同16年同学部文科を卒業する。福岡師範学校教授、佐賀大学教授、九州芸術工科大学教授を歴任し、同53年から石橋美術館館長に就任する。東洋美術史研究から出発し、「李公麟論考」(同30年)、「米元章論」「五代に於ける庶民画の性格とその意義」(同32年)、「田能村竹田の人間的性格」などの論文の他、同37年には文部省在外研究員として欧米に出張し、報告書「ボストン美術館蒐集の日本絵画調査報告」をまとめた。また、はやくから美術評論も手がけ、戦後間もない同20年11月に自ら発起人となり坂本繁二郎を委員長に西部美術協会を創立、翌年春には美術雑誌「西部美術」を創刊、積極的な評論活動を展開した。郷里出身の青木繁、坂本繁二郎をはじめ、日本近代作家研究でも知られ、著書『坂本繁二郎』(昭和49年)などがある。

料治熊太

没年月日:1982/02/01

古美術研究家、評論家の料治熊太は、2月1日脳血栓のため東京都新宿区の河井病院で死去した。享年82。明治32(1899)年7月10日岡山県都窪郡に生まれ、関西中学卒業後大正8年上京、国学院大学で折口信夫の講義を受講、翌年雑誌記者として研究社に入社し、関東大震災後は博文館の雑誌「太陽」の編集に携わる。昭和3年、博文館退社後著述活動に入り、また、この頃会津八一の門下となり古美術の研究に専念する。同4年から16年まで、版画雑誌「白と黒」、「版芸術」などを手がけ、棟方志功、前川千帆、谷中安規らと親交を深める。戦後は古美術の評論に専念、「茶わん」等の諸雑誌に執筆する。また、民俗雑器の収集家としても知られる。著書に『会津八一の墨戯』『日本の土俗面』『古陶の美』『そば猪口』などがある。

江川和彦

没年月日:1981/01/14

戦前・戦後を通じ美術評論の分野で活躍した江川和彦は、1月14日、ガン性胃潰瘍のため東京・五反田の松井病院において死去した。享年84歳であった。本名を銀蔵といい、1896(明治29)年7月6日、東京の麻布に生まれた。1920(大正9)年に早稲田大学文学部哲学科を卒業してのち、数年にして早くも美術雑誌に美術評論を発表して評論活動を始め、以後約50年の間、美術展評を中心に作家論、現代美術の紹介など毎年数多くの論考を執筆した。美術評論活動の一方で、40(昭和15)年には美術問題研究会の会員となり、戦後には49年の美術評論家組合の創立に加わり、50年の改組と51年の美術評論家クラブへの改称後も幹事として活躍した。次いで54年の美術評論家連盟の結成当初からその会員となり55年から5年間は常任委員をつとめた。さらに52年からは武蔵野美術学校の講師となり、62年武蔵野美術大学設置とともにその教授に就任した。67年に定年退職して後も晩年まで非常勤講師として教鞭をとった。常に現代美術の動向を注視し、新宿・風月堂画廊では新人紹介の企画を10年余り続け、美術雑誌に執筆した展覧会評は約480に達する。主要著述目録1926年 民族文化史雑話 美之国 1-51937年 ピカソの芸術(サルバドル・ダリ)(訳) アトリエ 14-61938年 原始ネグロ芸術の現代への関心 美之国 14-9            ローゼンベルクの美術革新論 美之国 15-171939年 デッサンの近代的発展とピサネロのデッサン みづゑ 4171940年 ギリシャ壺瓶絵画の諸要素とその発達 みづゑ 424            ポリグノートス以降のギリシャ絵画 みづゑ 4281941年 バビロニアのテラコッタ アトリエ 18-5            クラナッハの周囲 アトリエ 18-5            芸術文化の建設と美術批評の問題 アトリエ 18-61942年 芸術に於ける亜細亜的性格の一考察1 生活美術 2-111943年 同上2、3 生活美術 3-3、41949年 近代絵画の要素しての光と影 アトリエ 2731950年 海外前衛絵画の動向(アメリカ) アトリエ 277            コンスタン・ブランキュジュ アトリエ 2801951年 抽象絵画小史 アトリエ 2951952年 近代画家達の自画像 美術手帖 56            グロメールの見たニューヨーク アトリエ 3051953年 新しい空間の造型 美術手帖 79            抽象絵画は何故描くのか 萠春 2-9            近代絵画の造形要素としてのフォルム アトリエ 328            具象と抽象 アトリエ 3321956年 抽象芸術の考えと技法 アトリエ 380            抽象美術文献抄 現代の眼 441964年 現代芸術の中のオリエント1~5 三彩 175、177~1801965年 「美術新報」の足跡 本の手帖 1-71966年 ジョージ・ケペッシュの芸術論 三彩 1971975年 日本のシュルレアリスム絵画を基礎づけた戦前の動き 現代の眼 251

土方定一

没年月日:1980/12/23

神奈川県立近代美術館館長、全国美術館会議会長の美術史家、美術評論家の土方定一は、12月23日結腸癌のため鎌倉市の自宅で死去した。享年75。現代美術全般に多大な影響を及ぼした土方は、1904(明治37)年12月25日、岐阜県大垣市に生まれる。22年水戸高等学校文科乙類に入学、在学中同人雑誌「歩行者」「彼等自身」を発刊し詩を発表、また、草野心平の詩誌「銅鑼」の同人となるなど文学活動を行い、27年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、大塚保治、大西克礼教授につく。30年卒業後大学院へ進み、同年、ドイツへ赴くが胸を病んで翌年帰国する。32年、『ヘーゲルの美学-唯物論美学への一寄与』を刊行、34年には明治文学談話会に参加し、機関誌「明治文化研究」の編集にあたる。35年、詩誌「歴程」の同人となり、また「アトリエ」誌上にはじめて美術展評を書き、以後、西洋美術並びに日本の近・現代美術に関する論考、批評を精力的に発表するに至る。38年、内閣興亜院嘱託、ついで41年大東亜省嘱託となり、華北綜合調査研究所文化局副局長に就任し北京へ赴く。同年、『近代日本洋画史』、『岸田劉生』を出版。45年中国から引揚げ、49年千葉工業大学教授となる。50年、『世界美術全集』(平凡社)の編集委員となり、翌年千葉工業大学を辞し、同年開館の神奈川県立近代美術館副館長に就任。54年、美術評論家連盟結成にあたり会長となり、61年には柳原義達、向井良吉らと宇部市彫刻運営委員会をつくり、16名の作家に呼びかけ同市常盤公園でわが国初の野外彫刻展を開催する。63年、『ブリューゲル』を刊行、同書で毎日出版文化賞、67年には『ドイツ・ルネサンスの画家たち』を刊行、翌年同書で芸術選奨文部大臣賞をそれぞれ受賞する。また、65年から神奈川県立近代美術館館長に就任、70年には全国美術館会議会長に選出され、全国公私立美術館の活動全般にわたり指導的役割を果すとともに、以後新設された北海道、群馬、熊本、三重などの美術館建設に尽力する。72年、多年の美術評論活動に対し紫綬褒賞を、翌年、美術館、展覧会の企画活動に対し菊池寛賞を、75年には神奈川文化賞を受ける。78年、勲三等瑞宝章を受章。一方、海外の作品を紹介する企画展覧会の用務をはじめ、しばしば外国へ赴き、その芸術文化に関する国際親善の功績により、ノルウェー、ベルギー、フランス、イタリア、ポーランドからそれぞれ勲章を受ける。また、この間、日本国際美術展、現代日本美術展をはじめ各種の展覧会の審査にあたったほか、文化財専門審議会専門委員(67年、絵画彫刻部会)、群馬県立近代美術館顧問(70年)、国立西洋美術館評議員(71年)、東京国立近代美術館評議員(77年)などを歴任し、76年からは半世紀にわたる厖大な著述を集成した『土方定一著作集』(全12巻、78年完結)を刊行した。主要著作目録1932年 カール・ウィットフォーゲル著、芸術理論家としてのフランツ・メーリング(訳) 「季刊・批評」7月号『ヘーゲルの美学-唯物論美学への一寄与』 木星社1933年 正岡子規の文学論 『正岡子規研究』1934年 わが国浪漫主義文学の展望 「明治文学研究」2月号リアリズム問題に寄せて 「文学評論」3月号高山樗牛と浪漫主義 「唯物論研究」3月号明治の文芸評論(後「明治文学評論史」に改題) 『日本文学講座12・明治大正篇』4月芥川龍之介と葛西善蔵 「浪漫古典」5月号島村抱月と明治美学史 「早稲田文学」6月号森鴎外と明治美学史 「浪漫古典」7月号森鴎外と原田直次郎-明治文学史とのひとつの交流 「文学評論」8月号詩に於ける矛盾の拡大 「文芸」8月号高山樗牛論 「歴史科学」10月号島崎藤村と浪漫主義 『島崎藤村研究』11月号石川啄木と自然主義 『石川啄木研究』『坪内逍遥伝』(千葉亀雄の筆名) 改造社11月1935年 二葉亭四迷、国木田独歩と川上眉山 「早稲田文学」1月号明治文学に於けるレアリズムとロマンチシズム 「唯物論研究」4月号『当世書生気質』と長原孝太郎 「評論」(「リーフレット明治文学」改題)5月号明治浪漫主義文学に於ける新詩社の位置 「立命館文学」6月号白樺とその文化史的意義 「書物展望」11月号印象派の移植と『白樺』 「書物展望」11月号美学か芸術学か-政治からの解放 帝国大学新聞12月23日号1936年 原田直次郎とユリウス・エキステル 「邦画」2月号川上冬崖の生家を訪ふ 「南画鑑賞」5月号フォンタネージの日本 「邦画」3月号『近代日本文学評論史』 西東書林6月1937年 大野幸彦と大幸館 「書物展望」2月号キヨソーネのこと 「書物展望」4月号阿部次郎氏の『美学』に関連して 「コトバ」7月号伝統と形式 「アトリヱ」9月号絵画に於ける文学的なもの 「美術時代」11月号1938年 美学時評 「作品」2月号山本芳翠、合田清と生巧館 「書物展望」7月号書間連想-或いは中村彝とエロシェンコ 「学芸」9月号川上冬崖と幕末、明治初期の洋画 「日本評論」10月号ヘーゲル美学の絵画論 「みづゑ」9、10月号鑑画会に於て 文学士岡倉覚三氏演説(註記) 「書物展望」11月号1939年 森鴎外の『独逸日記』とユリウス・エクステル 「アトリヱ」1月号シューラー著、支那文化と支那美術(訳) 「アトリヱ」5、7月号日本的表現意欲 「南画鑑賞」8月号政治と美術 「アトリヱ」11月号現代支那美術の一断面 「アトリヱ」12月号1941年 追憶のうちにある洋画家達 「アトリヱ」3月号現代支那美術の一端 「アトリヱ」6月号高村光太郎論 「現代文学」10月号美の伝統と政府 「セルパン」12月号『岸田劉生』 アトリヱ社 12月『近代日本洋画史』 昭森社 5月『天心』(東洋美術文庫) アトリヱ社 1月1942年 志賀重昂と「南洋時事」 「新亜細亜」2月号戦争と美術 「古美術」2月号晩年の岸田劉生 「知性」3月号大東亜戦争と美術 「季刊美術」1巻2号風景美論 「生活美術」3月号デューラとイタリア 「日伊文化研究」6号伝統と体験 「画論」9号藤島武二『思い出』筆記 「季刊美術」1巻4号主題とモチーフ 「新美術」11号デューラに於ける写実 「画論」15号エルンスト・ディーツ著『印度芸術』(訳) アトリヱ社1943年 野口米次郎論 「文芸」5月号志賀重昂 「セルパン」7月号『デューラの素描』 創芸社志賀重昂著『知られざる国々』(解題-志賀重昂伝) 日本評論社1946年 蒋兆和と現代の支那美術 「美術」2月号現代の出発の意識について 「アトリヱ」9月号フラン・マズレールのこと 「アトリヱ」10月号絵画の領域 「みづゑ」10月号現代洋画の問題 「みづゑ」11月号1947年 昭和期美術の批判的回顧 「世界美術」1号絵画的レアリテの喪失 「世界美術」1号パウル・クレーと近代性 「世界美術」1号日本におけるセザンヌ 「みづゑ」1月号日本的アカデミズム 東京新聞2月4日魯迅芸術学院の木版画 「アトリヱ」2月号日本画と洋画 「美術及工芸」3月号現代美術と現代文学 「花」4月号近代日本洋画の史的展望 「美術及工芸」6月号福沢一郎論 「みづゑ」6月号画人岸田劉生 「伝記」7月号劉生と4人の友人 「花」8月号近代美術とレアリズム 「みづゑ」8月号精神史的にみた近代絵画 「新科学ペン」10月号1948年 近代絵画とデフォルマシオン 「早稲田文学」3月号脱出の画家ゴーガン 「みづゑ」3月号岡鹿之助 「創美」5月号岡倉天心 「博物館ニュース」11月号中国の木刻 「季刊中国」2号『現代美術-近代美術とレアリズム』 吾妻書房 11月1949年 絵画の近代 「アトリヱ」4月号三つのレアリズム 「アトリヱ」5月号近代美術のレアリズム 「みづゑ」5月号ゴッホ、マチスと上村松園 「三彩」5月号クールベとプルードン-或は政治と絵画 「アトリヱ」7月号安井、梅原自選展 「みづゑ」7月号麻生三郎論 「みづゑ」8月号自然主義とレアリズム 「みづゑ」10月号20世紀レアリズム 読売新聞10月3日批評の批評の批評 「アトリヱ」11月号セザンヌとセザンヌ伝説 「アトリヱ」12月号『社会科事典・第8巻 日本-美術』 平凡社『大百科事典補遺2 日本-美術』 平凡社1950年 現代絵画と生活感情 毎日新聞2月25日セザンヌ、ドランと安井曾太郎 「アトリヱ」4月号近代絵画の運命 「芸術新潮」5月号銅像彫刻は何処へ行く 「芸術新潮」6月号美術のヒューマニズムという事 「アトリヱ」6月号自画像 「美術手帖」8月号逆光のなかのファンタジー-香月泰男の絵 「アトリヱ」10月号高村光太郎-訪問記 「美術手帖」12月号贋物の勝利 「芸術新潮」12月号幻想のある映像 「アトリヱ」12月号現代中国の美術 『現代中国辞典』 現代中国辞典刊行会『中国木刻集』(「中国の木刻」) 中日文化研究所『世界美術全集・第24巻・西洋19世紀3-フィンセント・ファン・ゴッホ』 平凡社1951年 特集、近代絵画50年、キュービスム 「美術手帖」1月号藤島武二代表作展 朝日新聞3月20日抽象絵画とレアリズム 「美術手帖」4月号香月泰男個展 毎日新聞(夕)4月24日ゴッホの素描と油彩 「美術手帖」5月号森芳雄個展 毎日新聞6月2日川端実個展 毎日新聞6月28日近代美術館創生期 「芸術新潮」7月号村井正誠個展 毎日新聞7月12日ひとつの心理的映像-井上三綱について 「アトリヱ」8月号ムンクへの回想 「みづゑ」8月号ピカソ展 毎日新聞8月28日アンドレ・ミノー 「美術手帖」9月号現代美術の展望 「アトリヱ」11月号特集・東洋と西洋、芋銭 「芸術新潮」11月号岡本太郎個展 毎日新聞11月3日ゴーガンの芸術とエジプト、ジャヴァ、古代ギリシャ 「アトリヱ」12月号高畠達四郎展 毎日新聞12月12日『美術』(毎日ライブラリー)(編) 毎日新聞社『商業デザイン全集(6巻)』(共編) イヴニングスター社『世界美術全集・第25巻・日本4』 平凡社『文学講座1 文学の問題-文学と美術』 筑摩書房『世界美術全集・第22巻・西洋19世紀1-ジャック・ルイ・ダヴィッド』 平凡社1952年 佐伯祐三展について 神奈川県立近代美術館カタログ 1月海老原喜之助のなど 「美術手帖」3月号佐伯祐三について 「みづゑ」3月号海老原喜之助のこと 「みづゑ」5月号イタリアの現代美術 「みづゑ」7、8月号ピニヨンとリュルサの個展 「みづゑ」9月号近代美術館のあり方 「工芸ニュース」11月号1953年 Illustrationの伝統の中のロートレック 「みづゑ」1月号現代芸術の最先端 「芸術新潮」1月号ロルジュと社会諷刺 「美術批評」1月号リュシアン・クートーの心理風景 「芸術新潮」2月号リュシアン・クートーについて 「みづゑ」2月号ブランクーシとマリノ・マリーニ 「みづゑ」3月号高村光太郎、人と作品 「芸術新潮」6月号岸田劉生(本朝洋画家伝6) 「中央公論」7月号デ・キリコとカルロ・カルラ 「みづゑ」8月号エトルリアの遺跡 「芸術新潮」8月号脇田和論 「みづゑ」9月号オランダの現代版画 「みづゑ」10月号ルオー・人と芸術 「国立博物館ニュース」10月号コルマールのウンターリンデン美術館 「美術手帖」10月号デルフト市のフェルメール 「芸術新潮」12月号『ヨーロッパの現代美術』 毎日新聞社『現代世界美術全集・第5巻-パリ近代美術館とフェルナン・レジェ』 河出書房『世界美術全集・第23巻・西洋19世紀2-ドーミエとクールベの写実主義』 平凡社『年刊世界文化事典1953-美術館』 平凡社1954年 ポーランド生れの諷刺画家フェリックス・トポルスキー 「美術手帖」2月号フェルメール 「みづゑ」3月号バルデサリのゴッホ展の設計 「みづゑ」3月号日本美術の国際交流 毎日新聞3月11日レンブラントの家 「美術手帖」6月号テート・ギャラリーとポール・ナッシュ 「美術手帖」8月号デ・キリコとダリの近作 「みづゑ」9月号ピカソ展とシャガール展 「芸術新潮」9月号イタリアの現代彫刻 「日伊文化研究復刊」1号『日本現代画家選3 16・脇田和』 美術出版社『世界文化年鑑1954-美術館』 平凡社1955年 私の認める前衛美術・現在の視野について 「芸術新潮」2月号マンジーとマスケリーニ 「みづゑ」3月号マックス・エルンスト 人と作品 「美術手帖」3月号現代イタリア美術展について 神奈川県立近美術館展覧会カタログ 4月クラナハとその裸婦 「みづゑ」5月号イタリアの現代美術 「みづゑ」6月号特集・メキシコの美術、メキシコ美術の相貌 「美術手帖」10月号荻須高徳展について 神奈川県立近代美術館カタログ 10月荻須高徳論 「みづゑ」11月号『世界美術館めぐり』(1時間文庫) 新潮社『シャガール』(アート・ブックス) 講談社『メキシコ絵画』(原色版美術ライブラリー) みすず書房『クレー』(原色版美術ライブラリー) みすず書房『世界文化年鑑1955-美術館』 平凡社1956年 鳥海青児個展(展覧会評) 毎日新聞1月25日グリューネヴァルトと死の踊り 「みづゑ」1月号ヘンリ・ムア(現代美術7人の巨匠2)「芸術新潮」2月号安井曾太郎の写実について 「みづゑ」2月号彫刻家として詩人としての高村さん 読売新聞4月2日安井曾太郎遺作展(展覧会評) 毎日新聞4月8日棟方版画と現代日本美術 読売新聞6月22日雪舟の回想 「みづゑ」6月号浦上玉堂 「みづゑ」7月号レムブラントとカラヴァジェスク 「みづゑ」9月号銅像彫刻の行方 「芸術新潮」9月号福沢一郎油絵展(展覧会評) 毎日新聞10月6日日本の彫刻 「芸術新潮」10月号ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の歴史 「国立近代美術館ニュース」16『生活の中の近代美術』(共著) 毎日新聞社ジェイムス『ヴァン・ゴッホ1、2』(フェーバー世界名画集)(訳) 平凡社『世界美術全集・第28巻・日本5-断絶から継続、発展への展望』 平凡社1957年 生きている絵画1~7 「芸術新潮」1~8月「美術交流」中央機関の設置を(論壇) 毎日新聞5月29日日展・芸術院問題について 読売新聞7月12日ピカソの版画 「みづゑ」8月号戦後美術賞の価値 「芸術新潮」9月号現代ドイツの美術 「みづゑ」10月号ピーター・ブリューゲルの時代(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・1) 「みづゑ」11月号ブリューゲルとアントウェルペン(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・2) 「みづゑ」12月号野外彫刻展の方向 神奈川県立近代美術館「集団58野外彫刻展」カタログ 12月『ゴッホの水彩と素描』 美術出版社『現代イタリアの彫刻(座右宝美術叢書3)』 河出書房新社『高村光太郎』 筑摩書房1958年 野外彫刻展の方向 朝日新聞1月27日制作の秘密(パウル・クレーの日記)(訳) 「芸術新潮」1月号ブリューゲルとイタリア(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・3) 「みづゑ」2月号海老原喜之助(現代を担う人3) 「芸術新潮」3月号松本竣介・島崎鶏二展(展覧会評) 朝日新聞4月14日佐伯祐三作品展(展覧会評) 朝日新聞4月14日ブリューゲルとボッシュ・1(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・4) 「みづゑ」5月号特集・芸術と人気のからくり-画家の人気と市場 「芸術新潮」5月号特集・最先端に立つ5人の画家-菅井汲 「芸術新潮」6月号東西美術論をこう読んだ-マルロオのフランス中華思想 「芸術新潮」8月号ファン・ゴッホとオランダ 「みづゑ」11月号『美術』(毎日ライブラリー・新版)(編) 毎日新聞社『造型の心理-生きている絵画』 新潮社ブロック『セザンヌ』(フェーバー世界名画集)(訳) 平凡社ストークス『セザンヌ2』(フェーバー世界名画集)(訳) 平凡社1959年 ビュッフェ展(展覧会評) 朝日新聞3月2日現代彫刻50選 「芸術新潮」3月号現代彫刻の方向 毎日新聞7月23日海老原喜之助素描展(展覧会評) 朝日新聞9月16日転換期にある現代彫刻展(アントワープの野外彫刻展を見て) 「芸術新潮」9月号特集・美の典型1-ギリシャ 「芸術新潮」10月号カイエダール・未完の傑作-ダヴィンチ、セザンヌ、ブランクーシ 「芸術新潮」10月号ブリューゲルとブレダ(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・5) 「みづゑ」10月号ブリューゲルとボッシュ(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・6) 「みづゑ」11月号『近代日本の画家たち』 美術出版社ブリューゲルとボッシュ・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・7) 「みづゑ」12月号1960年 特集・シャガール-奇蹟の画家 「みづゑ」1月号ミロの絵がここから生れた 「芸術新潮」1月号国内評価と国際評価 毎日新聞2月11日マリーニの版画 読売新聞2月15日ブリューゲルとボッシュ・3(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・8) 「みづゑ」2月号特集・名画による人間の歴史(編・解説) 「芸術新潮」2月号近代美術と群像 毎日新聞3月28日ブリューゲルと中世の諺(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・9) 「みづゑ」3月号特集・近代美術の捨石-2欧州 ガウディ他の作家 「芸術新潮」4月号荻須高徳の近作 「みづゑ」4月号ブリューゲルの初期風景画(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・10) 「みづゑ」4月号ブリューゲルの初期風景画・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・11) 「みづゑ」5月号ブリューゲルと異端(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・12) 「みづゑ」6月号グリューゲルと異端・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・8) 「みづゑ」7月号グリューネワルトの復活(ミステリー・古美術8) 「芸術新潮」8月号ブリューゲルと異端・3(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・14) 「みづゑ」8月号20世紀フランス美術展の展望(展覧会評) 毎日新聞9月15日浜田知明の版画 「みづゑ」9月号ブリューゲルと異端・4(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・15) 「みづゑ」9月号深沢幸雄(現代日本の作家像) 「美術手帖」9月号ロッテルダムの都市と彫刻 「美術手帖」10月号ブリューゲルの12ヵ月図・1(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・16) 「みづゑ」10月号ブリューゲルの12ヵ月図・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・17) 「みづゑ」11月号ブリューゲルの12ヵ月図以後(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・18) 「みづゑ」12月号1961年 円空-この、魔術的造像僧 「みづゑ」1月号聖ルカ組合の成人としての画家(呪術師・職人・美術家・1) 「美術手帖」1月号イタリア現代彫刻の系譜-その伝統と現在 「みづゑ」2月号中世社会のなかの建築家(呪術師・職人・美術家・2) 「美術手帖」2月号ヴェネツィアのガラス職人(呪術師・職人・美術家・3) 「美術手帖」3月号美術展覧会の誕生(呪術師・職人・美術家・4) 「美術手帖」4月号アフリカの彫刻 「みづゑ」5月号仮面の彫刻家(呪術師・職人・美術家・5) 「美術手帖」5月号向井良吉の彫刻-形と建築の意識について 「みづゑ」6月号組合画家と宮廷画家(呪術師・職人・美術家・6) 「美術手帖」6月号クレーの人形芝居 「芸術新潮」7月号蒐集家、鑑定家、画商(呪術師・職人・美術家・7) 「美術手帖」7月号パウル・クレーと色彩分割 「みづゑ」8月号近代画商の誕生(呪術師・職人・美術家・8) 「美術手帖」8月号イタリアの新人作家たち 「みづゑ」9月号ピカソの画商(呪術師・職人・美術家・9)「美術手帖」9月号建築と彫刻・絵画の融合 朝日新聞(夕)10月13日晩年のパウル・クレー 「みづゑ」10月号呪術師としての画家(呪術師・職人・美術家・10) 「美術手帖」10月号先史時代のグラフィックの職人(呪術師・職人・美術家・11)(完) 「美術手帖」12月号1962年 大正期の洋画展 「芸術新潮」1月号現代美術の条件測定・国際具象派美術展(展覧会評) 毎日新聞(夕)4月20日リン・チャドウィック(戦後の現代彫刻・1) 「みづゑ」4月号アーミテージ(戦後の現代彫刻・2) 「みづゑ」5月号ペナルバ(戦後の現代彫刻・3) 「みづゑ」6月号アジューの彫刻(戦後の現代彫刻・4) 「みづゑ」7月号セザールの彫刻(戦後の現代彫刻・5) 「みづゑ」8月号リン・チャドウィック-不安の幾何学といわれる彫刻 神奈川県立近代美術館「チャドウィック、アーミテージ彫刻展」カタログ 8月ケネス・アーミテージ-じゃが芋と割箸の彫刻 神奈川県立近代美術館「チャドウィック、アーミテージ彫刻展」カタログ 8月ビザンティン芸術のなぐさめ 「芸術新潮」9月号萬鉄五郎ノート 「三彩」9月号ハンス・エルニーのこと 神奈川県立近代美術館「ハンス・エルニー展」カタログ 9月日本にあるパウル・クレー 神奈川県立近代美術館「日本にあるパウル・クレー展」カタログ 9月レッグ・バトラーの彫刻(戦後の現代彫刻・6) 「みづゑ」9月号ハンス・エッシュバッハー(戦後の現代彫刻・7) 「みづゑ」11月号鳥海青児の芸術 「みづゑ」12月号『クレー』(世界名画全集・14) 平凡社『木内克作品集-木内克の世界』 美術出版社1963年 大正期の洋画 「三彩」1月号複製芸術としての彫刻 毎日新聞(夕)1月14日須田国太郎遺作展 毎日新聞(夕)3月4日ウォトルーバ・四角柱と円筒柱の造型単体・8 「みづゑ」3月号『ブリューゲル』 美術出版社 6月海老原喜之助自選展(展覧会評) 毎日新聞7月19日現代イギリス彫刻(モアからターンブル) 「みづゑ」7月号福田豊四郎展 神奈川県立近代美術館「上村松篁、福田豊四郎展」カタログ 9月ブラックの死に静かな哀悼 毎日新聞9月2日海老原喜之助自選展・海老内喜之助の青(今月の陳列室) 「文芸春秋」10月号『画家と画商と蒐集家』岩波新書 岩波書店 12月『松本竣介画集-松本竣介』 平凡社1964年 浜田知明の芸術 熊本日日新聞6月26日はじめて開かれた高橋由一の回顧展 「芸術新潮」174号鑑賞席・日本古美術展から(3)彫刻-象徴と人間との境 「朝日ジャーナル」6ノ431965年 スペインのアンプリアス遺跡 「みづゑ」4月号三岸好太郎展(展覧会評) 読売新聞5月3日高畠達四郎展(展覧会評) 毎日新聞(夕)6月8日岡田謙三(現代日本の100人) 「文芸春秋」7月号「現代の洋画」と「フューザン」 「本の手帖」1-7号『渡辺崋山』(少年伝記文庫) 国土社『三岸好太郎画集-三岸好太郎』 平凡社1966年 たそがれのミケランジェロ 「芸術新潮」3月号カンピーリの近作展(展覧会評) 「朝日ジャーナル」3月12日号高村さんの彫刻(高村光太郎と智恵子展)(展覧会評) 読売新聞(夕)3月15日現代美術の断層 毎日新聞5月3日ドイツ・ルネサンスの画家たち・1(ルーカス・クラーナハ(1)) 「みづゑ」5月号近代日本洋画の150年展 神奈川県立近代美術館展覧会カタログ 6月ドイツ・ルネサンスの画家たち・2(ルーカス・クラーナハ(2)) 「みづゑ」6月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・3(ルーカス・クラーナハ(3)) 「みづゑ」7月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・4(ラート・ゲープ(1)) 「みづゑ」8月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・5(ラート・ゲープ(2)) 「みづゑ」9月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・6(デューラーとヨハネ黙示録(1)) 「みづゑ」10月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・7(デューラーとヨハネ黙示録(2)) 「みづゑ」11月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・8「デューラーとヨハネ黙示録(3)) 「みづゑ」12月号野口弥太郎 「国際写真情報」189号『日本の近代美術』(岩波新書) 岩波書店『木喰の彫刻』 講談社秀島由己男のこと 「秀島由己男展目録」 南天子画廊1967年 岡田謙三 毎日新聞1月1日ドイツ・ルネサンスの画家たち・9(職人時代のグリューネウァルト) 「みづゑ」1月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・10(グリューネウァルトの自画像) 「みづゑ」2月号現代美術の新世代(上)(下) 毎日新聞(夕)3月21、22日ドイツ・ルネサンスの画家たち・11(デューラーとグリューネウァルト) 「みづゑ」3月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・12(イーゼンハイムの祭壇画) 「みづゑ」4月号石本正 「芸術新潮」4月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・13(アルトドルファーとドナウ派) 「みづゑ」5月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・14(バーゼルのハンス・ホルバイン(子)」 「みづゑ」6月号麻生三郎のこと 「武蔵野美術」6月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・15(傭兵隊書記ニクラウス・マヌエル) 「みづゑ」7月号記録画としての戦争美術 毎日新聞(夕)8月23日ドイツ・ルネサンスの画家たち・16(デューラー以後とマニエリスム) 「みづゑ」8月号地下に眠った1900年「ポンペイ古代美術展」(展覧会評) 「国際写真情報」197号『ドイツ・ルネサンスの画家たち』 美術出版社香月泰男の世界 神奈川県立近代美術館「香月・高山二人展」カタログ『画集シベリア-香月泰男』 求龍堂1968年 現代の仮説・世界に通用する12人 「芸術新潮」1月号この人に期待する2・井上武吉 東京新聞2月5日藤田嗣治のこと 「三彩」3月号古典的芸術論は崩壊するか(上)(下) 毎日新聞4月5日、6日レンブラントと現代 朝日新聞4月25日現代の彫刻的状況-野外環境と密室環境 読売新聞(夕)10月21日巨匠とともに・グリューネウァルト・1 「三彩」11月号関根正二 「季刊芸術」2ノ11969年 前田寛治ノート 「前田寛治展カタログ」 1月レンブラント・ファン・レイン(1)~(4) 「季刊芸術」8-11号香月泰男の世界 「芸術新潮」5月号巨匠とともに・グリューネウァルト・2 「三彩」1月号パウル・クレー-人と芸術 「パウル・クレー展カタログ」7月 神奈川県立近代美術館『福沢一郎画集・蟹のよこばい-福沢一郎の世界』 求龍堂1970年 レンブラント・ファン・レイン(5)~(7) 「季刊芸術」12-15号エドヴァルド・ムンク-人と芸術 「エドヴァルド・ムンク展カタログ」9月 神奈川県立近代美術館世界美術の多元性 「仏教芸術」75号高山辰雄の世界 「芸術新潮」4月号『パウル・クレー画集-パウル・クレー』 求龍堂1971年 毎日芸術賞・宇治山哲平 毎日新聞(夕)1月1日鳥海さんの近作のこと 「アート」2月号レンブラント・ファン・レイン(8) 「季刊芸術」5ノ1幻視の画家-関根正二 「世界」4月号高橋由一とその時代展について 「高橋由一とその時代展カタログ」 神奈川県立美術館デッサン・水彩・版画あるいは、いまひとつの海老原芸術 「海老原喜之助デッサン・水彩・版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館荻須高徳展に際して 「荻須高徳展カタログ」 神奈川県立近代美術館“ボルドー美術館名作展”の作家と作品 「ボルドー美術館名作展カタログ」 神奈川県立近代美術館『ムンク画集』 筑摩書房海老原喜之助論 「海老原喜之助展カタログ」 毎日新聞社『大正・昭和期の画家たち』 木耳社『岸田劉生』 日動出版『評伝レンブラント・ファン・レイン』 新潮社『神奈川県美術風土記・明治大正篇-鵠沼、鎌倉時代の岸田劉生』 神奈川県立近代美術館『日本絵画館(11) 現代-昭和期の絵画』 講談社1972年 画家と言葉と1~6 「素描」6、7、9、11、16、19青木繁とわが国浪漫主義の晩果 「絵」101号多田美波 「芸術新潮」4月号鳥海芸術を・ひとつの視角から 「三彩」増刊294号ペーテル・ブリューゲルの人と芸術 「ペーテル・ブリューゲル版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館回想のジェームズ・アンソール-仮面と骸骨について 「ジェームズ・アンソール展カタログ」 神奈川県立近代美術館ブールデル、マイヨール、ジャコメッティ-ぼくのなかのひとつの連関について 「巨匠ブールデルの全貌展カタログ」 神奈川県立近代美術館『大系世界の美術16・バロック美術-絶対王政下と市民社会下の美術、17世紀のオランダ絵画』 学習研究社『神奈川県美術風土記、高橋由一篇-総論、高橋由一の人と芸術』 神奈川県立近代美術館『Oguiss-荻須高徳、人と芸術』 毎日新聞社1973年 関根正二、遺聞 「絵」107、111号加山又造論 「芸術新潮」7月号若林奮の経験の集約 「三彩」9月号吉原治良さんのこと 「吉原治良展カタログ」 神奈川県立近代美術館黒田清輝と日本的アカデミスム 「黒田清輝展カタログ」 神奈川県立近代美術館村井正誠さんのこと 「村井正誠展カタログ」 神奈川県立近代美術館逃名の人、原勝四郎 「原勝四郎展カタログ」 神奈川県立近代美術館デ・キリコ-この偉大な形而上的美学の表象の司祭 「デ・キリコ展カタログ」 神奈川県立近代美術館形と色のこと 「第5回現代日本彫刻展カタログ」 宇部市パウル・クレー著『造形思考(上)(下)』(共訳) 新潮社『神奈川県美術風土記、近代篇-鳥海青児と平塚、藤沢』 神奈川県立近代美術館『近代日本文学評論史』(日本文学研究基本叢書) 法政大学出版局『高橋由一画集-高橋由一の人と芸術』 講談社『浜口陽三版画作品集-浜口陽三の世界』 南天子画廊1974年 香月泰男を悼む 毎日新聞(夕)3月11日流政之 「芸術新潮」7月号阿部展也回顧展に寄せて 「阿部展也展カタログ」 神奈川県立近代美術館回想のヘンリー・ムア 「ヘンリー・ムアによるヘンリー・ムア展カタログ」 神奈川県立近代美術館原勝郎さんのこと-生活のある絵 「原勝郎展カタログ」 神奈川県立近代美術館木内克さんの彫刻造形 「木内克彫刻展カタログ」 日動サロン柳原義達の最近の仕事、雑感 「柳原義達展カタログ」 現代彫刻センター『大系世界の美術20・現代美術』(共著) 学習研究社『鳥海青児』(日本の名画) 講談社『関根正二』(日本の名画) 講談社『ブリューゲル全版画』 岩波書店『村井正誠作品集』 美術出版社『小熊秀雄、詩と絵と画論-小熊秀雄の素描と油絵』 三彩社1975年 近藤弘明 「芸術新潮」7月号ドーミエ-その人と芸術 「ドーミエ展カタログ」 神奈川県立近代美術館中国の木刻 「中国木版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館田中阿喜良君の人間像 「田中阿喜良展カタログ」 神奈川県立近代美術館ポール・デーヴィスという人 「ポール・デーヴィス展カタログ」 神奈川県立近代美術館追憶のなかの林武さん 「林武展カタログ」 日本経済新聞社保田春彦 「個展カタログ」 南天子画廊『清水登之画集-清水登之の人と作品』 日動出版『ヒエロニムス・ボス』(新潮美術文庫) 新潮社『子規写生画-子規、写生画の視覚的、絵画的世界』 講談社『今西中通画集-回想の今西中通』 三彩社1976年 北方的な幻花の画家-三上誠ノート 「三上誠展カタログ」 神奈川県立近代美術館宇治山哲平の沸々たる抽象世界 「宇治山哲平展カタログ」 神奈川県立近代美術館高畠達四郎の絵画世界 「高畠達四郎展カタログ」 日本経済新聞社清水九兵衛 「個展カタログ」 南画廊『土方定一著作集1 呪術師、職人、画家と美術市場』 平凡社『土方定一著作集2 ドイツ・ルネサンスの画家たち』 平凡社『土方定一著作集3 ブリューゲルとその時代』 平凡社『土方定一著作集4 レンブラント』 平凡社『土方定一著作集6 近代日本の画家論1』 平凡社『土方定一著作集7 近代日本の画家論2』 平凡社1977年 第9回「日本芸術大賞」の清水九兵衛 「芸術新潮」7月号近代日本洋画史のひとつの展望-「日本洋画を築いた巨匠展」を機に 「日本洋画を築いた巨匠展カタログ」 神奈川県立近代美術館オスロのムンク美術館とエドヴァルド・ムンク 「ムンク版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館関根正二の追跡-幻視の画家 「NHK日曜美術館」2『土方定一著作集8 近代日本の画家論3』 平凡社『土方定一著作集9 美術館、都市と巨匠』 平凡社『土方定一著作集10 造形の心理とその周辺』 平凡社『土方定一著作集11 近代ヨーロッパ美術と現代』 平凡社『土方定一著作集12 近代彫刻と現代彫刻』 平凡社『高畠達四郎画集-高畠達四郎の絵画世界』 講談社1978年 追悼・岡鹿之助、内なる風景感情 「みづゑ」7月号オスカー・ココシュカの「プロメテウス伝説」 「オスカー・ココシュカ展カタログ」 神奈川県立近代美術館近藤浩一路の回顧展に際して 「近藤浩一路展カタログ」 神奈川県立近代美術館マナブ・間部の日本展に際して 「マナブ・間部展カタログ」 神奈川県立近代美術館近代日本画の巨匠展に際して 「近代日本画の巨匠展カタログ」 神奈川県立近代美術館『土方定一著作集5 ヒエロニムス・ボス紀行』 平凡社『岡鹿之助画集-岡鹿之助論』 美術出版社『トコトコが来たといふ 詩・童話』 平凡社1979年 第11回「日本芸術大賞」の前田常作 「芸術新潮」7月号ドガの彫刻のこと 「ドガ・彫刻のすべて展カタログ」 神奈川県立近代美術館片岡球子さんのこと その心理的、幻想的な色彩世界 「片岡球子展カタログ」 神奈川県立近代美術館野口弥太郎-天成の画家の生成について 「野口弥太郎展カタログ」 神奈川県立近代美術館文化ファシズム下の美術と戦後の現代美術 「現代美術・戦後展カタログ」 神奈川県立近代美術館関根正二-近代日本美術史にその比を見ない幻視の画家 「関根正二展カタログ」 白河市歴史民俗資料館『高見順素描集-高見順のスケッチ帖』 文化出版局1980年 藤次郎と森鴎外、原田直次郎 「みづゑ」3月号浜田知明の版画-その孤独なデーモン 「浜田知明・銅版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館『岸田劉生画集』 岩波書店『原色現代日本の美術・第10巻・現代の洋画』 小学館『片岡球子画集-片岡球子さんの芸術』 朝日新聞社1981年 『大原美術館-大原美術館へのオマージュ』 大原美術館(本目録は匠秀夫編「著作目録」-『土方定一遺稿』 所収-から作成したものである。)

加藤一雄

没年月日:1980/11/27

美術評論家で、嵯峨美術短期大学教授の加藤一雄は、11月27日心筋梗塞のため死去した。享年75。1905(明治38)年7月31日大阪市に生まれ、27年第四高等学校を卒業した。31年京都大学文学部哲学科(美学美術史)を卒業し、34年京都市立絵画専門学校の助教授を経て教授となった。50年京都市立美術専門学校を退職し、同年より、京都市美術館学芸課に勤務した。61年7月同美術館を退職、66年関西学院大学文学部教授となった。74年関西学院大学を退職、同76年嵯峨美術短大専任講師となり、ついで翌77年より教授の職にあった。美術関係諸雑誌等に執筆多く、よどみない特有の文体でも知られた。主著に近代日本の絵画(河原書店)、日本近代絵画全集22(村上華岳、土田麦僊-講談社)、現代日本美術全集4(村上華岳、土田麦僊-集英社)、日本の名画4(竹内栖鳳-中央公論社)などがある。

上島長健

没年月日:1980/10/11

戦後の一時期毎日新聞美術記者として活躍した上島長健は、10月11日肺がんのため東京港区の北里研究所付属病院で死去した。享年68。東京美術学校油彩科を卒業後毎日新聞社に入社、戦後企画展として注目された美術団体連合展などを組織した。同社退職後は、美術の流通面にたずさわり、海外作家の紹介や新人発掘に尽力した。

富永惣一

没年月日:1980/06/14

学習院大学名誉教授、元国立西洋美術館長の美術評論家、美術史家の富永惣一は、6月4日心筋硬ソクのため東京都新宿区の自宅で死去した。享年77。1902(明治35)年9月18日東京市本所区に生まれ、学習院初等科、中等科、高等科を経て、23年東京帝国大学文学部フランス文学科に入学したが、翌年美学美術史学科に転じ、26年に卒業後同大学大学院へ進む。27年学習院講師、29年学習院教授となり、翌30年新設の帝国美術院付属美術研究所嘱託を兼ねる。31年から33年まで、宮内省在外研究員として留学しフランスをはじめ欧米各地で研鑚を重ねる。帰国後、翻訳、西洋美術紹介の著述、並びに美術評論活動を展開、啓蒙的役割をはたす。この間、東京美術学校、大正大学の教壇にも立つ。戦後は、49年、学習院大学設立とともに文学部教授に就任、57年からは同大文学部長をつとめ、この間、多摩美術大学、日本大学文学部、早稲田大学文学部、女子美術大学でも教え、54年には創立された日本美術評論家連盟の初代会長に就任する。以後美術の国際交流につとめ、ヴェネツィア・ビエンナーレ展国際審査員に二回選ばれる。59年、新設の国立西洋美術館の初代館長に就任、旧松方コレクションの管理、西洋美術作品の収集につとめるとともに、ミロのビーナス展、ロダン展など積極的な展覧会活動を行った。68年、同館購入作品の真贋問題が国会で追及された責任をとって辞任したが、同年開催の大阪万国博覧会の美術展示プロデューサー、並びに万博美術館長をつとめる。また、同年から共立女子大学教授となった。69年、仏政府からシュヴァリエ・ド・ラ・レジォン・ドヌール勲章を受章、74年には勲二等瑞宝章を受ける。この他、国立西洋美術館評議員、国立近代美術館評議員、ブリヂストン美術館運営委員、出光美術館評議員、日仏協会理事、日伊協会評議員をはじめ、数多くの要職を兼ねた。主要著述目録著作セザンヌ(西洋美術文庫) 1940 アトリエ社セザンヌ(アルス美術文庫) 1945 アルスセザンヌ(アテネびじゅつ文庫) 1952 弘文堂セザンヌ(アート・ブックス) 1955 講談社セザンヌ・モディリアーニ(現代世界美術全集4) 1965 河出書房セザンヌ(ファブリ世界名画集31) 1969 平凡社セザンヌ・ゴッホ・ゴーガン(世界の名画1) 1970 ほるぷ出版社ギリシア彫刻 1941 アトリエ社ギリシアの彫刻(みづえ文庫) 1951 美術出版社ギリシア彫刻 1954 人文書院ロダン 1945 雄山閣ピカソ-現代絵画論(岩波新書) 1954 岩波書店ドラクロワの素描 1944 創芸社美術随想 1945 創芸社ブラック(アート・ブックス) 1955 講談社ピカソ(アート・ブックス) 1955 講談社マティス(アート・ブックス) 1955 講談社美と感覚 1956 朝日新聞社西洋美術館 1956 修道社19世紀の絵画(美術ライブラリー) 1956 みすず書房ファン・ゴッホ 1959 読売新聞社印象派1・2 1961 みすず書房世界の美術 1963 階成社ルノワール(世界の美術) 1963 河出書房ルノワール(現代世界美術全集19) 1969 集英社ルノワール(現代世界美術全集普及版) 1970 集英社ルノワール(アート・ライブラリー) 1972 鶴書房近代絵画(カラー・ブックス) 1963 保育社近代1(世界美術全集35西洋11) 1963 角川書店現代美術(世界美術大系24) 1960 講談社マネ・モネ(現代世界美術全集1) 1966 河出書房オーギュスト・ロダン 1969 読売新聞社ロダン・ブールデル(現代世界美術全集5) 1971 集英社ルオー(世界美術全集19) 1969 河出書房マネ(ファブリ世界名画集26) 1970 平凡社ボナール(ファブリ世界名画集41) 1970 平凡社ジュリコー(ファブリ世界名画集86) 1971 平凡社ヴラマンク(ファブリ世界名画集96) 1972 平凡社棟方志功(アート・ブックス) 1956 講談社梅原龍三郎(日本近代絵画全集12) 講談社翻訳コリニヨン・パルテノオン 1930 岩波書店ヴァザーリ美術家伝 1943 共訳 隈元謙次郎 新規矩男 山田智三郎 青木書店 改版万里閣スタンダール・イタリア絵画史 1943 共訳 吉川逸治 河出書房ルオーの手紙 1972 共訳 安藤玲子 河出書房新社編者ヨーロッパ・近世(図説世界文化史大系) 1959 共編 柴田三千雄 角川書店ヨーロッパ・近代(図説世界文化史大系) 1959 共編 村瀬興雄 角川書店現代美術(日本美術大系) 1960 講談社近代2(世界美術全集36 西洋12) 1961 角川書店現代の絵画1 1938 小学館ルーブル美術館 1964 講談社イスタンブール美術館 1971 講談社原色世界の美術1(フランス) 1968 小学館エルミタージュ美術館 1970 恒文社

外山卯三郎

没年月日:1980/03/21

美術評論家外山卯三郎は、3月21日心不全のため静岡県御殿場市の駿東第一病院で死去した。享年77。1903(明治36)年1月25日和歌山県に生れた。1928年京都大学文学部美術史学科を卒業した。戦前から美術評論活動をつづけ、1946年社団法人造形美術協会を創立して理事長となり、美術家の育成に当った。また1953・54年に女子美術大学講師となり、66~69年及び71~74年武蔵野音楽大学講師を、1969~71年には同校教授として教鞭をとった。著書多く「南蠻学考」「新構図法の研究」「日本洋画論」「きりしたん文化史」「原始キリスト教の美術」「ヤミ族の原始芸術」「原始芸術論」等があり、執筆中の「日本洋画史」(全5巻)が三巻まで完成していた。

木村毅

没年月日:1979/09/18

文芸評論と明治文化研究家として知られる木村毅は、9月18日心筋こうそくのため、目黒区の東邦大学大橋病院で死去した。享年85。1894(明27)年岡山県に生れ、1917年早稲田大学英文科を卒業、ロンドン・レーバーカレッジで学んだ。帰国後雑誌「反響」を主宰し、小説家として「ラグーザお玉」「旅順攻囲軍」「クーデンホーフ光子」など史伝的大衆小説があるほか、評論では「小説研究十六講」「明治文学展望」「日米文学交流史の研究」「文芸東西南北」など著書が多い。大正末期吉野作造の尽力により結成された明治文化研究会の主要同人で中里介山の「大菩薩峠」の発掘、刊行者としても知られ、昭和初期円本の創始者でもある。戦後派立教大学教授、東京都知事室参与等もつとめた。1975年博物館明治村開村10年を記念して、明治を主題とした学術、芸術功労者に贈られる第1回「明治村賞」を受賞し、78年には「明治文化研究の先導的役割を果たした」として菊池寛賞を受けた。文学博士。樟蔭女子大学教授。明治文化研究会々長。早大100年史編纂委員。

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