皆川泰蔵 (みながわたいぞう)

没年月日:2005/04/10
分野:, (工)

 染色家の皆川泰蔵は4月10日午前11時13分、肺炎のため京都市山科区の病院で死去した。享年87。1917(大正6)年京都に生まれる。父・八田源七の友人で染色家だった山鹿清華の勧めで京都市立美術工芸学校図案科に入学。1935(昭和10)年に卒業後、染色作家の道に進んだ。38年京都市展で市長賞、41年には文展に初入選を果たした。44年、近代染色の先駆・皆川月華の長女・千恵子と結婚して皆川姓となった。終戦直後に京都・洛北大原で民家の素朴な美しさに感銘を受け、以後、昭和20年代は民家の詳細なスケッチから “染色日本の民家”をテーマに制作を続け、「和染本栖湖畔」が49年の第5回日展で特選となった。昭和30年代に入ると、京都や奈良の神社や仏閣、また庭園に視野を向け、丹念な観察からより単純化と抽象化を進めた独自の作風を確立した。66年、訪中日本工芸美術家代表団員として中国を視察。45日間の旅の間に目にした異国の文化は新たな刺激となり、その後は中国だけでなく、韓国、東南アジア、インド、中近東、ロシア(旧・ソビエト連邦)、ヨーロッパ各地を訪ね歩きながら仕事を続け、まさに自ら回顧するとおり「創作と旅の連続」であった。「対象から受けた感動の残像を、ぎりぎりまで単純化を重ね、現実の風景を抽象化し、力強く魅力に満ちた作品を制作する」皆川の姿勢は、染色芸術の神髄と見事に合致し、豊かな物質感がろう染に独特な効果によって十全に引き出された。80年「皆川泰蔵 日本の染色展」(ベルリン国立世界民族博物館ほか)。1991(平成3)年「世界を染める 皆川泰蔵展」(大丸ミュージアムKYOTOほか)。後進の育成にも力を注ぎ、66年からは鹿児島女子短期大学教授も務めた。また、京都・祇園祭の山鉾の装飾も手がけている。84年京都府文化功労賞。89年京都市文化功労者。93年勲四等瑞宝章受章。社団法人現代工芸美術家協会理事、日本現代染織造形協会理事長。

出 典:『日本美術年鑑』平成18年版(386頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2019年04月12日 (更新履歴)
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