青竜社の解散

1966年05月

去る4月10日死去した川端竜子が主宰していた日本画団体「青竜社」が解散した。昭和4年会場芸術の旗幟を掲げて結成した青竜社は、37年間続いた有力在野団体であったが、3年前すでに明らかにされていた「青竜展の名は自分一代かぎりで、死んだら墓の中へ持っていく」という竜子の宣言を尊重し、その遺志に従ったもので、関係者の解散式は故人の三十五日に当たる14日に行われ、正式な解散日は、京都・大丸で開かれている「春の青竜展」が幕をおろした15日となった。なお青竜社解散時最後の構成員は、社人21名、社友17名、社子43名であった。

愛知県立芸術大学開校

1966年04月

昨年から工事にかかっていた愛知県立芸術大学(上野直昭学長)が名古屋市の中心部から東へ約10粁の静かな丘陵地、愛知県愛知郡長久手村三ケ峯に広がる約33万平方米のキャンパスに立派な校舎が完成した。第一期工事として延べ約2千平方米の講義棟、それに音楽棟として鉄筋二階建の演奏室(3室)と四階建のレッスン室(6室)個人練習室(9室)など延べ約2千平方米。美術棟はアトリエ(8室)と研究室(同)が三むねに分かれ約千2百平方米、4億5千万円がつぎこまれた。この設計には東京芸大の吉村順三教授があたった。平均8.5倍の激しい競争で選ばれた第1回の入学生は、美術学部、音楽学部合わせて158名。その入学式が22日に行なわれた。3年後には600人の学生に、教授、助教授48人、助手18人の全スタッフがそろうことになっている。

バーナードリーチに勲二等

1966年04月

政府は28日の閣議で、5月6日に来日するイギリスの陶芸家バーナード・リーチに勲二等瑞宝章を贈ることを決めた。リーチは、明治42年来日、大正9年まで滞在、わが国の陶芸界に新風を吹き込んだほか、その後も広く海外に日本陶芸の真価を紹介、この功績に対し、今回の来日を機に叙勲となったもの。因みに、芸術分野とくに陶芸部門で高位の勲章を贈るのはリーチがはじめて。

日本万国博マーク決まる

1966年04月

日本万国博協会が昨年12月から、日本の代表的な商業美術家、グラフィックデザイナーら15人と2団体を指名し、コンペ方式(競作)で依嘱していたシンボルマークが去る2日に締切られ、集まった候補作57点の中からその選考委員会(勝見勝委員長)が4日、東京・西銀座の同協会東京事務所で開かれた結果、大阪市福島区上福島2―9、グラフィックデザイナー大高猛(39歳)の作品を日本万国博のシンボルマークにすることを決定した。この図案は桜の花びら5枚で円形をつくり、昔からなじまれている〝梅鉢〟のようにまとめたもの。マークの下には「JEXPO’70」の文字を配している。

日本芸術院賞決定

1966年04月

日本芸術院は6日、昭和40年度(第22回)の恩賜賞と院賞の受賞者を内定、会員の承認を経て14日正式決定となった。授賞式は5月31日、東京・上野の同院会館に天皇陛下をお迎えして行なわれた。美術関係者は次の通りである。 恩賜賞  池部釣(洋画) 長年にわたり洋画界につくした業績に対し。 芸術院賞(第一部・美術)  中村貞以(日本画)  (第50回院展出品作「シャム猫と青衣の女」および多年の業績に対し)  山本倉丘(日本画)  (第8回日展出品作「たそがれ」に対し)  井手宣通(洋画)  (第8回日展出品作「千人行列」に対し)  円鍔勝三(彫刻)  (第8回日展出品作「旅情」に対し)  藤野舜正(彫刻)  (第8回日展出品作「光は大空より」に対し)  帖佐美行(工芸)  (第8回日展出品作「夜光双想」に対し)  青山杉雨(書)  (第8回日展出品作「詩経の一節」に対し)  今井兼次(建築)  (皇后陛下還暦記念音楽ホール「桃華楽堂」の設計、その他一連の作品に対し)

伴大納言絵詞の模写完了

1966年03月

昭和38年度からの継続事業であった国宝伴大納言絵詞三巻の現状模写が3月下旬に完成をみた。

新国宝、新重要文化財の指定

1966年03月

文化財保護委員会は26日、新たに国宝、重要文化財等の指定を行なった。指定の内容については別項を参照。

芸術選奨決定

1966年03月

文部省は昭和40年度(第16回)芸術選奨の受賞者として、演劇、音楽、文学、美術など8部門でそれぞれ業績をあげた団体1、個人8人の計9件を決め22日発表した。美術部門では、ながらくパリに滞在して国際的な声価を博し、殊に昨年はサンパウロのビエンナーレ展で外国部門最優秀画家賞を受けたほか、東京・国立近代美術館の在外作家展でも「朝のオートルート」「ナショナルルート」の二力作を発表、すぐれた表現技術と新鮮な作風で現代画壇を刺激した菅井汲(画家、パリ在住、神戸生れ、47歳)と、「京王ビル」(東京・新宿)、「佳松園」(岩手県花巻市)などの意欲的な作品に続いて昨年度は「山口銀行本店」(下関市)を完成し、その設計監理を通じて商業建築の機能的要請をよく消化して材料とくに金属の美的特性を生かし、近代ビルとしての新鮮な造形表現に成功した円堂政嘉(建築家、45歳)の両名が選ばれた。受賞式は4月9日、文部大臣室で行なわれ、文部大臣賞と一件につき賞金10万円が贈られた。

学士院賞に小松茂美の書跡研究

1966年03月

日本学士院は12日午後、東京・上野の同院で総会を開き、41年度の恩賜賞、学士院賞(第56回)の受賞者を決めたが、学士院賞7件のうち、美術関係では、「平安朝伝来の白氏文集と三蹟」小松茂美(東京国立博物館書跡室長、文博)のすぐれた研究業績に対して贈られることになった。授賞式は5月25日、同院に天皇陛下をお迎えして行なわれた。

「日本芸術見本市」アメリカで開く

1966年03月

芸術議員連盟(会長・中曽根康弘)の肝いりで、政府および財界後援のもとに、かねて企画されていた第1回日本芸術見本市がニューヨークのユニオン・カーバイド・ビルで21日から4月25日まで開かれた。この催しは日本の現代芸術を代表する絵画・彫刻・工芸・民芸を総合的に海外に紹介し、併せてその国際市場を開拓することを目的とするもので、その成果が期待されている。

東西美術専門家会議開く

1966年03月

東西美術の相互理解などの問題について、日本ユネスコ委員会が主催、ユネスコ本部後援で7日から6日間、東京・虎ノ門の国立教育会館で会議が開かれた。世界12ヶ国から14人の作家及び美術評論家が会議委員として招かれ、日本側から岡本太郎益田義信、評論家の今泉篤男富永惣一山田智三郎ら5名が参加して次の5つの議題について討論を行なった。  (1)近代欧米美術に対する東洋の影響、(2)東西文明の近代東洋美術に対する影響、(3)東洋美術の伝統が現代においていかなる状態にあり、将来いかに生かさるべきかの問題、(4)現代社会における美術の役割、(5)美術に関してのユネスコの役割と将来なすべき仕事。

高村光太郎賞受賞者決まる

1966年03月

第9回高村光太郎賞は、8日午後の選考委員会でつぎの通り受賞者を決めた。 〔造型部門〕一色邦彦(彫刻家、40年度個展、新制作展の出品作)、篠田守男(彫刻家、「テンションとコンプレッション」の一連作) 〔詩部門〕生野幸吉(東大独文科助教授、思潮社刊「生野幸吉詩集」)

沖縄の文化財調査

1966年02月

14日から28日までの15日間、文化財保護委員会は沖縄の文化財に関する調査を行ない、琉球政府文化財保護委員会と文化財の保存管理について意見を交換、保存修理の技術面に指導を行なった。

文化財保護委員会に新委員長

1966年02月

政府は、12日で任期満了となった文化財保護委員会委員長河原春作、同委員矢代幸雄の後任に国立近代美術館長稲田清助、元東京国立文化財研究所長田中一松を16日に発令、それぞれ就任したが、文化財保護委員会は18日文部省で総会を開き、新委員長に稲田清助を互選した。

国立西洋美術館購入の仏画家の作品について参院文教委で質疑

1966年02月

去る昭和39年暮れ来日したスイス国籍の画商フェルナン・ルグロから国立西洋美術館が購入したアンドレ・ドランの「ロンドンの橋」(2,238万円)とラウル・デュフィの「サンジュ湾」(288万円)について、17日参議院文教委員会で小林武議員(社会党)が真偽或いは購入価格について質疑した。

「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」の開催

1966年01月

戦後日仏両国間の文化の交流をいっそう緊密にするため、昭和28年に文化協定が締結され、以来今日まで民間団体の協力をも得て、さまざまの事業を活発に行なってきたが、今回この協定の趣旨に基づき、両国政府が主催する交換美術展としてはじめて企画された「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名作展」(文部省・フランス文化省共催)が27日から3月27日まで東京国立博物館で開かれた。ルーヴル美術館を主としてフランス各地の美術館に収蔵せられている珠玉の作品をあわせた46点をもって構成せられ、わが国民にきわめて親しみ深い19世紀の画家ミレーの「落穂拾い」1点が持別出品として加えられた。日本ではこれまでこの時代の実作に接することはほとんど出来なかったので、得難い機会となった。

文部省の買上作品決定

1966年02月

文部省では美術振興と美術家個々の創作意欲を高めるために、毎年当該年度に発表された作品のうちから優秀作品の買上げを行なっているが、40年度の選出が決定、3日発表した。 〔日本画〕山口華楊「飛火野」(第8回日展出品)、上野泰郎「漁民」(第8回日本国際展出品)、福王寺法林「鳥灯」(第50回院展出品)〔洋画〕小磯良平「一隅」(第29回新制作展出品)、小松崎邦雄「おめでたい日」(安井賞候補展出品)、仲田好江「静物」(第27回一水会展出品)、中間冊夫「青の人」(第33回独立展出品)〔彫刻〕堀内正和「しかくい枠の中のねじれた枠」(第8回日本国際美術展出品)

国立近代美術館の移転地決定

1966年01月

昨年末、政府は首相官邸で、石井法相(体協会長)、文部・建設各大臣、官房長官らが懇談会を開き、皇居北の丸に国立近代美術館を移転新築する計画を内定していたが、(当年鑑41年版本欄参照)年がかわって10日、更に事務次官会議で協議の結果、同地に移転新築することを決定した。計画によれば、新築される同美術館は、千代田区代官町の竹橋と皇居乾門の間、約8,900平方メートルの敷地に公文書館と隣接し、総工費約17億円、建坪3,300平方メートル、地上3階、地下1階建で42年度に完成する予定である。尚かねて同美術館の建設経費を寄付する意向を申し出ていたブリヂストン・タイヤの石橋正二郎会長は、2月14日、同館の建設費12億円を寄附する、との覚え書きを福田文部次官との間に交換した。

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