浜口陽三

没年月日:2000/12/25
分野:, (版)

 銅版画家で、日本版画協会名誉会員の浜口陽三は、12月25日午後5時41分、老衰のため東京都港区の病院で死去した。享年91。1909(明治43)年4月5日、和歌山県有田郡広村に生まれる。父浜口儀兵衛は、ヤマサ醤油十代目社長。幼少時、父が家業の醤油醸造業に専念するため、一家で千葉県銚子市に移る。上京して中学に通い、1928(昭和3)年中学を卒業、東京美術学校彫刻科塑造部に入学。30年同学校を中退し、渡仏。パリ滞在中は、アカデミー・グラン・ショーミエールなどの美術学校に一時通うが、もっぱら自室で油彩画を描き、海老原喜之助村井正誠岡本太郎森芳雄など、パリの日本人画家たちと交友する。39年、第二次世界大戦勃発のため帰国。戦後、銅版画の技法を学び、51年、銅版画による最初の個展を開催(東京銀座、フォルム画廊)。53年、私費留学生として再渡仏。55年、4色版を使用した最初のカラーメゾチント作品「西瓜」を制作。57年6月、第1回東京国際版画ビエンナーレに「青いガラス」、「水さしとぶどう」を出品、東京国立近代美術館賞受賞。同年10月、第4回サンパウロ・ビエンナーレに「西瓜」等を出品、日本人として初めて版画大賞を受賞。58年1月、第9回毎日美術賞特別賞を受賞。61年6月、第4回リュブリアナ国際版画ビエンナーレに「キャベツ」等を出品、グランプリ受賞。このように果物や身辺の静物をモティーフにした作品は、カラーメゾチンという独自の技法によって、親密でより深い情感をもたらすようになり、それによって国際的にも一躍注目されるようになった。81年、パリから、米国サンフランシスコに移住、同年和歌山県文化賞受賞。85年、日本国内で最初の回顧展となる「浜口陽三展-静謐なときを刻むメゾチントの巨匠」が開催される(東京、有楽町西武アート・フォーラム、国立国際美術館)。86年、勲三等旭日中綬章を受賞。1998(平成10)年、浜口の作品を常設展示する施設として「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」が、東京都中央区日本橋蛎殻町に開館した。没後の2002年9月から03年9月まで、生前作家夫妻により国立国際美術館に寄贈された作品をもとに構成された「浜口陽三展」が、国立国際美術館をかわきりに、千葉市美術館、足利市立美術館、都城市立美術館、熊本県立美術館を巡回している。エスプリにあふれた、簡潔な構図のなかで、奥深い情感をたたえたその版画作品は、技法もふくめて他に類例がないものとして今後も、評価されつづけていくことだろう。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(245頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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