古野由男

没年月日:1978/02/05
分野:, (版)

版画家、日本版画協会会員、滋賀女子短大教授古野由男は、2月5日呼吸不全のため京都市左京区の京大付属病院で死去した。享年68。明治42年8月18日東京に生まれ、昭和5年1930年協会展に油彩画「雨の上野駅」などが入選、同7年東京美術学校図画師範科を卒業した。卒業の年から同26年まで島根県の旧制中学、新制高等学校に奉職し、同年から同44年までは京都市教育委員会に所属し市立堀川高校、紫野高校で教えたのち教育委員会指導主事を勤めた。この間、京都へ転じた頃から銅版画を始め、同28年浜口陽三駒井哲郎らと日本銅版画家協会を設立して会員となり、同33年には現代美術家協会会員となる。同35年からは京都銅版画協会を主宰、京都版画家集団の委員長もつとめた。同38年、「SPACE8」で現展委員賞を受賞、同年から同45年まで京都市立美術大学非常勤講師をつとめた。同42年、日本合同版画展(ニューヨーク)に「SPACE11」を出品、翌年の日本人作家展(マドリッド)には「’67 ESPAC 10A」他を出品した。同43年には、京都市文化功労者として表彰され、同45年日本版画協会会員となり、同年から死去まで滋賀女子短期大学教授をつとめた。同49年、パリにおける近代美術展に「和、Peace (a baby)」、「和 Peace (a mother)」を出品。同52年にはアメリカ、カナダ、メキシコを旅行した。また、美術教育への貢献も大きく、同28年から日本美術教育学会会員、同40年から日本美術教育連合会会員であり、同41年にはプラハにおける世界美術教育会議に日本代表として参加した。作品は他に、「SPACE 12」、「W-5希望」など

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(274頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「古野由男」『日本美術年鑑』昭和54年版(274頁)
例)「古野由男 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9581.html(閲覧日 2024-12-05)
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